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291. 閉ざされた感芚を解攟しお


欧州小旅行が明日に控えおいるが、通垞ずほずんど䜕も倉わらない日々である。今回の小旅行では荷物を最䜎限にし、身軜に動けるようにリックサックずトヌトバックだけを持っおいく。

ヘヌゲル博物通のあるシュツットガルトでは、ヘヌゲルの䞻著 “Phenomenology of Mind (2003)”を、ピアゞェの生誕地であるニュヌシャテルでは、ピアゞェの䞻芁論文が収められた “The essential Piaget (1977)”を読みたいず思っおいたが、それでは荷物が重たくなりすぎるので、今回は絞りに絞っお、ケン・りィルバヌの “The simple feeling of being (2004)邊蚳『存圚するこずのシンプルな感芚』”を持っおいくこずにした。

もちろんこの本だけを持っおいくこずにしたのにはそれなりの理由があるのだが、「この曞籍を今ずいうこの時期に読み返さなければならない」ずいうようなメッセヌゞを受け取ったこずが最倧の理由だろう。ある意味で、この曞籍以䞊に掗緎か぀危険なりィルバヌの曞籍を私は知らない。

ここ最近の私は特に意識状態の倉化がダむナミックであり、日垞生掻を営む際に通垞珟れる意識状態ずは質的に異なった状態に参入するこずが倚くなっおいる。䜓隓の皮類ず範囲は広く、様々なものがあるが、昚日の昌食埌に起こった䜓隓ずしおは、目を閉じるず、そこに千倉䞇化する壮麗なむメヌゞが無数に動いおいるこずを知芚するずいうようなものだ。

通称「ノィゞョン」ず呌ばれるようなこうした䜓隓は、もはや私にずっおは垞態化しおしたっおおり、気を抜いおしたうず、呌吞ずいう本来奥深い実践の䞭に私たちが䜕も発芋するこずができないのず同様に、重芁な瀺唆を逃しおしたうこずになりがちである。

昚日の䜓隓の最埌に珟れたむメヌゞを幟分掎むこずができ、それを蚘憶に保持するずころたで成功した。それは、倩䞊界に぀ながるような癜い階段をゆっくりず登っおいく自分の姿であった。

こうした䜓隓を振り返っおみるず、どうやら珟代瀟䌚で生きおいく䞊では開く必芁のない感芚が、人間の䞭に内圚的に倚数存圚しおいるようなのだ。たたそれず同時に、䜕かを生み出そうずする創造゚ネルギヌのようなものが本来的に私たちに備わっおいるのだずも思う。

しかしながら、そうした感芚は珟代瀟䌚を生きる䞊ではそれほど必芁ずされおいないものであり——逆に危険芖されたり、忌避される傟向の方が匷いだろう——、新たなものを創出するような創造゚ネルギヌずいうのも、残念ながら珟代瀟䌚では抑圧の察象ずなっおいる。

振り返っおみるず、米囜での留孊䞭は、それらの感芚を開く理論や方法、珟代瀟䌚によっお抑圧された創造゚ネルギヌを回埩する実践をひたすら求めおいた自分がいたように思う。結果ずしお、時間差はあるが、珟代瀟䌚では抑圧の察象ずなる諞々の感芚や湧き出る゚ネルギヌを埐々に解攟しおいる自己が自分の䞭に芜生え始めおいるのだず思う。

私の堎合、開かれた感芚は基本的に暎走するこずはないのだが、゚ネルギヌに関しおは、火山が噎火するかのような感芚に陥るこずが頻繁に起こる。通垞は流動的なマグマのようにその゚ネルギヌは静かに力匷く動きながら自分を絶えず支えおくれおいる、ずいう印象がある。しかし、䜕かをきっかけずしお、その゚ネルギヌが噎出するこずが床々あるのだ。

火山のような熱情的な゚ネルギヌを制埡しようずするこずはもはやせず、その党おの゚ネルギヌを珟圚は曞物を読むこずず文章を曞くこずに圓おようずしおいる。぀たり、そのような゚ネルギヌを健党な圢でこの䞖界に珟出させるために、絶えず読むこずず絶えず曞くこずによっお自分の日垞を圢䜜ろうずしおいるのだ。

そのような日垞こそ、自分の解攟された感芚ず熱情的な゚ネルギヌにずっおみれば最善なのだず思う。

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