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45. 学習プロセスと静的構造モデル


これまでの記事で述べてきたように、デカルト的な思想は、科学の領域や心理学の領域の支配的なフレームワークとなっていました。そのため、本来動的である人間の心のみならず、自然科学や社会科学における様々なシステムが静的な構造として扱われるようになってしまったのです。

つまり、デカルトの思想に端を発する静的な構造モデルは、自然界のシステムや社会システム、そして心という動的なシステムを説明する際の暗黙的なパラダイムとして用いられていました。こうしたパラダイムが跋扈し、私たちはそうしたパラダイムを無意識的に採用してしまうため、静的構造モデルの思想を乗り越えていくことは困難になっていました。

しかし、多くの研究が示しているように、自然界のシステム、社会システム、私たちの心は非常に動的な性質を持つ以上、静的構造モデルを超えたパラダイムが必要となります。静的構造モデルにおいて、往々にして心の構造と私たちの行動・活動を切り離してしまうことがあります。

例えば、コミュニケーションを通じた知識伝達が一例です。しばしば、心は知識という物体を格納する容器のようなものであるというメタファーが用いられます。このメタファーにおいて、人間のコミュニケーションは、知識という物体を一つの容器から他の容器へ移すプロセスとみなされています。

学習という観点からこの例を考えてみると、もし学習者が学習を通じて伝達されるべき知識を適切に受け取ることができなかったら、その生徒は望ましくない学習者とみなされてしまうでしょう。しかしながら、最近の研究結果はこうした知識伝達プロセスを支持しておらず、生徒は単純に知識を他者から受け取るわけではないことを指摘しています。

そもそも、コミュニケーションを通じて授受される知識というのは、一つの静的な物体ではなく、善かれ悪しかれ動的に変化するものなのです。さらに、知識というのは、実際の活動を通じて学習者の中で徐々に構築されていくものであり、静的な構造モデルは、学習が持つこうした構成的な要素を蔑ろにしてしまっているのです。

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