【エディンバラ大学からの便り】19259-19264:2026年9月18日(金)

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タイトル一覧
19259 | 今日のSprint8から/イギリスの大学院のユニークなカリキュラム構成 |
19260 | 今朝方の夢 |
19261 | 今朝方の夢の振り返り |
19262 | ふと思い出した夢の断片とその解釈 |
19263 | 学期中の文献読解の方向性/英語のプレゼンに関して |
19264 | エディンバラ大学の図書館のシステム/論文執筆の理想的なペース |
19259. 今日のSprint8から/イギリスの大学院のユニークなカリキュラム構成
時刻はちょうど午前7時を迎えた。昨日まで連日開催されていたオリエンテーション・ウィークは刺激に満ちていた一方で、新しい人に数多く出会い、大量の情報を得たこともあり、目ない形で披露していたのかもしれない。ゆえに今朝方は、いつも以上の睡眠を取っていた。午前6時の段階で、いつものようにアパートメントのジムに行ったところ、今日はその時間でも先客はいなかった。金曜日の朝は、意外とみんなゆったりとしているのかもしれないと思った。今日のSprint8のトレーニングでは、最後のラウンドで、時速16.1kmからさらに上げて、自分がどれくらいの速さなら30秒間スプリントできるのかを試したところ、時速18.0kmであればなんとかこなすことができると思った。しかし、それを8回にわたってこなすことはまだ難しく、最初からその速度以上を求められるレベル20に到達するのはしばらく先のことだと思ったし、これは本当にプロアスリートが行うレベルのものなのかもしれないと思った。今のレベルは16だが、今日実験した限りだと、着実にこれからトレーニングを重ねていけば、レベル18までは辿り着ける感触があった。
色々な国の大学で学ぶというのは、本当に刺激に満ちており、何歳になっても発達余地を見せてくれる。また、新たな刺激は好奇心をさらに育む最良の機会となっている。いつまでも脳を新鮮に保ち、一生涯発育させていく上で、外国での教育は非常に有益なように思う。今回自分は初めてイギリスで教育を受けるのだが、厳密にはスコットランドとイングランドでは、若干教育制度が違う。学位の呼び方や年数を含め、色々と違いがある点が面白い。両国の大学院で共通している点として、アメリカやオランダになかった興味深いものがある。それは何かというと、アメリカやオランダでは、コースワークと並行して、2年間のプログラムであれば2年目の最初から、1年間のプログラムであれば入学して間もない時から修士論文の研究に取り掛かる。これが当たり前だと思っていたのだが、イギリスではそうではない。全てのコースワークを終えてから、およそ3ヶ月ぐらい修士論文の執筆だけに充てられる期間があるのである。今回の自分の場合で言うと、9月から12月初旬までの前期のセメスターでコースを3つ受講し、1月初旬から4月初旬までの後期のセメスターでも同様にコースを3つ受講する。後期のコースの最終課題を提出し終えた4月終わりから5月頃から8月の頭にかけて修士論文を執筆していくのである。もちろん自分はアメリカとオランダの形式に慣れているのだが、イギリス型の方がコースワークと論文の執筆のそれぞれに集中できるので有り難いと思った。こうした違いに出会えたのは喜ばしいことであった。エディンバラ:2026/9/18(金)07:12
19260. 今朝方の夢
今朝方は夢の中で、開店間もないビューティーショップの前にいた。昼前ぐらいの雰囲気で、天気が良かったこともあり、街全体に良いエネルギーが流れている感じがした。そんな中、店から1人の小柄な若い女性の店員が出てきた。道ゆく人に店の勧誘をするのかと思いきや、彼女は満面の笑顔を浮かべて、誰にも声をかけることなく、店の商品を小さなブースに設置していった。彼女の笑顔に引き寄せられて、気づけば少しずつ道ゆく人々が彼女と商品の両方に関心を示し始めた。その光景を見て、どこか爽やかな気持ちとなった。ブースに並べられている商品を見て、以前使っていたスカルプシャンプーがあり、もう一つ違い種類のものがあったので、そちらを試してみようと思った。
もう一つ覚えているのは、横浜高校が甲子園の決勝戦を戦っている場面である。マウンドには、大リーグでも活躍した横浜高校出身のある著名なピッチャーがいて、彼が連戦を疲れ知らずで投げ続けていることを解説者が褒めちぎっていた。自分もそれが本当にすごいことだと思い、若い体に宿る体力の強靭さを思った。試合を観戦していると、球場近くの高いビルの屋上に見慣れた姿があった。そこには往年の名俳優の男性たちが数人いて、屋上の柵越しに試合を観戦していたのである。身を前に投げ出しすぎているように思え、少し危ない感じがしたが、彼らも自分と同じく、試合を大いに楽しんでいるようだった。自分の視点が球場からズームアウトされ、隣にある大型のショッピンモールに移った。どうやらそこは数年前に開店したばかりらしく、とても綺麗で、毎日多くの人が訪れているようだった。このような場所に野球場があることを驚いたが、野球観戦とショッピングの相乗効果があるのだろうと想像した。エディンバラ:2026/9/18(金)07:41
19261. 今朝方の夢の振り返り
今朝方の夢には、自分の内側で進みつつある「新しい生命力の立ち上がり」と、それを外界へどのように流していくかという主題が二重写しになって現れているように思われる。最初のビューティーショップは、まさに開店したばかりである。この「新しさ」は、最近の自分の生活環境や学びの場が刷新され、新しい人生周期に入ったことを象徴しているのかもしれない。しかも店員の女性は、通行人を追いかけて商品を売ろうとはしない。ただ笑顔で、自分の扱うものを丁寧に並べている。その姿は、自分が何かを伝える際の理想的な在り方を映しているようにも見える。人を説得するのではなく、自分が大切にしているものを静かに差し出しておけば、それに必要な人が自然と近づいてくる。その様子は、花が蜂を説得して蜜を取りに来させるのではなく、ただ咲くことで蜂を招く姿に似ている。そこで自分が以前使っていたスカルプシャンプーとは別の商品を試そうとするのも興味深い。髪や頭皮は象徴的には思考や知性と結びつきやすく、これはこれまで有効だった知的習慣を捨てるのではなく、別の方法で「頭を洗う」時期に入ったことを示しているのかもしれない。研究や学習についても、過去の方法を反復するだけでなく、新しい土地、新しい学問環境の中で思考そのものを更新しようとしているのではないだろうか。後半の甲子園は、それとは対照的に、鍛錬と持続力の世界である。疲れ知らずに投げ続ける若い投手は、自分の中に存在する強靭な推進力の象徴かもしれない。新生活、研究、仕事、身体鍛錬、音楽など、複数の領域を動かし続ける現在の自分にとって、その投手は「まだ投げられる」という生命力の像として現れた可能性がある。しかし、ここには微かな注意も潜んでいるように思う。連投を称賛する解説者の声は、疲労さえ超越して進み続けることを美徳とする内なる声でもあり得るからである。その一方、高層ビルの屋上から身を乗り出して観戦する往年の名俳優たちは、成熟や老いの側から若い生命力を眺める存在のように見える。若さそのものになるのではなく、歳月を重ねてもなお試合を楽しむことができる。自分の人生においても、本当に必要なのは永遠に若い投手であり続けることではなく、いつか屋上から試合を眺める側になっても、世界への好奇心を失わないことなのかもしれない。最後に視点が球場からショッピングモールへ大きく引いていく構造は重要である。夢は自分に、一つの競技だけを見るのではなく、その競技が存在する都市全体を見る視点を与えているようである。研究も仕事も音楽も身体鍛錬も、それぞれ単独の球場ではなく、一つの大きな生活圏の中に配置されている。今回の夢は、自分の人生が今、一つの専門だけを深く掘る段階から、複数の活動が互いに人を呼び込み、活気を生み出す「街」へと変わりつつあることを告げているのかもしれない。エディンバラ:2026/9/18(金)08:25
19262. ふと思い出した夢の断片とその解釈
ふと、今朝方の夢の断片的な部分を思い出した。見知らぬ関西出身の中年の男性にギターの助言を得ている場面である。自分は彼から助言を求めようと思っていなかったのだが、彼が突然ギターを取り出して演奏を始め、自分の体が自然とそれに乗せられて演奏を始めた。彼が取り出したギターはウクレレぐらいの大きさで、普通のギターよりも小さく、弦の数も少なかった。彼の演奏はエレキギターやアコギの感じの演奏で、自分のスタイルであるクラシックとは随分と違った。そうしたこともあり、自分の演奏は幾分ぎこちなく、戸惑いがあった。演奏終了後、彼は自分に対して、より指が滑らかに動くトレーニングをした方がいいと助言をした。自分にとってみれば、仮に楽譜を渡してもらい、クラシックのスタイルに則ることができたら、普段通りの演奏ができたのにと思った。しかし、スタイルの違いはあれど、彼の助言も一理あるかと思ったので、彼の言う通りに演奏してみようと思った。
この夢は、自分の中で「型」と「即興性」の関係が組み替えられつつあることを象徴しているように思われる。見知らぬ関西出身の中年男性は、自分が普段依拠しているクラシックギターの世界とは異なる音楽文化から現れた「異質な教師」のような存在である。しかも自分から助言を求めたわけではなく、彼の演奏に身体が自然と反応してしまう。この構造は、頭で選び取る以前に、自分の身体や無意識が新しい演奏様式を学び始めていることを示しているのかもしれない。彼のギターが小さく、弦も少ないことも象徴的である。これは、複雑な技術体系をいったん削ぎ落とし、より単純な素材から音楽を生み出すことへの誘いではないだろうか。楽譜やクラシックの規範があれば普段通り演奏できるという自分の思いは、「整備された道なら速く走れる」という現在の自分の強みを表している。しかし夢の教師が求めているのは、舗装道路を走る能力ではなく、地図のない場所でも身体が自然に動ける柔軟性なのかもしれない。「指を滑らかに動かすトレーニング」という助言も、単なる技巧以上の意味を持っているように思う。指とは、自分の意図を現実へ運ぶ末端である。その指が滑らかになることは、頭で考えたものと身体から生じるものの間の抵抗が減ることを象徴している可能性がある。そして何より重要なのは、自分が反発せず、「一理ある」と受け入れた点である。これは、自分のクラシックという中心軸を失う夢ではなく、その軸を保ちながら異質な技法を吸収し始める夢なのだろう。即興演奏を深めようとしている現在の自分にとって、夢は「型を捨てよ」ではなく、「型の外でも動ける身体を育てよ」と告げているように思われる。エディンバラ:2026/9/18(金)09:23
19263. 学期中の文献読解の方向性/英語のプレゼンに関して
いよいよ来週から本格的に授業が始まる。最初のセメスターのみならず、後期のセメスターにおいても、学期期間中は、課題文献に集中した方が賢明そうだ。課せられる文献の数も多いし、それぞれのコースで得られることを最大化したいので、唯識研究に関する文献は、夜寝る前に30分ぐらい読むことや、週末に余裕があれば読むことにする。また、12月の冬休みに集中的に読むことによって、一気に知識を深めることができるだろう。唯識に関する文献読解をあえて寝かせることで、然るべき発酵を待ちたい。
「Envisioning Buddhist Studies: Methods and Themes」という必修コースの成績評価は、10%がプレゼンテーションで、残り90%がファイナルペーパーとなっている。オランダで80%以上の成績を取ることはかなり難しかったが、イギリスにおいても同様かさらに厳しい成績評価システムがあるらしく、70%以上のAを取得するのは稀とのことである。アメリカでいうところのAは、イギリスだとBに該当することを、昨日のオリエンテーション・セッションの中で学んだ。今回の仏教プログラムでは、上記のコースを除けば、自分が得意とするライティングのみで成績評価が決まるので、できるだけ良い成績を収められるようにしたい。70%以上のA3を取得するのがどれだけ難しいのか、自分をストレッチさせて挑戦したい。上記のコースにおけるプレゼンテーションは今のところ、仏教哲学に関するセッションの際に担当できたらと思っている。自分の研究は、仏教の哲学的な側面に踏み込んでいる点と、必読文献ではないが、推薦図書に挙がっている西谷啓治の思想について土地勘があるので、この回にプレゼンテーションできると嬉しい。英語でプレゼンテーションすることは、幸いにももはやほとんど抵抗はなく、むしろプレゼン資料の作成は、作曲活動と同じぐらいの創作の楽しみがある。そして、実際のプレゼンテーションは、自ら作った曲を人前で演奏する楽しさもある。そうした形で英語の学術的プレゼンテーションに楽しさを感じられるようになっているのは、この15年間の欧米生活による成長の証だろう。エディンバラ:2026/9/18(金)09:38
19264. エディンバラ大学の図書館のシステム/論文執筆の理想的なペース
昨日得た情報として、メインの図書館で借りた本は、わざわざそこに返却する必要はなく、いくつかの区分に分かれた同じエリア内の図書館であれば、どこにでも返却していいとのことだった。幸いにも、オールド・カレッジにあるメインの図書館と神学部があるニュー・カレッジの図書館は、同じエリアに括られているので、書籍の返却は神学部の図書館で行いたいと思う。自宅からも幾分そちらの方が近いのでありがたい。
少し先になるが、来年の5月から本格的に集中的に執筆を始める修士論文は、15,000字が字数制限となっている。毎日300字ずつ執筆していけば、50日で完成し、250字だったとしても60日で完成する。特定の日にまとめて執筆するのではなく、クラシックギターを毎日必ず練習しているのと同じく、論文執筆も毎日の習慣としたい。その際には、負荷量が大きすぎる分量だと毎日継続できないので、上記ぐらいの若干少ないと感じるぐらいの分量を毎日書いていくことが理想的である。この習慣を身につけることができたら、博士論文やポスドク以降の論文執筆にも活かせる。博士論文は、80,000字から100,000字とのことだが、この分量だけ見ると面食らう人もいるかもしれないが、上述のように、仮に毎日250字ずつ執筆していけば、400日で完成する。イギリスの博士課程は、フルタイムの場合、3年間の期間があるが、このように毎日執筆していけば、1年とちょっとで博士論文を書き上げることもできてしまう。特に自分のように、すでに研究テーマが明確で、扱う文献も研究手法も明確な場合、本当にそれくらいの期間で執筆を終えることができるのではないかと思う。こうして早めにドラフトを完成させることができれば、より良い論文に仕立てていくための時間が十分にあるし、博士論文に加えて、より短めの査読付き論文を積極的に執筆していくこともできる。近い将来を見据えると、今からとてもワクワクする。こうしたワクワク感を得られるのもまた新天地で研究生活を始めたからだろう。エディンバラ:2026/9/18(金)09:48
Today’s Letter
One of my cohort members told me that studying can also be a form of meditation. I think that’s true. When I study, I try to focus as deeply as possible. I prefer a quiet environment, and I don’t need music while studying. Edinburgh, 9/18/2026


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