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11068-11076: フローニンゲンからの便り 2023年10月10日(火)



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成人発達理論とインテグラル理論を楽しく学んでいただける「成人発達コラボラジオ」を2023年7月14日より始めました。

タイトル一覧

11068. 今朝方の夢

11069. 今朝方の夢の続き

11070. サイケデリクスに対する肯定性過剰と物質還元主義の問題

11071. サイケデリクス哲学の役割/欧米に何歩も後れを取る日本のサイケデリクス環境

11072. サイケデリクス哲学者としての役割/Erowidに掲載されているサイケデリクス体験レポートの有効活用

11073. リック·ストラースマンのアプローチを活用して/サイケデリック・テクノロジーの可能性

11074. メルヴィンとのサイケデリック・トークに花が咲いて

11075. サイケデリクスを活用した悟りへの道の是非について

11076. HDSの関係者からの嬉しい返信メールを受けて/悟りと深い治癒・変容のためのサイケデリクスの活用


11068. 今朝方の夢


時刻は午前5時半を迎えた。今朝方も闇と静けさに包まれた世界の中で、こうして早朝に日記を綴っている。今、遠くの方で列車が走る音が聞こえた。おそらく中央駅に向かう始発列車だろう。


今日も早朝からかなり冷え込んでいて、昨日からはもう上下にヒートテックを着始めた。そのおかげでなんとか寒さを凌げているが、ここからもう一段寒くなったらいよいよ湯たんぽを使い始める。おそらく来週からはもう湯たんぽを使う必要がありそうだ。今週末は、アニマルフローの講習を受けにロッテルダムに行くのだが、土曜日からは気温がさらに下がり、日曜日に関しては最高気温が11度、最低気温が7度という予報が出ている。来週の火曜日に関してはもう最低気温が5度になるとのことなので、そこまで来ると朝は確実に湯たんぽが必要である。日々のサイケデリクスに全身全霊で取り組むために、体調管理には気をつけたい。サイケデリクス研究への情熱で、心身共にエネルギーで満ちた熱い状態でいよう。


今朝方はいくつかの夢を見ていた。まず覚えているものとして、ある日本の有名な武術家の先生と別の武術家の先生が、他流儀交流会の形で手合わせをしようとしていた場面である。どちらの武術家の先生も達人で、達人同士の対決には注目が集まり、どちらの武術家のお弟子さんたちも多数駆けつけていた。2人はまず素手で対峙し、お互いに一歩も動かない呼吸の読み合い、あるいは気の流れの読み合いが始まった。そこからいよいよどちらが動くかというところで、なんとどちらも一歩も動かないままにその対決の一回戦目は終わった。そこからは、2人は自分の足を改造し始めた。2人ともナイフを使って自分の足の甲の皮膚を小さな四角形の大きさで指の骨のラインに応じて切り取っていった。最初私はそれを見てとてもギョッとしたのだが、2人は麻酔もなしに何の痛みも感じずに平然とその作業をしていた。2人の様子を見ていると、それぞれ同じようにナイフで足の甲の皮膚を引き剥がしていくのだが、引き剥がした後に埋め込むものが異なっていた。1人の武術家の方は何かカッターのようなものを埋め込み、もう片方は硬い磁石のようなものを埋め込んでいるようだった。ひょっとしたらそれは磁石ではなく、黒曜石のようなものかもしれないが、そちらの武術家は遠くてよく見えなかった。2人の作業が終わると、そこからいよいよ戦いが始まった。想像するに、何かを埋め込んだ足を駆使ししてそこから戦いが始まるのではないかと期待に胸が膨らんだところで夢の場面が変わった。


その他に覚えているのは、3人の男の子、1人の女の子の4人兄弟のうち、一番下の男の子が中学受験に向けて進学塾に通っている場面である。その子は本当はスポーツやゲームがしたいとのことだったが、塾での勉強も嫌いではないとのことであり、意外と楽しそうに勉強していた。私は彼にもう少し話を聞いてみようと思って近づき、そこからは彼から塾での勉強だけではなく、スポーツや最新のゲームについての話を聞いていた。すると、その子の父親が迎えにやってきて、その子は父親のところに嬉しそうに駆け寄り、振り向いて私に手を振った。私も彼に手を振って見届けたところでまた夢の場面が変わった。フローニンゲン:2023/10/10(火)05:46

11069. 今朝方の夢の続き


寒さで手を少し擦り、摩擦熱で手を温めてから再び日記の執筆に取りかかり始めた。この日記を執筆し終えたら、いつものように呼吸法とアニマルフローを行って身体を十分に温めようと思う。そこから1日の活動が本格的に始まる。


今朝方見ていた夢にはまだ続きがあるので、それらについても振り返っておきたい。夢の中で私は、高校2年性の時のクラスメートの女子生徒と見慣れない会議室の中で再会し、話をしていた。彼女は端正な顔立ちをしていて、人気があったのだが、彼女の個性として絵がとても上手いことを私は知らなかった。その日も彼女は暇があればスケッチブックを開いて絵を描いていて、絵を見せてもらうと、とても可愛らしく上手いなと思った。彼女は画家としてやっていくことには関心がないようだったが、きっと彼女ならイラストレーターとして成功できるのではないかと思った。そのことを告げると、彼女は嬉しそうに少し照れ笑いを見せた。すると場面が突然変わり、合唱コンクールにこれから参加する場面になっていた。自分の年齢と周りにいた人たちの年齢は高校生か大学生ぐらいだった。男女半々で20人ぐらいが1つのグループとなって、これからコンクールに向けた練習をすることになっていた。しかし、グループが形成されたのはつい先程のことであるにもかかわらず、コンクールは数時間後だった。どのグループにもそのような条件が課されているようだったので、文句は言えない状況だった。私はどういうわけかコンクールで発表する10曲の課題曲を選定する役割を担わされ、そして音響設備を活用する役割を担わされた。それもある武術家の方から抜擢されてのことだった。うだうだと考えている時間はなかったので、私たちは練習を始めることにした。ちょうど1つ前のグループが音楽室での練習を終えたので、今度は私たちがそこを使わせてもらうことになった。1つ前のグループの大半はドイツ系の人たちだったが、私の近くにいた人はボスニア出身で、そしてもう1人、私と挨拶を交わしてくれたのはアメリカのボストン出身だった。彼がボストン出身と知ってどこか親近感が湧いた。というのも自分もボストンにゆかりがあり、近々その地を訪れる予定だったからである。


そこから場面が変わり、今度は実際に通っていた中学校の体育館に似た体育館の中にいた。そこでまたしても同じ武術家の先生がいた。先生はすでに60歳を超えているが、まだまだ身体にはずば抜けたキレがあった。これから行う紅白戦では、私は先生をマークすることになっていて、果たして武術の達人はバスケではどのような動きを見せてくれるのだろうかと楽しみになった。私は先生には絶対に負けられないという気迫から、チーム全体を鼓舞し、大きな声を出した。そしてメンバーにももっと大きな声を出していこうと呼びかけた。すると、チームの士気が一気に高まり、相手チームはその士気の高さに圧倒されているようだった。いざ試合が始まると、自分の集中力は極度に高まっていて、また気合いも十分だったので、先生には一切プレーをさせず、完全に先生を押さえ込んだ上で、自分は得点を重ねていった。こちらのチームの圧勝を確信したところでまた大きな声をコートで上げ、夢から覚めた。フローニンゲン:2023/10/10(火)06:03


11070. サイケデリクスに対する肯定性過剰と物質還元主義の問題


時刻は午前7時を迎えたが、まだまだ辺りは暗い。もう1時間ほど真っ暗な状態が続きそうである。


昨日、シロシビン研究において鬱への働きかけをする部位と内的ビジョンへの働きかけをする部位を特定し、それらに別々に働きかけるアプローチについて建設的な批判を投げかける文章を書いていたように思う。その続きとして、現代人の多くが持つ「幻覚恐怖症」を取り巻く「幻覚悪説」は、ドイツの思想家ビョンチョル·ハンが指摘するように、肯定性過剰の時代の精神をうまく映し出している。そこでは幻覚というものを悪と決めつけ、物理世界にないものが知覚されるという幻覚と目を閉じたときに知覚される内的なビジョンの差異化がない形で、両者を一緒くたにして危ないものと決めかかる形で議論がなされている。そうした未分化の議論こそが怖いのであり、そうした未熟な議論を続けているままでは何も変わらないのである。


サイケデリクスそのものに対しても深い議論もないままに既存の思い込みを通じてそれを悪としてみなす傾向が極めて強い。また研究者の中にも、例えば本来深い洞察をもたらしてくれる内的ビジョン(幻覚)を悪いものだとみなし、それを排除した形で新たなサイケデリクスを生み出そうとしている人もいるぐらいなのだ。鬱やトラウマを脳内の変化だけで治癒しようとすることは、あまりに物質還元主義的なアプローチであるし、それ以上に重要なことは、単に脳内物質の変化だけで病を治癒しようとすることはその人から成長の機会を奪うのである。全ての病気に何かしらのメッセージがあり、そのメッセージを通じて私たちは成長していく必要があるというのはヨガの教えの1つである。病気から投げかけられる意味に無自覚であるとき、その人は成長しないばかりか、また同じ病気を再発する可能性がある。病気そのものもまた悪なのではなく、それは私たちの教師としての役割も担う大切な存在なのだ。そうした大切な教育効果を持つ存在に対して、それらが投げかけるメッセージや意味を骨抜きにする形で、脳の物質変化だけを持ってして病気の治癒をしようとするのはかなりの愚行であるように思える。当然ながら、症状がひどく、メッセージや意味を受け取る余裕のない人たちには対処療法的ではあるが、そうしたアプローチが有効な場合もある。ここでは何も物質主義的なアプローチを全否定しているわけでは決してなく、むしろそれにも部分的な価値はあるのだ。ただ世間の論調として、あまりにも物質還元的な機運があることに文明の病を見るのである。


日本において鬱は癌と並んで深刻な現代病である。鬱やトラウマが何を私たちに告げているのかというメッセージを汲み取り、そこから何かを学ばない限り、また同種の鬱やトラウマを再発してしまいかねないということを念頭に置いた上で、肯定性過剰の現代の諸相、さらには物質還元主義的な現代の諸相を乗り越えていくより包括的·包摂的なアプローチでサイケデリクスを活用していく必要があることを主張したい。フローニンゲン:2023/10/10(火)07:12


11071. サイケデリクス哲学の役割/欧米に何歩も後れを取る日本のサイケデリクス環境


今日の読書を本格的に始めていく前に、もう1つ日記を書き留めておこう。それは、シロシビンのセラピーセッションで音楽が用いられる意味についてである。これはシロシビン·セッションだけではなく、内的ビジョンが知覚される物質を摂取しての宗教儀式においては必ず音楽が演奏されることとも関係している。端的には、音楽に合わせて内的ビジョンが変化し、変化するビジョンから治癒と変容につながる洞察を汲み取る働きがあるため、内的ビジョンを知覚することには意味と価値があり、逆に言えばそれを骨抜きにすることには問題があるのである。おそらく内的ビジョンを幻覚と短絡的に括ってしまい、内的ビジョンの持つ意義と効果について理解していない人は、サイケデリクスを用いたセラピーセッションで音楽が使われ、それがどのような意味を持つのかについてよく理解していないのだろうし、そもそもまだサイケデリクスを摂取して、自分なりに内的ビジョンの持つ働きと効果について考察をしたことがないのではないかと思う。直接体験がないから研究できないというわけでは決してないが、直接体験がないとおかしな方向に研究を進めてしまうことがあることは確かである。シロシビン研究がそのような方向に向かわないことを願い、願うだけではなく、研究が健全な方向に向かっていくような働きかけをしていきたい。科学の方向性を決めていくのは哲学の役割でもあるので、ここでサイケデリクス哲学の重要性が出てくるのだ。ピーター·ショステッドやクリス·リズビーなどのサイケデリクス哲学の洞察を汲み取り、ここからサイケデリクスの科学研究がおかしな方向に向かわないようにするための舵取りはサイケデリクス哲学にかかっている。


また、科学研究を抑圧しないための法規制の整備も着実に進めていく必要があるだろう。特に日本の法整備はあまりにも形骸化しており、様々な問題を孕んでいる。それはサイケデリクスとハードドラッグの区別が一切なく、全てを一緒くたに悪とみなす愚行的法規制であり、そのような法規制がある限りは日本でサイケデリクス研究が進展することはないだろう。結果としてこの分野での日本人研究者は育成されず、欧米の先端的な研究を単に部分的に輸入するだけの状況が続き、サイケデリクスを活用した鬱やPTSD、認知症やパーキンソン病などの治癒に向けた実践も欧米と比べて10年、20年、30年と遅れていく。そのような状況で果たしていいのだろうか。鬱や認知症は日本でもかなり問題になっている現象であり、その治癒に向けて大いに成果を上げているものが欧米にはあるのだが、それを日本人が国内で活用できない状況というのはある種の憲法違反なのではないだろうか。それが生存権の規定にあたるのか何にあたるのかは再度日本国憲法を調べてみないといけないが、いずれにせよ、本来サイケデリクスの医療目的での活用によって救われる人がたくさんいるのに、それがかなわない状況というのは見過ごすことができない。サイケデリクスに関する広く·深い知識を身につけていきながら、絶えず公共マインドを携えて、この問題に取り組んでいきたいと思う。フローニンゲン:2023/10/10(火)07:25


11072. サイケデリクス哲学者としての役割/

Erowidに掲載されているサイケデリクス体験レポートの有効活用


小鳥の鳴き声がよく聞こえてくるようになったので顔を上げて窓の外を見ると、晴れた青空に朝日が見えた。今日はどうやら天気が良いようなので何よりである。


早朝からここまでのところ、当然ながらサイケデリクスに関する神経科学的な知識や精神薬理学的な知識も獲得していくが、自分の果たすべき役割はサイケデリクス哲学者としての役割であることを考えていた。サイケデリクスの科学研究や一般人の使用に関する方向性を提示するのはサイケデリクス哲学の大きな役割であり、個人のサイケデリクス体験でどのようなことが起こっているのかという現象学的な説明やトランスパーソナル心理学的な説明を加えていくこともまたサイケデリクス哲学者が果たすべき事柄である。そして自分はHDSでの宗教学·神学的な探究を通じて、サイケデリクス宗教学者·神学者としての情報発信も積極的に行っていきたいと思う。


その他には、サイケデリクスに関して様々な情報を網羅しているErowidというウェブサイトには、様々なサイケデリクスとその他の無数の物質を含めた体験レポートが掲載されており、それを活用する形での定性的研究も十分に可能であると思った。そこにはすでに無料で活用できる定性的データが溢れていて、それを例えば発達測定を用いてみれば随分と面白い研究ができると思ったのである。また、グラウンデッド·セオリー・アプローチ(データに根ざして概念を生み出し、概念同士の関係性を見つけて新たな理論を生成する研究手法)を採用することによって、ボトムアップで新たな理論を提唱していくこともできるだろう。もちろん自分のリサーチクエスチョンを元に新たにデータを集めていくことにも意味があり、その方が研究を進めやすい側面もあるだろうがが、既存の豊かなデータを有効活用していく道も探りたい。一旦読書の手を止めて、もう少しこのウェブサイトの中にある定性データの質と量を見てみよう。その過程で自分の研究アイデアを温めたり、それらのデータに対する自分なりのアプローチを考えてみよう。フローニンゲン:2023/10/10(火)09:25


11073. リック·ストラースマンのアプローチを活用して/

サイケデリック・テクノロジーの可能性


DMT研究の第一人者であるリック·ストラースマンが“DMT and the soul of prophecy: A new science of spiritual revelation in the Hebrew Bible (2014)”の書籍の中で、DMT体験とユダヤ教の旧約聖書の記述を行き来してDMT体験の意味を紐解いているアプローチは、仏教の経典や川面凡児の神道の思想書を用いても同じことができると思った。ヒンドゥー教の聖典ヴァガバットギーターを用いて同様のアプローチをしている学術書はすでに先日読んだ。今のところ仏教の経典と紐付けたり、神道書と紐付けた研究は見られないので、HDSではそうした研究にも従事したい。特に川面凡児が詳細に解説した魂の階層理論は興味深いので、それとサイケデリクス体験を紐付けた研究も行ってみよう。


早朝に、テクノロジーによるサイケデリクス体験の代替可能性について考えていた。この話題は、物質還元主義の問題もと絡むが、最先端のテクノロジー技術とテクノロジー哲学の洞察を踏まえると、内的ビジョンを残したままのサイケデリック体験は、テクノロジーによって再現できるようになるだろうと思われる。それが具体的にどのような形かはわからないが、サイケデリクス科学のとりわけ神経科学領域や精神薬理学領域の研究がさらに積み重なり、テクノロジーの技術そのものがより高度なものになった際には、物質的なサイケデリクスを摂取することなく、サイケデリクスと同様の体験をテクノロジーを通じてすることが可能になるだろう。すでにVR技術など、別のリアリティーを本物のリアリティーと錯覚させてしまう技術はあり、この技術がさらに身体感覚を伴う形で洗練されたものになってくると、それもまたサイケデリクス体験の代替手段の1つの候補になるだろう。また、マインドアップロードの技術もより実現に近づいてくれば、いよいよテクノロジーによってサイケデリクス体験の代替が可能になるはずである。当初は間違いなくサイケデリクス体験とは程遠いものになるかと思うが、その距離は徐々に縮まり、最終的にはほぼ完全にサイケデリクス体験を再現するテクノロジーが生まれるはずである。何を隠そうサイケデリクスというのもまた天然系であれ合成系であれ、広義のテクノロジーなのだ。それは自然が生んだテクノロジーでもあり、人間が生んだテクノロジーでもある。脳と意識の双方に働きかけ、脳の変化と意識の知覚変容の双方を生み出すサイケデリック·テクノロジーは、遅かれ早かれどこかのタイミングで誕生するに違いない。それはアメリカの西海岸から生まれるかもしれないし、他の場所から生まれるかもしれない。いずれにせよ、そのテクノロジーの開発には関心があるので、常にアンテナを張っておき、機会と縁に恵まれたら、その開発に参画したいと思う。フローニンゲン:2023/10/10(火)11:25


11074. メルヴィンとのサイケデリック・トークに花が咲いて


時刻は午後4時に近づいている。今朝方は寒かったが、昼からは気温が20度まで達し、確かにジャケットは必要であったが、散髪屋に向かう道中は暖かさを感じた。散歩の際には最近常に幸福感を感じていて、今日も至福さを感じながら歩いてメルヴィンの店に向かった。午後2時を知らせる教会の鐘の音と同じタイミングでメルヴィンの店に到着した。すると、メルヴィンが2人の若いオランダ人女性と店の前で話をしていた。何やら彼女たちは店の裏の隣人らしく、メルヴィンに以前写真撮影をお願いしたこともある間柄とのことである。


メルヴィンといつものように握手を交わして店に入り、ダブルエスプレッソをもらってお互いの近況を話し合った。お互いの近況と言っても自分の場合は兎にも角にもサイケデリクスに関する研究と実践しかしていないような状況なので、今日の話もまたサイケデリクスがメインとなった。メルヴィンもかなりのサイコノート(psychonoaut)で、その言葉で呼ぶとメルヴィンは嬉しそうに大笑いしていた。ここ最近はサイケデリクスに関する話かフリーススタイルラップの話しかしていないように思えるが、それらのテーマを元に哲学的な話や霊性学的な話、さらには心理学的な話になるのでいつも話題には事欠かない。メルヴィンにも300冊を超すほどのサイケデリクス 関係の学術書を8月と9月に一括購入したことを伝えると、メルヴィンも目を丸くして笑いながら驚いていた。それくらいに自分がこの領域に情熱を傾けていることをメルヴィンもすぐにわかってくれ、そこからの話には花が咲いた。ちょうどメルヴィンは、以前のガールフレンドであるジュディスと来週アムステルダムの彼女の新居でLSDを摂取するそうだ。サイコノートであるメルヴィンにとっては珍しいが、LSDは初めての摂取とのことで、摂取方法はLSDのスプレータイプのものらしい。スプレータイプのLSDは初めて聞いたので大変興味深く、何やらジュディスがそれをどこかで入手したらしい。


メルヴィンに2回前のシロシビン·セッションの失敗話をすると、さすがはメルヴィン、シロシビン·ティーを作る際のお湯の温度は70度が最適であることを知っていた。細かな温度の話はこれまで出てこなかったのが、残念であるが、自分の失敗体験から得られる学びは深く自分の内側に刻み込まれる。失敗体験から学ぶことの意義はそこにある。メルヴィンはシロシビン·セッションを1人か誰かとする際には、一番効力の強い「ヴァルハラ」というトリュフ商品を使っているとのことで、自分も今後のセッションは過去2回試して非常に強い体験をしたそれを試してみようと思っていた。メルヴィンなりの統合ワークとして、体験後だけではなく、体験中にも画用紙に絵を描くことをしていて、4年前のセッションの際に描いた絵を見せてもらうと、色鮮やかな見事な絵だった。自分も少なくとも体験後には統合ワークとして、デジタル絵画を描くこととカリンバの即興作曲を行いたいと思う。次回の散髪の際には、来週月曜日のシロシビン·セッションと今月末のボストン旅行の話、そしてメルヴィンのLSDの体験話に花が咲きそうで、今からそれが楽しみだ。フローニンゲン:2023/10/10(火)16:03


11075. サイケデリクスを活用した悟りへの道の是非について


今、“Altered states: Buddhism and psychedelic spirituality in America (2016)“という書籍を読み進めている。本書を読み進めながら、著者が述べる「サイケデリック仏教」という新たな仏教の在り方の考え方を受けて、「サイケデリック神道」という新たな神道の在り方について考えていた。そこから、川面凡児を含め、いく人かのユニークな霊魂モデルを提示した神道家の思想モデルを活用し、サイケデリックの現象学的体験を研究していこうということを改めて思った。これは以前からもたびたび顔を覗かせていたアイデアなのだが、リック·ストラースマンのユダヤ教の思想を活用した同種の研究を受けて、神道の霊的思想とサイケデリクス体験を佳境させる研究に関心が増している。この研究はおそらく世界的に見ても自分にしかできないような研究なのではないかと思うため、その天命を全うしたいと思う。今すぐにではなくとも、必ずどこかのタイミングでこの研究に着手したい。


アメリカの仏教徒の多くが少なくとも一度はサイケデリクスを摂取したことがあるというデータを見て興味深く思った。どうやらアメリカの仏教徒においては、サイケデリクスを活用した悟りへの道を邪道とみなす考え方と、サイケデリクスを賢く活用しながら悟りへの道を開いていくことを良しとする考え方の2つがあるようだ。以前までの自分は前者の考え方を採用していたが、今は後者の考えをより支持している。確かに「発達はゆっくりなほど良い」という考え方は大切だが、50年修行しても悟りの境地に全く近づけないうだつの上がらない状態と、サイケデリクスを賢明に活用して比較的短い期間で悟りの境地を開き、その状態で社会に貢献していくのとではどちらが仏教の本義に近いのだろうか。仏教の開祖ゴータマ・シッダールタでさえシロシビン·マッシュルームか麦角菌が元になっているサイケデリクスを摂取したことがある可能性を考えてみたときに、現代において規範とされている仏教の考え方は、実は開祖の実践や真意とは乖離がある可能性が十分にある。今読み進めている書籍も後者の考えを採用しており、魔境に囚われることなく、悟りの境地をある程度の短期間で開くことを通じて世の中に貢献していく人が増える方が社会全体の幸福に寄与するような気がしている。形骸化された伝統的な修行方法によって一体どれくらいの人がどれくらいの期間で悟りの境地に辿り着けるのだろうか。そこではかつてのスポーツ界で起こっていたような、練習中に水を飲むことを許されなかったり、腰を痛めるようなうさぎ跳びの反復など、精神論的な無意味な実践が潜んでいる可能性が十分にあるのである。そのようなことを考えながら、着実に悟りへの道を歩む健全なサイケデリクスの活用方法を探るというのは、サイケデリック·スピリチャリティの実現において極めて重要なことかと思う。かつてメスカリン体験をきっかけにしてサイケデリクスの探究に目覚めたオルダス・ハクスリーは、化学物質を活用した神秘主義を肯定する論拠として、それがこの世界の再神秘化をもたらすことだと述べていたことを思い出す。ここからは宗教倫理の観点から、サイケデリクスを既存の伝統的な宗教実践と掛け合わせる道について探究を深めていきたいと思う。 フローニンゲン:2023/10/10(火)16:45


11076. HDSの関係者からの嬉しい返信メールを受けて/

悟りと深い治癒・変容のためのサイケデリクスの活用


時刻は午後7時半を迎えた。先ほどメールを確認すると、嬉しいことにHDSの2人の人物から返信メールがあった。1人は、HDSのCenter for the Study of World Religion(CSWR)の研究者であるラッセル·パウエル博士である。パウエル博士とは、ボストンに到着した翌日の月曜日の朝にパウエル博士の研究室でサイケデリクス研究について話をさせてもらえることになった。パウエル博士に尋ねたい質問については行きの飛行機の中や今から少しずつ考えていき、当日のミーティングを有意義なものにしたい。もう1人は、CSWRがスポンサーになっているHDSの学生が開催している植物と菌類の意識に関する読書会の主催者であるナターリアである。ナターリアは現在ハーバード大学の宗教学科の博士課程に在籍しているらしく、当日の読書会が終わった後にはぜひ博士課程への進学の成功要因や博士課程での日々の仕事について尋ねてみたいと思う。パウエル博士とのミーティング、ナターリア主催の読書会、そしてサイケデリクスに関する読書会の主催者であるポールとのミーティング、さらにはオープンキャンパスイベントが今からとても楽しみである。今月末のボストン滞在は久しぶりの旅行であるばかりではなく、今後のサイケデリクス研究の協働者になるかもしれない人たちとの交流があり、非常に充実した時間を過ごすことができるだろう。


夕方に考えていたことの続きについて考えている。悟りというのは無限に深いものである。究極的な悟りの状態というのは、本当に到達し難いものに思えてくるほどに深い。そこに向かっていくための小さな悟り体験を積み重ねていくという意味でのサイケデリクスの継続的使用は肯定されるものなのか、否定されるものなのかについて考えている自分がいる。これは自分にとって大切なテーマだ。今のところの自分の考えは、サイケデリクスへの深い理解、自我の肥大化の注意など、種々の事柄に気をつけている場合においては、サイケデリクスを活用した悟りへの道を肯定する考えを持っている。


サイケデリクスの活用は悟り以外にも、今朝方の日記で書き留めたように、鬱や認知症などの現代病の治癒を望む人へも門戸を広げるべきかと思う。欧米のようにレクリエーション目的で門戸をいきなり開くことは日本では難しく、欧米の国々でもまずは医療目的からの門戸開放の動きがあるため、日本でも少なくとも医療目的でのサイケデリクスの活用が認められるようになってほしいと思う。


そこからゆくゆくは、健康な人の中で、成長したくても成長できない人、過去にコーチング、自己啓発セミナー、既存の研修やプログラムを色々と試しても成長できない人に対してもサイケデリクスの門戸を開くことは重要になってくるだろう。サイケデリクスは悟りへの道を開くことに加え、深い治癒と変容をもたらす優れた存在でもあるのだ。それを賢明な形で使わない手は本来ないだろう。フローニンゲン:2023/10/10(火)19:51

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