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【フローニンゲンからの便り】18978-18980:2026年7月7日(火)

  • 7月9日
  • 読了時間: 8分


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タイトル一覧

18978

セルフマッサージを通じて起こった現象についての考察/サハルとフィンと

18979

今朝方の夢

18980

今朝方の夢の振り返り

18978. セルフマッサージを通じて起こった現象についての考察/サハルとフィンと 

                       

今朝、起床して驚いたのは、時刻が午前7時半を迎えていたことである。昨夜もいつも通り午後9時に就寝したので、10時間半も寝ていたことになる。昨日は特に疲労が溜まるようなことをしておらず、むしろ一昨日に思い立ったように、体の様々な部位をセルフマッサージを丹念に行っていた。一昨日と比べて昨日は、マッサージの部位を増やし、時間を増やした。マッサージをしてみると、自分でも気が付かない部位に気付かぬ凝りがあり、そうした箇所を丁寧にほぐしていた。ひょっとしたら、突然行った長時間の緊張のほぐしによって、身体全体がより深い回復を必要としていていたゆえに睡眠時間が長くなったのかもしれない。心身が必要とするだけ睡眠を取ること。それを自分は毎日心掛けている。昨夜から今朝にかけての長い睡眠は、必要不可欠なものだったのだと思う。そのおかげで今は状態がとても良い。今日もまたセルフマッサージを行って、蓄積されている隠れた緊張をときほぐしていきたい。それはクラシックギターの演奏にも良い影響を与えるだろうし、生活全般の質を高めてくれるだろう。


昨日、いつものように近所のオーガニックスーパーに行ったのだが、その帰りに嬉しい遭遇があった。以前同じ敷地内に生活していたインド人の家族サハルとフィンとバッタリ出会ったのである。サハルはオランダ人女性と再婚し、新たにもう1人子供を儲けたので、中央駅の向こう側の住宅地にあるより広い家に引っ越した。フィンは以前よりも大きくなっていて、まず驚いたのは、以前よりも社交的になっていたことである。満面の笑顔で自分に挨拶してくれ、それを見て大変嬉しく思った。弟が新たに誕生したこともフィンの性格をよりオープンなものにしたことに関係しているのではないかと思ったし、純粋に彼の精神的な成長の現れのように思えた。サハルにはエディンバラに引っ越すことを伝え、彼も自分ごとのように喜んでくれた。デロイト時代にもインド人の同僚がいて、彼も性格がものすごく良く、サハルも同じく人情に厚い。自分が知るインド人は尊敬するべき人たちばかりで、インド人への敬意とインドに対する関心が高まる。ちょうど再び、欧米で博士号を取得したら、インドのナーランダー大学で研究を続けたいという思いが再燃していたところだったし、インド音楽を学んでみたいという気持ちが湧いていた。いつかそれが実現するのではないかという予感がする。そもそもサハルとフィンがなぜ街の中心部にいたのか気になったので尋ねてみると、フィンがどうしても欲しいポケモンカードがあるらしく、それを求めて玩具屋にやって来ていたとのことだった。フィンにどのポケモンが好きなのかと尋ねると、自分が知らない新しいモンスターの名前を挙げたので、そのモンスターについて質問すると、どうやらそのモンスターはひょうきんらしく、その点を気に入っているとのことだった。フローニンゲン:2026/7/7(火)08:41


18979. 今朝方の夢

 

今朝方は夢の中で、実際に通っていた高校の一階の教室にいた。そこは高校一年生の時に使っていた場所である。午前中の授業を終え、昼食の時間となったので、気分転換がてら教室ではない場所で昼食を食べようと思った。その時に、屋外で食べるか図書室で食べるかを閃いた。屋外で食べることはより気分転換になるかと思ったが、自分の体は図書室の方に誘導されていた。そもそも図書室でご飯を食べて良いのかわからなかったが、ある後輩が広々とした机で1人でポツンと座りながらご飯を食べていたので、そこで食べても問題ないのだと思った。弁当箱を広げる前に、何か本を持ってこようと思った。すると、小中高時代のある友人(YU)も図書室でご飯を食べにやって来て、彼がある面白い本を紹介してくれた。あとでその本に目を通してみようと思い、椅子に腰掛けると、図書室の天井の屋根がないことに気づいた。とても開放的で清々しい気分になったが、同時に、雨が降ってきたら図書室の本はどうなってしまうのだろうと心配した。どうやら雨が降りそうになったら、自動で屋根が現れるようになっているようだったので、その心配は不要のようで安心した。


次に覚えているのは、大学時代のフットサルサークルのメンバーと一緒に大会に出場しようとしている場面である。そのサークルにはサッカーサークルと掛け持ちの人たちも多く、彼らはサッカーも上手だった。そうしたこともあってか、大会はフットサルではなくサッカーの大会で、初戦がなんとドイツの名門ドルトムントとの対戦だった。おそらく自分たち相手にトップチームを出してくることはないと思ったが、サブチームであってもユースチームであっても強豪であることは間違いなく、対戦が楽しみだった。ドルトムントの監督のイギリス人は、かつてのイングランド代表の名センターバックで、自分は彼と知り合いだったので、試合前に彼に挨拶をした。ウォーミングアップを始めると、自分の体の調子がとても良く、結果はどうなるかわからないが、色々と楽しみな一戦に心を躍らせていた。フローニンゲン:2026/7/7(火)09:09    

  

18980. 今朝方の夢の振り返り 

           

今朝方の夢は、自分の内側で「学びの場」と「競技の場」が静かに接続されていく過程を象徴しているのかもしれない。高校一年生の教室にいることは、精神の原点に戻ることを示しているように思われる。そこは、まだ人生の構造が固まりきる前の場所であり、知性も身体も、これからどの方向へ伸びていくのかを探っていた時期の象徴であろう。午前中の授業を終え、昼食の場所を変えようとする場面には、既存の学習様式から少し離れ、栄養を別の仕方で摂取しようとする心の動きが表れているのではないだろうか。屋外ではなく図書室へ体が導かれることは興味深い。自分の意識は開放性を求めながらも、単なる外気ではなく、書物に囲まれた知の空間を選んでいる。つまり自分は、世界に直接開かれたいと願いながらも、その開かれ方が無媒介な放浪ではなく、知の蓄積を通じた開放であることをどこかで知っているのかもしれない。図書室でご飯を食べてよいのか迷う場面は、知的空間に身体的な欲求を持ち込むことへのためらいを示しているようである。書物の場で食べるとは、知性と身体、思索と生活、精神の糧と肉体の糧を同じ机の上に並べることである。後輩がすでにそこで食事をしている姿は、自分より若い内的部分が、すでにその統合を自然に行っていることを示しているのかもしれない。友人YUが本を紹介する場面には、過去から届く導き手の役割があるように思われる。彼は単なる旧友ではなく、自分の少年期から青年期にかけて形成された好奇心の化身であり、忘れていた本棚の奥から、次に読むべき一冊を差し出す司書のような存在であろう。その本にすぐ飛びつくのではなく、あとで目を通そうと思う点には、今の自分が焦らず、経験を熟成させる態度を身につけつつあることが表れているのかもしれない。そして、屋根のない図書室は、この夢の中心的象徴である。図書室は本来、知を保護する閉じた空間である。しかしそこには天井がなく、青空へと開かれている。これは、自分の学びが閉鎖的な蔵書室から、宇宙に向かって開かれた聖堂へと変容しつつあることを示しているのではないだろうか。本は地上にあり、空は頭上にある。文字は紙に宿り、意味は風にほどけていく。自分の知性は、もはや屋根の下で守られるだけのものではなく、天候そのものと呼吸し始めているのである。ただし雨への心配も生じる。これは、開放性がもたらす脆弱性への感覚であろう。世界に開かれれば、雨もまた入ってくる。だが、自動で屋根が現れるという仕組みは、自分の内側に必要な時だけ境界を作る防衛機制が育っていることを暗示しているのかもしれない。開くことと守ることの調和が、ここでは透明な建築物のように表現されている。後半のサッカー大会は、知の図書室で得た静かな栄養が、身体的・社会的な試合の場へ移行する場面である。フットサルサークルの仲間とサッカー大会に出ることは、小さな場で磨いてきた技術が、より広いフィールドで試されることを象徴しているようである。相手がドルトムントであることは、自分が内面で相当高い基準を相手にしていることを示しているのだろう。勝敗よりも対戦を楽しみにしている点には、結果への執着よりも、強い存在と交わることそのものへの喜びがある。これは研究や音楽や人生の課題に対して、自分が少しずつ競争ではなく対話として向き合えるようになっている兆しなのかもしれない。イギリス人監督と知り合いであることも象徴的である。イングランドの名センターバックは、守備、構造、規律、伝統を体現する人物であり、自分がこれから向かう英国的な知の世界とも響き合っているように思われる。その人物に挨拶できるということは、自分が新たな舞台の門番にすでに認められている、あるいは少なくとも対話可能な位置に立っていることを示しているのではないだろう。この夢の人生における意味は、自分が知の保護空間から、開放された競技場へと移行しつつあるという点にある。屋根のない図書室で食事をし、強豪との試合に胸を躍らせる自分は、学ぶ者であると同時に、世界と実際にプレーする者になりつつある。知性は弁当のように身体へ入り、身体はサッカーのように世界へ走り出す。今の自分に必要なのは、雨を恐れて屋根を閉じっぱなしにすることではなく、必要な時だけ屋根が現れると信頼しながら、青空の下で本を読み、強い相手との試合を楽しむことなのかもしれない。フローニンゲン:2026/7/7(火)09:28


Today’s Letter 

A serene wind passes through me, calming body and mind. I entrust myself wholly to its gentle flow. Groningen, 7/7/2026

 

 
 
 

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