【フローニンゲンからの便り】17504-17509:2025年10月10日(金)
- yoheikatowwp
- 2025年10月12日
- 読了時間: 15分

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タイトル一覧
17504 | 楽器演奏に取り組んでいた身近な学者たち |
17505 | ギターの演奏技術の向上に向けて |
17506 | 今朝方の夢 |
17507 | 今朝方の夢の振り返り |
17508 | 音楽的パズルとしてのギターのコード |
17509 | コードとスケールの楽しみ |
17504. 楽器演奏に取り組んでいた身近な学者たち
時刻は午前6時半を迎えた。辺りは真っ暗だが、静寂さが何とも言えない美しさを体現している。音の静まった世界の中で音を楽しむ音楽のことを考えている。ギターの演奏を始めてからというもの、再び人生が活気を帯びてきた。もちろんこれまでの学術研究三昧の日々にも充実感はあったが、楽器の演奏が加わると学術研究にも良い影響を与えていて、今後両者はさらに良い影響を与え合っていくであろうことが想像される。アルバート・アインシュタインはヴァイオリンの演奏をしていたし、82歳を迎えたハワード・ガードナーは今でもピアノの演奏を楽しんでいる。ピアノの演奏に関して言えば、かつて師事していたオットー・ラスキー博士も幼少期からピアノを習い、のちに認知音楽学の分野を切り開くほど音楽に造詣が深い方であった。こうして自分にとって親しみのある学者の中に音楽を好み、楽器の演奏をしていた人たちが多くいることは興味深い。学術研究はパズル的問題の発見とパズルの解法で成り立っているような側面があり、それは音楽も同じのように思える。音楽も音楽世界内の音楽言語で構築されたパズルを発見し、それを解いていくという側面がある。自分にとって両者は同質の知的課題を与えてくれ、知的好奇心と知的興奮を大いにそそられる対象である。朝に半身浴をし、冷水シャワーを浴びて浴槽から出た瞬間に、今から8年前に随分と聴いていた音楽理論のポッドキャストを再び聴こうと思った。その番組は2人のアメリカ人がパーソナリティを務めており、2人とも音楽家であるだけではなく、片方は大学で音楽理論を教えていることもあり、音楽理論について非常にわかりやすく説明してくれる点でかつて好んで聴いていた。2人のユーモアも心地良く、当時作曲実践を毎日していた頃に大変お世話になっていたその番組をまた聴いてみようと思った。
今日の活動予定として、出版企画に必要な発達測定に関してわかりやすく解説したワード1枚ほどの資料を作成しようと思う。それは編集者の方から依頼を受けたもので、企画会議にかける際に発達測定についても前提知識を持っておきたいとのことだった。発達測定とはどのようなものなのかについて、その言葉を初めて聞く人向けに、その目的や概要、そしてその方法についてわかりやすく解説したいと思う。この企画書に並行して、良遍の『不思議』の註釈論文の執筆も着実に前に進め、その合間を縫ってギターの練習に取り組みたいと思う。ギターのおかげで日々の生活によりメリハリがついてきている。生活が新たなリズムで再組織化され始めているのを実感する日々だ。フローニンゲン:2025/10/10(金)06:58
17505. ギターの演奏技術の向上に向けて
先日ギターを購入した店のヨーストという親切な店員が、ギターの練習において、まずコードとリズムの習得が最重要であると述べていた。そう言われるのは、それらが音楽表現の基盤を成しているからだろう。コードは和音を形作るものであり、ギター演奏における「調和の骨格」を担う。ギターが単旋律楽器と異なり、伴奏を自ら作り出せるのはコードを鳴らす力に依拠している。例えば、CやGといった基本的なメジャーコードを押さえることができれば、それだけで数多くのポップソングやフォークソングを演奏できる。逆に言えば、コードを習得せずにギターを弾くことは、言葉を知らずに文章を書こうとするようなものであり、表現の幅は極端に制限されてしまう。一方、リズムは音楽を音楽たらしめる「時間的な流れ」を作り出す要素である。どれほど美しいコードを押さえても、リズム感がなければ演奏は不安定で聴き手に違和感を与えてしまう。ギターは特に打弦楽器的な性質を持ち、ストロークやカッティングを通じてリズムを強調できる。そのため、正確なリズムの維持は伴奏者としてもソリストとしても不可欠である。リズム練習はメトロノームに合わせてコードを刻むことから始められるが、やがては身体に自然に拍子を刻む感覚を内在化し、他者とのアンサンブルでも安定して演奏できるようになることが求められる。ただし、ギターの上達において重要なのはコードとリズムだけではない。他に欠かせない要素として、まず「運指の柔軟性とスムーズなコードチェンジ」がある。初心者が最初につまずくのは、コードを覚えても次のコードに瞬時に移行できず、演奏が途切れてしまうことだ。この課題を克服するためには、指先の筋肉を強化し、無駄のない動きを習慣づける必要がある。繰り返しの基礎練習によって、やがて指が自動的にポジションに移動できるようになり、音楽が滑らかに流れるようになる。次に「音感と耳の訓練」も極めて重要である。譜面通りに弾く力だけでなく、音を聴いてコード進行を感じ取れる耳を育てることで、即興演奏や他者とのセッションに大きな力を発揮できる。例えば、ラジオから流れる曲に合わせてコードを探す練習をすることで、実際の音楽に即応する能力が養われる。耳が育てば、自分の演奏の中で出したい音を選び取る感覚も洗練され、演奏に説得力が増す。また「表現力」も忘れてはならない。単に正しいコードを押さえて正確なリズムを刻むだけでは、機械的な演奏になりがちである。音楽は感情の表出であり、ギターはその感情を細やかに伝えることができる楽器である。ピッキングの強弱やストロークの速さ、アルペジオの繊細さなどによって、同じコード進行でもまったく異なる表情を見せる。つまり、表現力とは技術と感性の架け橋であり、聴き手の心を動かすための核心である。さらに「基礎的な音楽理論の理解」も演奏を深める上で大切になる。スケールやコード進行の仕組みを理解すれば、なぜその曲がその響きを持つのかが分かり、自分で作曲や編曲を試みることも可能になる。理論を知ることは自由を奪うのではなく、むしろ選択肢を広げ、即興や創作において直感を支える地盤となる。最後に「継続的な練習習慣」と「自己表現への意識」が最終的な鍵を握る。ギターは短期間で劇的に上達するものではなく、日々の積み重ねによって少しずつ成長していく。だが、単なる惰性的な反復ではなく、自分がどのような音楽を奏でたいのかというビジョンを持ち続けることで、練習は生きた探求となる。練習の中で得られる小さな発見や喜びは、自分の人生のリズムとも共鳴し、音楽と生活を結びつける。以上をまとめれば、ギターの練習においてコードとリズムは揺るぎない基盤であり、その習得なくして音楽の流れは生まれない。しかし同時に、指の運びの滑らかさ、耳の鋭敏さ、感情を乗せた表現力、理論的理解、そして継続する力が統合されることで、ギター演奏は単なる技術の域を超え、人生を響かせる芸術的営みとなるだろう。フローニンゲン:2025/10/10(金)07:07
17506. 今朝方の夢
今朝方は夢の中で、目撃者の意識としてある光景を眺めていた。それは元々魔界に住んでいたある少年が人間界にやって来て、人間として長らく生活していながら、ある事柄がきっかけに突然魔族に戻ろうとしている場面だった。彼には同い年の親しい少年がいて、その少年との思い出と魔族の記憶がぶつかり合い、彼は相当な苦しみの中にいた。頭からは角が生え始め、眼も魔族のそれになりかけながら、雄叫びを上げて人間として生活していた頃の少年との楽しい思い出を回想しているようだった。結局彼は最終的に魔族の姿になり、人間界を去って魔界に戻ることにした。しかし、その一連の光景を見ていた自分は、彼は今度は魔族であることを完全に克服してまた人間界に戻ってくるのではないかという確信があった。
次に覚えているのは、かつての職場が舞台になった場面である。私はモーニングコーヒーを近くのコーヒ屋で購入し、それを持ってオフィスに向かった。オフィスに到着すると、パートナーたちがいる個室が以前よりも格段にグレードアップされており、中にはドアの奥にさらにもう1つドアがあるような完全の個室を持っているパートナーや、広々とした部屋を持っているパートナーもいて驚いた。特にその広々とした部屋を見たときに、パートナーになるのも悪くはないなと思った。というのも、その部屋に卓上ピアノを持ってきて、仕事をしていない時はピアノの練習ができると思ったからである。最近の卓上ピアノは防音対策もしっかりしており、ヘッドホンをつければ音が漏れることはなく、仕事の合間合間の休憩としてピアノの練習ができることはとても魅力的だった。そのようなことを考えながら自分の席に向かった。席に到着してみると、机の上に昨日購入した海藻サラダが買ったままの状態で置きっぱなしになっていることに気づいた。それを食べるのをすっかり忘れていたのである。今日の昼にでもそれを食べようと思って、まずは仕事始めに同期のところに行って彼が取り組んでいるプロジェクトの話を聞こうと思った。もし何か手伝えることがあればそれを引き受けようとも考えていた。同期はプロジェクトを進めるにあたって重要な数値の計算を終えたとのことで、少し嬉しそうにしていた。特に自分が手伝えることはもうなさそうだったが、計算結果が反映された損益計算書を3枚ほどプリントアウトして渡してくれた。それを自分の席に戻って読み始めると、2人の上司がにこやかに声を掛けてきて、昼食を食べに行こうと述べた。今さっきオフィスに到着したばかりなので昼食はまだ随分と後だと思っていたが、気づけば時刻が昼時になっていたので驚いた。まさに時間が一瞬で過ぎ去ったことを体験したのである。上司に昼食を誘ってもらえたことは嬉しいが、自分には昨日購入した海藻サラダがあったので、それに加えて弁当を購入すれば昼食として十分かと思った。しかし、いつの間にか誰かが自分の海藻サラダを冷蔵庫にしまってくれていて、それは夕食にしようと思って上司と一緒に昼食を食べにいくことにした。フローニンゲン:2025/10/10(金)07:20
17507. 今朝方の夢の振り返り
ギターのコードを学ぶことは、まるで音楽的なパズルを組み合わせていく作業のようであり、それがとても楽しい。この比喩が適切であるのは、コードが単なる指の形の暗記にとどまらず、音と音の論理的な結びつき、そしてそれを基にした創造的な表現を含んでいるからである。パズルを解く際、個々のピースを正しく配置していくと全体像が浮かび上がるように、コードを一つひとつ理解して組み合わせていくことで、音楽という大きな風景が立ち現れる。まず、コードの基本的な仕組みを考えてみる。例えばCメジャーコードはC、E、Gの3つの音で構成されるが、ギター上ではそれを複数の弦で重ねて響かせる。この時、指の配置はパズルのピースに相当する。最初は指が思うように動かず、配置もぎこちない。しかし繰り返し練習することで、そのピースが正しい場所に収まるようになり、美しい和音が鳴り響く。この「適切な位置を見つける過程」こそが、パズル的な面白さを生み出している。また、コード同士のつながりもパズルの論理に似ている。例えば、CからF、そしてGへ進む進行は、西洋音楽の中で最も基本的な構造の1つである。これらを順に並べると、まるで3つのピースが自然に連動して1つの形を成すように、音楽の流れが生まれる。ここで大切なのは、個々のコードが独立した存在であると同時に、互いに結びつくことで初めて全体像を形づくる点である。つまり、コードの習得は孤立した暗記作業ではなく、連結を意識することで初めて「音楽のパズル」としての面白さが体感できるのである。さらに、コードは「転調」や「代理コード」といった応用を通じて、より複雑なパズルへと発展する。例えば、G7というコードはCに解決しようとする性質を持つが、代わりにAmへ移行することもできる。これは、パズルの中で一見合わないと思われるピースが、実は別の角度から見るとしっくり収まるような驚きを与える。こうした瞬間は音楽理論の理解を深めるだけでなく、演奏者に知的な喜びをもたらす。また、コードの押さえ方そのものが多様である点も、パズル的な魅力を強めている。オープンコードで鳴らすCと、バレーコードで押さえるCは、同じ名前を持ちながら響きが微妙に異なる。それはまるで、同じピースが異なる模様の中に組み込まれることで新しい景色を生み出すようなものだ。プレイヤーはその響きの違いを選び取り、曲の雰囲気に応じて最適な形を探る。こうした探索は知的な遊びであり、同時に芸術的な選択でもある。コードの学習はまた、身体感覚と結びついたパズルでもある。指先がどの弦を押さえるか、どの力加減で鳴らすかは、単なる理論的理解ではなく、身体的な記憶に依存する。最初はぎこちない動作も、繰り返すことで身体が自然に答えを覚え、無意識に正しいピースを選び取るようになる。この過程は、知性と身体が一体となってパズルを解く営みであり、そこに音楽学習の独特な深みがある。さらに言えば、コードは固定された答えを持つパズルであると同時に、無限の解答を生み出す柔軟なパズルでもある。例えば同じコード進行でも、ジャズではテンションを加えて複雑に彩り、ポップスではシンプルにまとめることができる。つまり、コードの学習は「完成図を1つに定めるパズル」ではなく、「いくつもの完成図を創造できるパズル」である。演奏者はその時々の感情や状況に応じて、異なる完成図を描き出すことができるのだ。結局のところ、ギターのコードは単なる音楽理論の要素や技術の習得対象ではなく、演奏者の感性と知性を刺激する「音楽的パズル」として存在している。そのパズルを解き続けることで、演奏者は自らの記憶力、集中力、創造性を高め、同時に他者との共鳴を生み出すことができる。コードの組み合わせを探る過程は、人生において複雑な出来事を一つひとつ理解し、全体像を見出していく営みにも似ている。だからこそ、ギターのコードは終わりのないパズルであり、解くほどに新しい喜びと学びを与えてくれるのである。そのような喜びに浸りながら今日もまたギターの練習に勤しみたい。フローニンゲン:2025/10/10(金)09:10
17509. コードとスケールの楽しみ
今日も学術研究と並行して、ギターの練習に十分な時間を充てた。今後も両者が調和的な関係で進行していくことが期待される。午後には、メルヴィンが進めてくれたギターの板につける目印としてのスティッカーを購入した。初心者にとって、どこにどの音が張るかを把握できるスティッカーはスキャフォールディングの役目を果たしてくれるため、非常に有益である。おそらくそのスキャフォールディング効果で実践がより効率的に深まるだろう。
ギターの学習において「コード」と並んで重要な要素が「スケール」である。コードが音楽の「和」を形作るとすれば、スケールは音楽の「道」を切り開く。両者は互いに深く関連しており、コードが音楽の骨格を築くならば、スケールはその骨格の上を自由に駆け巡る筋肉や血流のような役割を担っている。コードが「点」としての和音の集まりであるのに対し、スケールは「線」としての旋律の流れを生み出すものであり、この2つを対比させることで音楽の全体像が浮かび上がる。スティッカーに加えて、コードとスケールに関する辞書的な書籍も本日購入した。まずスケールとは、音を一定の規則に従って並べた集合である。例えばCメジャースケールはCから始まり、D、E、F、G、A、Bと続いて再びCに戻る。この並びは「ドレミファソラシド」として耳に馴染みがあり、旋律を作る基礎になる。ギターにおいてスケールを学ぶことは、指板上の音の位置を理解し、どの場所からでも音階を奏でられるようにする訓練である。これは単に練習のための抽象的な課題ではなく、即興演奏やメロディ作りに直結する実用的な技術である。コードとスケールの関係を考えると、両者は互いに補い合う存在である。コードはスケールの中から特定の音を選び、同時に鳴らして和音を形成する。逆に言えば、スケールはコードを解きほぐした基盤とも言える。例えばCメジャーコードはC、E、Gで構成されるが、これはCメジャースケールの中の3つの音である。つまり、コードはスケールから切り取られた断片であり、スケールはコード進行に彩りを与える旋律の可能性を秘めている。このように、コードが縦の構造を示し、スケールが横の流れを導くことで、音楽は立体的に広がる。スケールの面白さは、その種類の多様性にもある。メジャースケールは明るさを、マイナースケールは哀愁を感じさせる。さらにブルーススケールやペンタトニックスケール、モードスケールなどを習得すると、同じコード進行でも全く異なる表情を描き出せる。特にギターにおいてペンタトニックスケールは初心者にも扱いやすく、ロックやブルースの即興ソロにおいて広く活用されている。ここでの魅力は、シンプルな音階でありながら表現の幅が非常に広い点にある。また、スケールの習得は「即興性」を育む。コード進行が与えられたとき、そのコードに対応するスケールを選び、瞬間的に音を紡ぎ出すことで、自分だけの旋律を生み出せる。これはコードを押さえる作業が「決められたピースを配置するパズル」に似ているのに対し、スケールを用いた演奏は「自由に線を描く絵画」に近い。どちらが欠けても音楽は成り立たないが、スケールを使えるようになることで、演奏者はより主体的に音楽に参加できるようになる。ギターという楽器においてスケール練習が特に重要なのは、指板の広がりを身体で覚える助けになるからである。ギターはピアノと異なり、同じ音が異なる場所に存在する構造を持つ。そのため、スケールを様々なポジションで練習することで、指板全体を「地図」として把握できるようになる。地図を手に入れることは、音楽の旅においてどこにでも自由に足を運べることを意味する。さらに、スケールは単に技術的な練習ではなく、音楽的な感受性を磨く訓練でもある。スケールを繰り返し練習することで耳が音階の流れに敏感になり、旋律を自然に歌うようにギターで再現できるようになる。これにより、楽譜を見なくても頭に浮かんだメロディをそのまま弾ける即興力が育つ。つまり、スケールは音楽を「外から学ぶための道具」ではなく、「内なる音を形にするための言語」となるのである。まとめると、コードとスケールは互いに対照的な役割を果たしながらも、両者が揃って初めて音楽の全体像を描き出す。コードが和音の基盤を提供し、安定と調和を示すのに対し、スケールは旋律の流れを生み出し、自由と変化を可能にする。ギターの学習においてコードがパズル的な魅力を持つならば、スケールは地図を持って旅するような喜びを与える。両者を往復することで、演奏者は安定と自由、秩序と創造を行き来し、音楽という豊かな世界をより深く探求できるのである。そのような楽しみがこれから待っている。フローニンゲン:2025/10/10(金)18:29
Today’s Letter
Both playing music and conducting academic research have a commonality in terms of solving puzzles. If I continue both for a long time, I will become a skilled puzzle solver. I am dreading it. Groningen, 10/10/2025

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