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【フローニンゲンからの便り】19003-19005:2026年7月13日(月)

  • 4 時間前
  • 読了時間: 7分


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タイトル一覧

19003

西田幾多郎の純粋経験とクラシックギターの演奏

19004

今朝方の夢

19005

今朝方の夢の振り返り


19003. 西田幾多郎の純粋経験とクラシックギターの演奏 

                 

昨日、クラシックギターを弾きながら、西田幾多郎の純粋経験について考えていた。純粋経験とは、見る者と見られるもの、弾く者と弾かれる音、考える自分と考えられる対象が、まだはっきり二つに分かれる以前の経験である。そこでは、自分が音を出しているという意識すら少し遅れてやって来る。指が弦に触れ、爪が弦を抜け、音が空間にほどけていく。その一連の出来事が、まるで一つの呼吸のように生じる時、自分は純粋経験の入口に立っているのかもしれないと思った。普段の練習では、自分はすぐにうまく弾こうとする。音が濁っていないか、右手の角度は正しいか、左手に余計な力が入っていないか、テンポは乱れていないかと、意識がいくつもの小部屋に分かれていく。もちろん、その分析は必要である。しかし分析が強くなりすぎると、音楽は生きた流れではなく、解剖台の上に置かれた標本のようになってしまう。西田が言う純粋経験は、そうした分裂の手前にある、まだ温度を失っていない経験なのだろう。特にアルペジオを弾いている時、そのことを強く感じた。親指、人差し指、中指、薬指が順番に動いているはずなのに、うまく流れる時には、それぞれの指が別々に働いている感じがしない。手全体が一つの水車のように回り、弦は水の流れのようにそこを通過していく。自分が弾くというより、音楽が自分の身体を通って自らを鳴らしているように感じられる。その時、主体と客体の境界は少し薄くなる。ギターは外側の道具ではなく、自分の身体の延長でもなく、身体と世界のあいだに開いた小さな場所になる。けれども、純粋経験は単に無心になることではないのだと思う。何も考えずにぼんやり弾くこととは違う。むしろ、技術が身体に深く染み込み、意識が余計な命令を出さなくても、身体が音楽の方向を知っている状態である。そこでは、練習によって積み重ねられた反省が、再び反省以前の自然さへと戻っていく。これは不思議な循環である。意識的に学んだものが、最後には意識を超えて働き始める。まるで地下水が長い時間をかけて岩を通り抜け、ある日、澄んだ泉として地表に現れるようである。昨日の練習で気づいたのは、良い演奏とは自分を強く主張することではなく、自分という輪郭を少し透明にすることなのかもしれないということである。音を支配しようとすると身体は固くなり、音は細くなる。しかし音の生起に身を預けると、身体の緊張がほどけ、音は自然に深くなる。西田の純粋経験とは、演奏においては、音と身体と意識が一つの出来事として立ち上がる瞬間である。その瞬間、自分はギターを弾いているのではなく、ギターとともに世界の一部として鳴っているのである。フローニンゲン:2026/7/13(月)07:46


19004. 今朝方の夢 

                 

今朝方は夢の中で、オランダのある名門サッカーチームに所属していた。海外の別のチームから数年前にこのチームにやって来て、自分は大きく飛躍し、特に今シーズンは大活躍をしていた。その活躍を受けて、さらに上位のビッグクラブに移籍することになった。自分がチームを離れる前に、また別の日本人選手の若手がやって来たので、彼にこのチームのことやオランダリーグのことを全て伝え、彼にバトンを渡した。彼は自分の話をありがたく聞いてくれており、その素直さに感銘を受けた。彼ならきっと自分と同じぐらいの活躍をしてくれるだろうと思った。すると時間が未来に飛び、自分はサッカー選手を引退しており、彼の翌シーズンの活躍を回想していた。彼は期待以上の大活躍を見せ、オランダリーグの得点王になった。前半戦だけであれば、史上最多ゴールのペースだった。後半戦で失速をしてしまったが、見事に得点王に輝き、歴代の得点数でもかなり上位の方に来ていた。彼の活躍を大変嬉しく思っていると、かつてドイツリーグで活躍していた元日本代表のあるストライカーの方と話をすることになった。実はその方との付き合いは長く、最近日本からも優れたストライカーが海外に行って活躍し始めたことを一緒に喜び、その理由について共に考察していた。


もう一つ覚えているのは、オランダ上空の非常に高いところを飛んでいる場面である。もう成層圏間近な場所を夕方に飛行していたのだが、意外と風が強く、空を飛ぶコントロールが難しかった。眼下にちょうどオランダの島が見えたので、そこに着陸することにした。海に浮かぶ島に到着すると、海の上に建てられた施設に行ってみることにした。施設の足元からは海が見え、海で泳ぐ少年たちの姿が目に入った。そこから私はその施設の図書館に行き、調べ物をしたいと思った。図書館に入ると、暖かい太陽の光が差し込んでいる場所から一列下がった書棚に行き、そこに置いてあった机で勉強を開始することにした。図書館は静寂に包まれており、そこであれば集中して勉強ができそうだと思った。フローニンゲン:2026/7/13(月)08:02


19005. 今朝方の夢の振り返り 

                 

今朝方の夢は、自分が長く身を置いてきた環境から次の舞台へ移る際に、そこで培った力を後進へ手渡し、自分自身もさらに高い次元へ進もうとしている心の動きを映しているのかもしれない。オランダの名門クラブは、10年間を過ごした土地そのものでもあり、研究、教育、執筆、生活実践を通じて自分が成長した精神的な母体を象徴しているように思われる。海外の別チームから加入し、今季に大きく飛躍したという経緯は、異郷に根を下ろし、時間をかけて自らの能力を開花させてきた歩みの圧縮された物語であろう。さらに上位のクラブへの移籍は、英国で始まる新たな学問的段階への移行を示している可能性がある。興味深いのは、移籍そのものよりも、若い日本人選手に知識を残している点である。ここには、自分の成功を個人的な所有物として抱え込むのではなく、次の者がより遠くまで走るための助走路として差し出そうとする姿勢が表れているのだろう。バトンとは単なる情報ではなく、異文化の中で生きる知恵、失敗から学んだ感覚、孤独を越える方法など、言葉だけでは完全に伝えきれない身体化された知である。若手選手が期待以上の得点王になる未来は、自分が蒔いた種が、自分の手を離れた後に予想以上の花を咲かせることへの願いを象徴しているのかもしれない。後半戦で失速しながらも頂点に立つ姿には、成長とは一直線の上昇ではなく、勢いと停滞を含む波であるという理解も含まれていそうである。元日本代表のストライカーとの対話は、自分が個人の成功を越え、後続世代の台頭を歴史的な流れとして眺め始めていることを示しているのだろう。自分にとっての得点とは、成果を独占することではなく、誰かが次の一点を決められる位置までボールを運ぶことへと変化しつつあるのかもしれない。もう一つの場面では、自分は成層圏近くを飛んでいる。これは視野が極端に高まり、人生全体を俯瞰できる状態の比喩である一方、高度が上がるほど風の影響を強く受けるという逆説も描いている。高い志や抽象的な思索は自由を与えるが、地上の足場を失わせる危険もある。そこで島へ降りる判断は、飛翔を断念したのではなく、次の飛行のために重力と再契約する行為であろう。海上の施設は、意識と無意識の境界に建つ桟橋のような場所であり、足元の海で泳ぐ少年たちは、理論化される以前の生命力や遊びの感覚を表しているのかもしれない。その後に向かう図書館は、外界の風から離れて内的秩序を回復する場所である。太陽の光が直接当たる席ではなく、一列下がった書棚の机を選ぶ点は印象的である。自分は光そのものを浴びて高揚するよりも、光と影の均衡する場所で静かに学ぶことを求めているのだろう。夢全体は、競技場から空へ、空から島へ、島から図書館へと進む。これは社会的達成から超越的俯瞰へ、さらに沈潜した研究へと向かう魂の航路であり、自分の次の季節が、飛躍と継承、そして静かな集中によって形作られることを示唆しているように思われる。オランダを離れる前に、自分はそこを卒業するのではなく、その土地から受け取った風を新たな帆へ移そうとしているのであろう。フローニンゲン:2026/7/13(月)08:17


Today’s Letter 

Listening to my inner feelings is a doorway to cultivating my mind and body. Turning my attention inward has a transformative power. Groningen, 7/13/2026

 
 
 

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