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312. 欧州小旅行記:メンデルスゾーンの虹色の音楽を浴びて


昨日のライプチヒでの体験は非常に密なものであり、正直なところ、昨夜の睡眠を経てどれだけその体験が消化されているのかを目覚めと共に確かめる必要があった。シューマン博物館で獲得したあの「確信」が、自分の中の一本の筋として存在していることを無事に確認してライプチヒでの二日目を開始することができた。

今日の午前中はまず最初に、メンデルスゾーン博物館に足を運んだ。思えば、メンデルスゾーンの楽曲は確かに私のiTunesに存在しているが、その数は多くないことに気づいた。そのため、メンデルスゾーンがどういった音楽家であり、どのような色を持った楽曲を創造したのかについてほとんど知らずにこの博物館に足を運んだのだ。

博物館に足を入れた瞬間に気づいたが、昨日訪れたシューマン博物館よりもモダンであり、二つの博物館には違った味わいがそれぞれある。シューマン博物館ではシューマン自身が残した楽曲が聴けるような設備はなかったが、メンデルスゾーン博物館ではメンデルスゾーン自身が残した楽曲を聴けるような設備が充実していた。

タブレットが複数台置かれている「楽曲試聴室」のようなものがあり、その部屋に飾られている抽象画を見ながらメンデルスゾーンの幾つかの曲を聴いた時、この二枚の抽象画が描き出す絵画世界とメンデルスゾーンが創出した音楽世界がほぼ完全に合致していることがわかった。

博物館の資料を見ることによって初めて、メンデルスゾーンが画家としても優れた才能を発揮していたことを知った。メンデルスゾーンは欧州各国を音楽修行や演奏旅行をするたびに、印象に残った風景をスケッチし、絵画として残していたのだ。

なるほど、「音色」という日本語は実に絶妙な言葉であり、メンデルスゾーンは絵画の才能に関しても優れたものを持っていたからこそ、彼の楽曲に先ほどの抽象画のような色彩を感じることができたのか、と納得した。

一つメンデルスゾーンから改めて教えられたことがある。それは何かというと、過去の偉大な創造者が生み出した型をまずは徹底的に模倣することから始める意義である。メンデルスゾーンは確かに幼少の頃からその才能を遺憾なく発揮していたようだが、己をその才能に単に委ねるのはなく、バッハ、ベートーヴェン、モーツァルトなどの先駆者たちの音楽から学べることを全て学ぼうとするような実践を行っていたことが伺えたのだ。

やはり偉大な人物を師匠として選び、彼らが築き上げた型をまずは徹底的に模倣することによって初めて、新しい偉大なものを創造することができるのではないかと思わされたのだ。また、模倣すべき対象は偉大な人物に限定しなければ、不純物のようなものが混入してしまう恐れがあるとも思った。

あえて身も蓋もない言い方をすると、偉大な才能は偉大な才能からしか真の意味で学ばないのではないかと強く思った。「偉大な才能は全ての人から等しく多くのことを学ぶ」という言葉は聞こえはいいが、この言葉はどうも、偉大な才能が築き上げた高度な世界観から何も汲み取ることができない凡人の慰め言葉のように聞こえ始めたのだ。

そのため、私たちは重要なことを真の意味で学ぶためには、極めて卓越した人物だけを慎重に選び、その人物から可能な限り多くのことを学ぶように注力した方がいいのだと思った。残念ながら、私たちには全ての人から等しく学べるほどの時間も資源もないのである。このようなことを、メンデルスゾーンは私に突きつけてくれたのだ。

そのようなことを考えながら、私は博物館の全ての部屋をじっくりと見て回った。博物館の二階から一階に降り、博物館をいざ後にしようとしていたところ、一階のある部屋にだけ入っていないことに気づいたのだ。その部屋は “Effectorium”と命名されていた。

この部屋は、最新の音楽テクノロジーを活用し、小さな部屋全体がさながらデジタル・コンサートホールのようになっていた。しかもそこでは聴衆としての体験ができるのみならず、なんと指揮者としての体験ができるのだ。

目の前にある大型のタブレットのようなものに楽譜が現れ、その後ろにある複数のデジタル支柱が管弦楽団となり、指揮者としてメンデルスゾーンの曲を楽しむことができるのだ。私は音楽を演奏する訓練を受けたことはないし、ましてや指揮者などもってのほかであったため、「指揮者モード」を解除して、ただ純粋にメンデルスゾーンの管弦楽曲に耳を傾けていた。

ここではもう・・・素晴らしい音楽が背筋を通り抜ける「あの感覚」が何度も何度も連続して訪れたのだ。その度に私は昇天しそうになり、感動のあまりにこみ上げる涙を抑えるのに必死だった。

私にできたことは一つしかなく、そこで流れていた “A Midsummer Night’s Dream”をただただ繰り返して再生することだけだった。最初にこの部屋に入った時には何人かの人がいたが、気づけば私以外の人は誰もいなくなっていた。

何回繰り返し聴いたのかわからないが、何度目かの曲の途中で一人の年配の白人女性が部屋に入ってきたのが視界に入った。私はデジタルの譜面台の前に立って、デジタル管弦楽団の一挙手一投足をずっと眺めていた。曲が終わった時、私は思わず拍手をし、その女性に声をかけた。

(拍手)私:「素晴らしいですよね。もう一度聴きますか?

年配の白人女性:「ええ、お願い出来るかしら。

この女性はとても品の良い感じであり、優しい笑顔を浮かべながらそのように答えた。先ほどからずっとこの曲を独り占めしていたのに、なぜだか他人とこの素晴らしい曲を共有できることの方が遥かに嬉しいことに気づいたのだ。

もう一度この曲を再生している最中、私の世界の中からその女性は完全に消え、私は “A Midsummer Night’s Dream”の世界にまた没入していった。隣にこの女性がいるにもかかわらず、私は静かに涙を流していたのだと思う。

曲が終わると、私は再び拍手をした。

(拍手)私:「やっぱり・・・、やっぱりこの曲は素晴らしいですよね。そう思いませんか?

年配の白人女性:「ええ、本当にそうね。感動を誘う曲よね。

:「本当にそうですね。(譜面台を見ながら)ええっと、この曲は “A Midsummer Night’s Dream”という名前らしいですよ。

年配の白人女性:「はは、知ってるわ(笑)

:「えっ、もしかして音楽家の方ですか?

年配の白人女性:「ええ、実はチェリストなの。

:「おぉ、チェリストですか!どおりで。どれくらいチェロを演奏されているのですか?

年配の白人女性:「さぁ、もう何十年にもなるわね(笑)。そうだわ、ちょっと一緒にこの曲をより深く味わってみるのはどうかしら?

:「えぇ、是非。

そこから親切にもこの女性が、デジタル譜面を見ながらこの楽曲についてあれこれ解説をしてくれた。

年配の白人女性:「この曲を “modern instruments”モードで再生した時と “historical instruments”モードで再生したの時の音の違いが分かったかしら?

:「いえ・・・音楽に関して僕は素人なもので(苦笑)

年配の白人女性:「音楽を愛しているという点において、あなたと私は何も変わらないわ。ほら、もう一度第一楽章の部分だけ聴いてみましょう。きっとその違いが分かるはずよ。

こうして私はこの女性から有り難いことに音楽の手ほどきを受け、両者の音の違いのみならず、クラシック音楽というものが世界共通の普遍的なものなのだということを教えてもらったような気がした。

その女性が別れの言葉と共にこの部屋を去った後、私は最後にもう一度、この虹色に輝く曲を全身で浴びたいと思った。何度聴いてもこの曲は、私の背筋を突き抜け、形而上的世界で七色の虹を描き出しているように思えた。

“A Midsummer Night’s Dream”というこの曲のタイトルが日本語で『夏の夜の夢』であることを後で初めて知った。ライプチヒでメンデルスゾーンのこの曲と共に過ごした今日という夏の日を、私は一生忘れることはないだろう。

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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