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【フローニンゲンからの便り】19131-19133:2026年8月16日(日)

  • 8月18日
  • 読了時間: 7分


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タイトル一覧

19131

もう一つの母国語としての即興演奏

19132

今朝方の夢

19133

今朝方の夢の振り返り

19131. もう一つの母国語としての即興演奏

                         

今朝方、即興演奏について考えていて、ふと、これは楽器を使った「一人語り」に近いのではないかと思った。クラシックギターでもピアノでも、その瞬間に感じていることや、頭の中に浮かんだテーマを、音という言語を使って話しているのである。考えてみれば、母国語で話すとき、自分はいちいち文法規則を思い出してはいない。「次は主語、その次は動詞」と考えながら会話しているわけではない。伝えたいことが先にあり、それにふさわしい言葉や文型がほとんど無意識に選ばれていく。即興演奏も、おそらく最終的にはこの状態に近づいていくのだと思う。そう考えると、音階は語彙に似ている。コードやコード進行は文法であり、リズムは語り口、アーティキュレーションや強弱は声色である。そして短いモチーフは、一つの単語というよりも、「そういえば」「ところで」「しかし」のような、意味を帯びた小さなフレーズなのだろう。同じモチーフでも、音域を変えたり、リズムを変えたり、最後の音だけ変えたりすれば、意味のニュアンスが変わる。これは同じ内容を別の言い回しで語ることに似ている。ここから考えると、即興演奏の練習で重要なのは、単に大量のスケールを覚えることではなさそうである。外国語学習でも、辞書を丸暗記しただけでは会話はできない。必要なのは、覚えた語彙を実際の文脈の中で何度も使い、「この状況ではこの言葉が自然に出てくる」という身体的な回路を作ることである。音楽でも同じで、Cメジャースケールを上下するだけではなく、その中の3音や4音を使って小さな問いを作り、それに別のフレーズで答える。短いテーマを提示し、繰り返し、少し変形させ、しばらく離れてから再び戻ってくる。そうした練習をすると、音が次第に「単語」から「意味のある発話」へ変わっていくのではないかと思う。また、話すためには沈黙も必要である。母国語でも、一息もつかず単語を並べ続ければ、何を言いたいのかわからなくなる。音楽も同様で、休符は空白ではない。句読点であり、呼吸であり、相手に意味を受け取ってもらう時間である。即興が上手な人ほど、たくさんの音を出せる人というより、どこで黙るべきかを知っている人なのかもしれない。さらに大切なのは、演奏する前に「何を話したいか」を持つことだと思う。悲しさ、静けさ、期待、戸惑い、懐かしさでもよい。あるいは「朝の光が少しずつ部屋に入ってくる」という映像でもよい。テーマがあれば、音の選択には方向が生まれる。コードもスケールも、そのテーマを語るための道具になる。クラシックギターでは一本一本の弦の響きや余韻を使って、親密な独白をすることができる。ピアノでは広い音域と複数声部を使い、まるで一人で複数の登場人物を演じるように語ることもできる。それぞれ発音の仕方は異なるが、根本は同じなのだろう。目指したいのは、「正しい音を瞬時に選べる人」ではなく、「音で考えられる人」なのだと思った。母国語で自分の考えを自由に語れるように、楽器を手にした瞬間、その日の気分や考えていることが自然に音となって流れ始める。即興演奏の学習とは、結局のところ、もう一つの母国語をゆっくり身体の中に育てていく営みなのかもしれない。フローニンゲン:2026/8/16(日)08:10


19132. 今朝方の夢

                                    

今朝方は夢の中で、屋外のフットサルコートで試合に向けたウォーミングアップをしていた。準備万端と思ったところで、気づけば列車の中にいた。不思議なことに、その列車は家のように広く、大きなバスタブがあった。人が数人ほど入れるぐらいのバスタブにお湯を張り始めたところ、近くにいた男性が声をかけてきた。その人に言われて初めて気づいたのは、自分学生服を着ていたことである。制服のままバスタブに浸かりそうだったので、それを脱いで入らなければならないと思った。そこからは、この人生で何を選択し、何を実現したいかを取捨選択することの重要性について2人で語り合った。


もう一つ覚えているのは、理想のプロジェクトについてインタビューを受けている場面である。自分はそこで、新しい人や新しい事物との出会いが重要であることを伝えた。インタビューアーはそれを面白く思ったようで、そこからもいくつかの質問を投げかけてくれた。質問に答えることを通じて、自分の中で新たな考えがどんどんと生まれ、既存の考えがどんどんと整理されていく感覚があった。あるテーマやトピックについてこうして人に語ることの重要性を改めて感じた次第である。


今日はこれらの夢を見ており、起床してしばらくあえてベッドの上で目を閉じて、ドリームインキュベーションの実践をしてみたところ、夢の内容がするすると思い出されたり、再び同じ夢にアクセスできる現象が不思議であった。この現象についてはさらに深く知りたいと思う。フローニンゲン:2026/8/16(日)08:20


19133. 今朝方の夢の振り返り

                             

今朝方の夢には、これから始まる新しい人生の局面に向けて、自分が何を持っていき、何を脱ぎ捨て、何を新たに迎え入れるのかを選別する過程が、非常に鮮明な形で表れているように思われる。最初のフットサルコートは、自分がすでに十分な準備を終え、いよいよ実践の場へ踏み出そうとしている状態を象徴しているのではないだろうか。ウォーミングアップとは本番そのものではないが、本番へ向けて身体と意識を調律する行為である。ところが試合が始まる前に突然列車へ移動する。この転換は、自分が何かと競う段階から、人生そのものの移動を引き受ける段階へ移りつつあることを示しているように見える。興味深いのは、その列車が単なる交通手段ではなく、家のように広いことである。通常、列車とは目的地へ向かうための一時的な空間である。しかし夢の列車には生活空間があり、巨大なバスタブまで存在する。これは今後の自分にとって、移動することそのものが生活になっていく可能性を象徴しているのかもしれない。人生が駅から駅へ運ばれる一本の線路ではなく、走りながら住み、学び、変容していく移動式の家へ変わりつつあるのである。その中で学生服を着ているという発見は象徴的である。学生服とは、学ぶ者としての自分を表すと同時に、一定の制度や過去の役割を身体にまとわせる衣服でもある。それを着たまま湯に入ろうとするところで男性から声をかけられる。湯は浄化や再生を象徴すると考えられ、学生服を脱ぐ必要に気づいたことは、これまでの学習者としての自己像を捨てるというより、それを一度外側に置き、より裸の状態で次の変容へ入る必要性を示しているのではないだろうか。制服は過去から与えられた輪郭であり、湯はまだ形を持たない未来である。両者の境界で交わされた人生の取捨選択についての対話は、まさに自分の内側で進行している編集作業を映したもののように思われる。もう一つのインタビューの夢も、この編集という主題につながっている。理想のプロジェクトについて問われた自分が、新しい人や新しい事物との出会いを重視している点は重要である。自分にとって創造とは、完成された内面から何かを取り出すことではなく、異質なものとの接触によって未知の思考が発火することなのかもしれない。インタビューアーから質問されるたび、新しい考えが生まれ、既存の考えまで整理されていく。それは、他者が鏡というより触媒として働いていることを示しているように思われる。語るという行為は、すでにある考えを運搬する容器ではなく、考えそのものを生成する炉なのである。起床後、目を閉じたまま夢へ再び近づくことで記憶が次々と戻ってきた現象も、今回の夢の構造と響き合っているように感じられる。夢は完全に消えてしまうのではなく、覚醒という岸辺から少し離れた場所に、薄い霧の島のように残っているのかもしれない。身体を動かさず、外界の刺激を増やさず、再びその島へ注意を向けることで、切れかけた橋がつながり直したのであろう。今回の夢全体は、自分に対して「次の目的地へ急ぐだけではなく、移動の途中で何を脱ぎ、何を選び、誰と出会い、何を語るのかを意識せよ」と告げているように思われる。人生の列車はすでに動き始めており、その車内で自分自身の未来を編集する時間が始まっているのである。フローニンゲン:2026/8/16(日)08:34


Today’s Letter 

Dream incubation could be a great technique for recalling dreams and deepening my understanding of their meaning. I tried it this morning, and I’m still thinking about how I can cultivate this technique. Groningen, 8/16/2026

 
 
 

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