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【フローニンゲンからの便り】19118-19122:2026年8月13日(木)

  • 8月15日
  • 読了時間: 12分


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タイトル一覧

19118

サグレラスの教則本との向き合い方

19119

今朝方の夢

19120

今朝方の夢の振り返り

19121

自分の中にある音楽へアクセスすること

19122

書籍との別れ、そして新たな素晴らしい出会いを願って

19118. サグレラスの教則本との向き合い方

                          

昨日、サグレラスの教則本1巻から6巻までを、単純に順番どおり終わらせるのではなく、先取りと復習を組み合わせながら螺旋状に学んでいく方法について考えていた。たとえば2巻を主に練習している時期なら、2巻だけに集中するのではなく、1巻を復習しつつ、3巻を少し先取りするのがよさそうである。感覚としては、現在の巻に半分ほどの時間を使い、以前の巻に2割、次の巻に2割、残りを即興に充てるくらいがちょうどよいのかもしれない。こうすると、今いる場所だけでなく、来た道とこれから進む道を同時に見渡せる。復習では、単に弾けるかどうかを確認するだけではなく、どこまで自由に扱えるかを意識したい。1巻の曲を弾いたあとに、旋律の終わり方を変えてみたり、伴奏だけ残して別の旋律を作ってみたりする。こうした遊びを入れることで、過去に学んだ曲が単なる保存された知識ではなく、自分の音楽語彙に変わっていくように思う。先取りについては、完成を求めすぎないことが大切である。3巻の曲を先に見るとしても、全部を弾ける必要はない。数小節だけ触れて、何が難しいのかを観察する。右手なのか、左手なのか、声部の処理なのか、和声感覚なのか。それが分かれば、今の巻に戻ったときに何を重点的に鍛えるべきかが見えてくる。先取りとは、未来を急いで攻略することではなく、未来から現在を照らす作業なのだろう。一回の練習でも、現在の巻、復習、先取り、即興という流れを作りたい。現在の巻では精度や脱力、音色を整え、復習では過去の曲を自由に扱い、先取りでは未来の課題を観察する。そして最後に、その日に弾いた旋律や和声を材料にして短く即興する。この循環ができれば、一冊ごとの区切りがだんだん薄れていくはずである。週末には、1巻から現在の巻まで一曲ずつ選んで連続して弾いてみるのも面白そうである。そうすれば、自分の成長だけでなく、サグレラスがどのように技術や音楽語法を積み重ねているのかも見えてくる。さらに、ときどき4巻や5巻、6巻も眺めておけば、今の練習がどこへ向かっているのかを感じられるはずだ。結局、1巻から6巻までは一直線の階段ではなく、何度も戻りながら上っていく螺旋階段として使うのがよいのだと思う。上の階へ進むたびに下の階の意味が変わって見える。いつか6巻近くまで進んだあとで1巻に戻れば、最初は単純に見えた旋律の中にも、和声やフレージングの深い原型が見えてくるかもしれない。そのとき、サグレラスは教則本というより、自分の即興を育てるための音楽語彙の地図になっているのだと思う。フローニンゲン:2026/8/13(木)06:45


19119. 今朝方の夢

   

今朝方は夢の中で、大学時代のゼミの友人たちと地方の自然豊かな場所に行き、勉強合宿をしていた。いざ合宿を始めてみると、そこには大学時代のゼミの友人たちだけではなく、小中学校時代の友人たちも何名かいた。移動の疲れがあったのか、そして夜になっていたこともあり、数名の友人たちは大部屋で布団を綺麗に敷いて、仰向けの状態で静かに寝ていた。彼らをそっとしておこうと思い、別の部屋に向かったところ、広く整頓された部屋に、東工大からやって来ている2人のゼミの友人がいた。彼らの背後から声をかけたので、2人は驚いたが、そこから私も彼らの会話に入った。特に私は、彼らが最終学年の最後の学期をどのように過ごすのかが気になっていたので、その点について尋ねた。とりわけどのような授業を彼らが履修するのかに関心があったのだ。2人ともすでに単位を取り終えているようだが、いくつか面白そうな授業を履修すると述べた。自分も同様の考え方を持っていたのだが、そこでふと、果たして自分は卒業単位を取得していただろうかと考えた。そしてどのような授業を履修したいと考えているのかを明確にしたいと思ったので、部屋を離れ、1人歩きながら考えることにした。すると旅館の料亭に辿り着いた。すぐに料亭の女性の方が対応してくれ、ウェルカムドリンクを選ぶことになった。私は直感的に、温かいお茶と水がいいと思ったので、そう伝えた。その方はおもむろに壁の方に歩いて行き、湯呑みにお湯を注ごうとしたのだが、なんと壁にある押しボタンに肩を当ててお湯を出すという変わった作りになっていたので驚いた。あまりうまく押すことができず、お湯の量が少なくなってしまったとのことだったので、自分が試してみることにした。無事にお茶を入れ、案内された部屋に向かって行こうとすると、自分の靴がちゃんとあるかが気になったので、下駄箱に戻った。案の定、靴がなくなっていて、小中学校時代の友人の誰かの仕業だと思った。その際に、ある友人の顔が脳裏をよぎり、彼が犯人だと突き止めたら、懲らしめておかないといけないと思った。

次に覚えているのは、見慣れない大型書店にいる場面である。そこでなんと、平積みされている書籍がピアノの鍵盤のように音を出すことに気づき、真正面の棚の背後にいるピアニストの女性の知人と一緒にデュオを演奏することになった。自分はピアノの経験がないので、即興的にそれらしく演奏し始めたところ、意外と板についているように思えたが、どこまでいっても初心者なので、経験者から見れば一目瞭然だろうと思った。しかし、こうして即興演奏をしていると、ピアノの魅力に改めて気づき、ここから日々練習を積み重ねていけば、想像を遥かに超えた領域に到達できるような気がした。フローニンゲン:2026/8/13(木)06:59


19120. 今朝方の夢の振り返り

              

今朝方の夢全体には、「一区切りを迎えた学習者が、次の学び方へ移行していく過程」が映し出されているのかもしれない。舞台が地方の自然豊かな合宿地であり、そこに大学時代だけでなく小中学校時代の友人まで集まっている点は、自分の知的な現在が、過去のさまざまな自己を一つの場所に呼び戻して再編成しようとしていることを示しているように思われる。合宿とは、日常から距離を取り、集中的に何かを学び直す場である。そこに異なる時代の友人たちが同席しているのは、自分の成長史そのものが一つの教室に集められているような構図である。大部屋で友人たちが静かに眠っている場面は、過去の一部がすでに休息に入り、自分の意識の前面から退こうとしていることを象徴しているのかもしれない。それに対して、自分は眠らず、東工大から来た友人たちに「最後の学期をどう過ごすのか」と尋ねている。ここには、単位を取るための学びから、面白いから学ぶという段階への移行が表れているように見える。卒業要件は満たしたのかという不安は、現実的な資格確認というより、「これまでの人生課題を本当に終えたのか」という内的な点検に近いのではないか。卒業を目前にしながら、なお授業を選ぼうとする姿は、学びが義務から自由へ変わる転換点を示しているようである。料亭で温かいお茶と水を選ぶ場面も興味深い。刺激の強い飲み物ではなく、もっとも基本的で身体を整えるものを直感的に選んでいることから、自分が次の段階へ進むために、派手な知識よりも静かな滋養を求めている可能性がある。肩で押す給湯装置は、頭だけでは作動しない学びの象徴にも見える。肩、つまり身体全体を使って初めて湯が出るのである。しかも店の人より自分の方がうまく扱える。これは、他者から提供される学習環境を受け身で利用するのではなく、自分で仕組みを理解し、必要なものを汲み取る力が育っていることを示しているのかもしれない。その直後に靴がなくなるのは重要である。靴は、自分がどこへ進むかを支える「移動の道具」であり、人生の方向性そのものの比喩とも考えられる。小中学校時代の友人の悪戯だと感じた点からすると、過去の古い関係性や反応様式が、現在の前進を一時的に妨げることへの警戒が現れているのかもしれない。犯人を懲らしめたいという感情には、古い自己に対して境界線を引こうとする力強さが表れているように思われる。そして最後の大型書店は、この夢の核心を開いているようである。本がピアノの鍵盤となる光景は、「知識」と「音楽」が融合する鮮烈な象徴である。これまで本は読むもの、音楽は奏でるものだったはずである。しかし夢の中では、知識そのものが音を持ち、自分はそれを即興的に鳴らしている。これは、蓄積した知識を単に理解する段階から、それを素材にして創造する段階へ移りつつあることを示しているのではないか。初心者である自覚を持ちながらも、意外と演奏できる感覚がある点も象徴的である。熟達とは、最初から完成していることではなく、未知の鍵盤に触れながら自分の音を見つけていくことなのだろう。この夢は、自分に「卒業」と「入学」が同時に起きていることを告げているのかもしれない。過去の学びの単位を確認しながら、すでに次の教室の扉は開いている。しかもその教室には決まった教科書がなく、本棚そのものが楽器になっている。自分は今、知識を集める人から、知識を奏でる人へと移行しつつあるのであり、その先には、現在の想像を越える創造的な領域が待っているように思われる。フローニンゲン:2026/8/13(木)07:46


19121. 自分の中にある音楽へアクセスすること


ブランダン・エイカー氏の文章を読んでいて、音楽を学ぶことと、音楽を自分のものとして生きることの間には、思っている以上に大きな距離があるのだと感じた。楽譜を読める。運指も覚えている。難しい箇所を何度も練習し、間違えずに弾けるようになる。それでも、曲全体を通して弾いたときに、どこか自分の音楽ではない感覚が残ることがある。音は合っているのに、音楽になっていない。表現しているはずなのに、その表現が誰かから借りてきた服のように身体になじまない。エイカー氏が言う「音は聞こえるが、音楽が聞こえない」という感覚は、まさにその状態を指しているのだと思う。ここで重要なのは、知識や技術が不足していることが問題なのではないという点である。むしろ真面目な学習者ほど、曲、練習曲、理論、指使い、解釈などを大量に蓄積していく。しかし、それらが互いにつながらなければ、頭の中には音楽の「部品」だけが増えていく。工具箱は豊かになるのに、自分で家を建てることができないような状態である。その結果、楽譜がなければ次に何を弾けばよいのかわからなくなる。これは、音楽を視覚情報から手へ移す能力は育っていても、耳の中にある音を手へ移す能力が十分に育っていないからなのかもしれない。エイカー氏が示唆する「欠けている一つの技能」とは、おそらく耳で音楽を捉え、それを楽器上で再現し、さらに変形しながら自分の表現へと育てていく能力なのだろう。考えてみれば、言語学習にもよく似ている。文法書を何冊読んでも、自分の考えを自然に話せるとは限らない。例文を暗記することと、自分の内側から言葉を生み出すことは別の能力だからである。音楽も同様で、作品を正確に再現する能力と、自分の中で音を聞き、それを外へ取り出す能力は重なりながらも異なっているのだと思う。だからこそ、「もっと曲を覚えなければ」「もっと理論を勉強しなければ」という方向だけに進むと、かえって自由から遠ざかる場合があるのだろう。知識が増えるほど自由になるはずなのに、逆に楽譜や模範演奏への依存が強くなるという逆説が起こり得るのである。最後の「才能が欠けているのではない。ただ音楽性の片側しか教えられてこなかった」という言葉は、特に印象に残った。演奏できない理由を才能の不足だと考える必要はない。単に、読むこと、再現すること、正しく弾くことばかりを訓練し、聞くこと、探すこと、創ることを十分に育ててこなかった可能性がある。もしそうであるなら、これから目指すべきなのは、さらに多くの音楽を「所有する」ことではなく、すでに自分の中にある音楽へアクセスできるようになることなのだろう。楽譜を見て音を出す人から、内側で聞こえた音を楽器に語らせる人へ。その転換こそが、練習を義務から再び遊びへ戻し、音楽を他人の作品の再現から自分自身の言葉へ変えていくのだと思った。フローニンゲン:2026/8/13(木)09:29


19122. 書籍との別れ、そして新たな素晴らしい出会いを願って

              

穏やかな夕日が美しく、そしてそよ風も心地良い。今日は真夏日となり、30度に到達したが、日差しの強さはもう秋のそれに近い。実際に、日の入りの時間も早くなってきていることからもそれが窺える。明日もまた真夏日となるが、明後日からは20度前半までしか気温が上がらなくなり、早くも秋に入ったという感じがする。 フローニンゲンで過ごす10回目の夏が終わりに近づき、新たな季節の幕開けと共に新天地のエディンバラに引っ越すことになりそうだ。当初の予定では、ロッテルダムからロンドンへ列車で行き、ロンドンからエディンバラに列車で移動しようと考えていたが、移動時間の観点から、結局飛行機で行くことにした。飛行機であれば、アムステルダムのスキポール空港からエディンバラの国際空港までわずか1時間半で行ける。こちらの方が遥かに便利で快適である。


今日は、町の古書店の店主のセオさんが再びやって来て、本日をもってして書籍の買取作業が済んだ。半日二日間かけて大半の書籍を買い取ってもらえることになったが、それでも500冊近くの英語の書籍が残っている。また、数百冊の日本語の書籍については、買取先候補を教えてくれるとのことである。自分も段ボールへの梱包作業を手伝ったのだが、その節々に雑談を挟み、セオさんからいくつもの興味深い話を聞いた。セオさんは74歳とのことだが、元気溌剌としていて、健康の秘訣は食事と様々な人と会って話すことだと述べていた。古書店を経営して40年以上となり、その中で様々な人との出会いがあり、書籍との出会いがあったことを興味深く聞いていた。セオさんが古本屋を経営しているのはお金のためではなく、必要な人に必要な本を届ける繋ぎ役を担い、顧客それぞれの人生の物語を豊かにすることだ、という素敵な話を聞いた。今回買い取ってもらった書籍は、きっと必要な誰かのところに届くだろう。車の荷台に積まれた段ボールたちに、最後にこれまでの労いと感謝の言葉を伝えた。そして、その書籍を必要とする誰かとの素晴らしい出会いがあることを願って、書籍との別れを告げた。こうして自分はまた一つ大きなものを手放し、それを通じて、今度は自分にもまた人や事物の素晴らしい出会いがやって来るだろう。そう確信させてくれる別れの時間だった。秋の訪れを感じさせるフローニンゲンの夕暮れ時の太陽はとても美しい。自分はその優しさにこれまで10年ほど包まれて生きてきた。太陽からの有形無形の恵みを存分に受け取り、この土地で涵養された知恵と優しさをこれから様々な人々に届けていきたいと思う。フローニンゲン:2026/8/13(木)16:42


Today’s Letter 

Accessing and cultivating the music that exists deep within me is crucial. Playing someone else’s music isn’t enough to discover my own music. That’s why improvisation is important: it allows me to express myself freely, without restraint. Groningen, 8/13/2026

 
 
 

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