【フローニンゲンからの便り】19166-19168:2026年8月26日(水)

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タイトル一覧
19166 | サッカーにおける抽象を具体的現実と取り違える誤謬 |
19167 | 今朝方の夢 |
19168 | 今朝方の夢の振り返り |
19166. サッカーにおける抽象を具体的現実と取り違える誤謬
昨日ふと、ホワイトヘッドの「the fallacy of misplaced concreteness」という言葉について考えていた。日本語にするなら、「抽象を具体的現実と取り違える誤謬」と訳すのが、一番しっくりくる。何かを理解するためにモデルや数字を使うこと自体が問題なのではない。むしろ人間は、複雑すぎる現実をそのまま把握できないからこそ、カテゴリーをつくり、数字に置き換え、図式化する。ただ、その地図を眺めているうちに、いつの間にか地図そのものを土地だと思い込んでしまう。ホワイトヘッドが指摘したのは、まさにこの瞬間なのだと思う。サッカーを考えると、この誤謬は至るところに潜んでいる。たとえばxGが分かりやすい。あるFWのxGが高ければ、その選手が良い得点機会に多く関与していることは理解できる。しかし、xGという数字がそのまま「その選手の価値」になるわけではない。相手DFを引きつける動き、味方にスペースを生み出すランニング、試合の流れを読む能力、精神状態など、数字の網目からこぼれ落ちるものは無数にある。それでも数字には不思議な説得力があり、小数点まで表示されると、まるで現実そのものを捕まえたような気分になる。精密さが真実らしさの仮面を被るのである。フォーメーションも同じだと思った。「4-3-3」という言葉を聞けば、頭の中には整然と並んだ11人の配置図が浮かぶ。しかし実際のゲームでは、その形は水面の模様のように絶えず変化している。ビルドアップでは3-2-5になり、守備では4-4-2になり、選手同士の距離や相手の動きによって瞬間ごとに別の構造が生まれる。「このチームは4-3-3である」という説明は便利だが、それは試合という生き物から一枚の静止画を切り取っただけなのである。育成年代の選手を見るときには、さらに慎重になる必要があるとも感じた。15歳の時点で足が速い、得点数が多い、フィジカルテストの数値が高い。こうした情報から「将来性が高い」と判断することはできる。しかし、その数字を本人そのものだと考え始めた瞬間、未来の可能性を現在の測定値の檻に閉じ込めてしまう。身体的成熟の時期も違えば、学習速度も、環境との相互作用も違うからである。そして、この発想は理論を使う自分自身にも返ってくる。成人発達理論を使って「この選手はこの発達段階にいる」と理解したとしても、そのラベルが選手本人になるわけではない。理論は望遠鏡のようなものであり、遠くを見る助けにはなるが、望遠鏡の中に世界が存在しているわけではない。良い理論を持つこと以上に、「これは現実そのものではない」と忘れないことが大切なのだと思う。サッカーを見る力とは、モデルを捨てることではなく、モデルを使いながら、その外側にいつも広大な現実が残っていることを感じ続ける力なのかもしれない。フローニンゲン:2026/8/26(水)07:25
19167. 今朝方の夢
今朝方は夢の中で、ホテルのラウンジである映画に出演していた。最初私は、映画の撮影がなさていることを知らず、しかも自分が登場するのは映画のラストの感動的なシーンであることを知らなかった。しかも、そのシーンを作っているのは自分で、非常に重要な役を担っていることにも後から気づいた。ラウンジでは、外国人の2人の女性の経営者を前にして、隣に相棒の外国人の男性がいて、私たちは彼女たちに経営上の交渉を行なっていた。ラストシーンは、自分の説得が通り、見事交渉が成立するという場面だった。自分自身もその交渉がうまくいったことに深く感動していたのだが、後からそれが映画のラストシーンであることを知らされた時、その感動が鑑賞者側にも伝わるといいなと思った。人生にはこのように、何かが大きく動き出す瞬間があるのだと実感した次第である。ラウンジを離れ、ホテルの外に出ると、そこで小中高時代のある親友(HO)と出会い、彼に声をかけられて少し話をしていると、ホテルの前に車でまた別の親友(NK)がやって来た。車から彼は、「乗っていく?」と声をかけてくれたが、バスで待ち合わせをしている別の友人がいたので、丁重にその申し出を断った。友人が乗っているバスがやって来たのでバスに乗り、すぐさまその友人を見つけて、先ほどの映画の撮影の話をした。すると、その場にいた全員がその映画に関心を持ってくれ、自分の功績を褒め称えてくれた。その喜びに浸っていると場面が変わった。
次に覚えているのは、脳内でイメージしたことが全て身体を通じて実現できてしまうという自分が持つ特殊な能力について何人かの友人に話をしている場面である。彼らは勉強にせよ、運動にせよ、その能力を心底欲しがっており、色々と質問をしてくれた。自分は彼らの質問に懇切丁寧に答えることによって、彼らにその能力の伝達をしようとしていた。イメージしたことが身体を通じて完全に表現できてしまうというのは、何をするにも重要な能力であり、彼らに説明をすればするだけ、自分のその能力がさらに高まっていくのを感じた。フローニンゲン:2026/8/26(水)07:41
19168. 今朝方の夢の振り返り
今朝方の夢は、自分の人生がいよいよ「準備してきたものを舞台上で実現する局面」へ入りつつあることを象徴しているように思われる。とりわけ印象的なのは、自分が映画に出演していることも、自分がラストシーンを担っていることも、最初は知らされていなかった点である。これは、人生の重要な転換点というものが、必ずしも大きな看板を掲げてやって来るわけではなく、日常の延長線上で静かに始まり、後から振り返った時に「あれが物語の転換点だった」と気づく性質を示しているのかもしれない。ホテルのラウンジは、一時的な滞在と次なる場所への移動が交差する中間領域の象徴であるように思われる。そこで外国人女性経営者と交渉していることは、自分がこれまで慣れ親しんだ環境の外側で、新しい価値体系や社会的ルールを持つ相手と対等に渡り合う段階に入りつつあることを暗示しているのではないか。しかも交渉を成立させる中心人物が自分である。これは、誰かに選ばれて舞台に立つというより、自分自身の言葉、知性、説得力によって現実を動かす力が成熟してきたことの表現とも考えられる。さらに興味深いのは、その成功が単なる個人的達成ではなく「映画のラストシーン」として他者に見届けられることである。自分は成果そのものだけでなく、その瞬間が誰かの心にも届くことを願っている。ここには、人生を個人的成功の集積としてではなく、他者へ意味を伝達する一つの作品として生きようとする意識が現れているのかもしれない。人生という映画の中で、自分は俳優であると同時に、脚本家であり、演出家でもあるという構造である。ホテルを出た後に小中高時代の親友たちが次々に現れることも重要である。大きな転換の直後に過去の友人が現れるのは、新しい自分が古い自分を切り捨てるのではなく、これまでの人生史を背負ったまま次の章へ移動することを示しているように思われる。NKの車への誘いを断り、別の友人との約束を守ってバスに乗る場面には、自分が魅力的な別ルートを提示されても、自ら選んだ進路を尊重する姿勢が表れているのではないか。車が個人的で自由な移動を象徴するとすれば、バスはより大きな流れに参加する移動手段である。自分はいま、個人的な近道よりも、既に選択した人生の流れに乗ることを選んでいるのであろう。そして後半の「イメージしたことを身体を通じて実現できる能力」は、この夢全体の核心であるように思われる。それは単なる超能力ではなく、内的表象と外的現実との距離が縮まっていく象徴ではないか。頭の中で構想したものが、言葉、身体、行動を通じて現実化される。これは楽器の演奏家が頭の中の音を指先から直接響かせる状態にも似ている。思考と身体の間にあった厚いガラスが次第に透明になりつつあるのである。しかも、その能力は他者に説明するほど高まっていく。ここには、自分の成長が自己完結的な修練によってだけ進むのではなく、教えることによって完成度を増していくという構造が示されているように思われる。自分が獲得した知識や技能を言語化し、他者に手渡そうとするとき、それまで暗黙的だった能力が整理され、さらに自分の身体へ深く沈み込んでいくのである。この夢全体は、いわば「内なる脚本が現実の舞台装置と噛み合い始める瞬間」を描いた夢なのかもしれない。これまで自分の内部で長く準備されてきた知識、技能、表現力、人との関係性が、ばらばらの部品ではなく一つの機械として動き始めようとしている。そして重要なのは、その機械が自分だけを運ぶ乗り物ではなく、他者にも何かを伝え、渡し、動かしていく装置になりつつあることである。夢のラストシーンが告げているのは、何かが終わること以上に、自分自身が「現実を動かす側」に回り始めたという、新しい物語の幕開けなのであろう。フローニンゲン:2026/8/26(水)08:21
Today’s Letter
This perceived reality is made of dream-stuff. At every moment, a new dream emerges. I feel at ease, floating within this ever-unfolding dream. Groningen, 8/26/2026



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