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【エディンバラ大学からの便り】19233-19235:2026年9月12日(土)

1 日前
読了時間: 8分


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タイトル一覧

19233

身体をより賢明に使うことを学ぶ長い探究

19234

今朝方の夢

19235

今朝方の夢の振り返り


19233. 身体をより賢明に使うことを学ぶ長い探究

                                

今日もまたブランダン・エイカー氏の文章を読んでいて、技術というものについて、自分はまだどこかで「できるか、できないか」という物差しに強く依存していたのだと気づかされた。あるフレーズを弾けるか、速いパッセージを処理できるか、狙った音色を出せるか。そうした問いはもちろん必要である。しかし、それだけで技術を測ろうとすると、身体が支払っている代償が視界から消えてしまう。正しい音が鳴っているという事実が、正しい動き方をしていることを保証するわけではないのである。エイカー氏が右手の痛みによって演奏活動を止めざるを得なかった経験は、まさにその盲点を身体そのものから突きつけられた出来事だったのだと思う。30秒なら問題なく維持できる姿勢も、それを何千回、何万回と繰り返せば、身体にとってはまったく別の意味を持つ。これは、橋を一度渡れるからといって、その橋が毎日何千台もの車に耐えられるとは限らないのと似ている。演奏技術も、一回の成功ではなく、反復に耐えうる構造として見なければならないのである。特に印象に残ったのは、「この弾き方は身体に何を要求しているのか」という問いである。この問いを持つだけで、技術の見え方は随分変わる。音が出るかどうかだけではなく、その音を出すために肩が固まっていないか、指が必要以上に持ち上がっていないか、手首が無意識に固定されていないかという、これまで舞台裏に隠れていた情報が見えてくる。演奏とは、指先だけで行う作業ではなく、全身の協調によって成立する運動なのだと改めて思う。そして、エイカー氏が「良い技術/悪い技術」という単純な二分法を退けている点にも深く共感する。技術には終点がないのである。より少ない力で、より自由に、より自然に動ける余地は常に残されている。これは、彫刻家が石を足して作品を作るのではなく、不要な部分を削り続けることで形を現していくのに似ている。成熟した技術とは、何かを付け加えることよりも、むしろ余計な緊張や動作を一つずつ取り除いていく営みなのかもしれない。しかも、その省力化は単なる怪我予防にとどまらない。緊張が減れば音色が変わり、フレーズへの反応も速くなり、即興の自由度も増していく。身体が音楽の邪魔をしなくなれば、頭の中に浮かんだ音が、より少ない摩擦で実際の響きへと変換されていく。技術とは難曲を征服するための鎧ではなく、音楽そのものが通り抜けるための透明な通路なのだと思う。そう考えると、自分がこれから目指したいのは、より多く弾ける身体ではなく、より少ない抵抗で音楽を生み出せる身体である。上達とは能力を積み上げることだけではなく、不要な力みを手放していくことでもある。その意味で、ギターの技術を磨くことは、身体をより賢明に使うことを学ぶ長い探究なのである。エディンバラ:2026/9/12(土)06:07


19234. 今朝方の夢

                                    

今朝方は夢の中で、日本の見慣れない住宅地にいた。そこはなんと浸水が激しく、通りはもはや人が歩くことはできなかった。そのような場所で私は、小中高時代のある親友(HO)とこれからどうするかについて話をしていた。彼の提案は、背後に見える古びたアパートにはいくつか空きの部屋があり、安く借りられるはずなのでそこを借りて一緒に生活しようというものだった。私は彼と暮らすことに問題はなかったが、彼は家賃の支払い能力がなく、全て自分が家賃の負担をすることが懸念として上がった。また、このアパートは老朽化が進んでいることもあり、浸水下の中でここで暮らすことも危険なように思えた。そうしたこともあり、彼とは一緒に暮らせないと伝えると、彼はどこかにスッと消え、気づけば浸水で溜まっていた水も一気に引いていった。すると気づけば、見慣れない学校の教室にいた。そこで小中高時代のある女性友達(MH)が袋に何か隠しており、それが何か当ててみてと述べた。何かわからず、彼女に答えを教えてもらうようにお願いすると、どうやら袋の中には大きなネズミがいるようだった。彼女曰く、それはとても可愛らしいとのことだったが、袋から最初に出て来たのが鋭い牙で、それを見てその中のネズミはとても獰猛なのではないかと思ってしまった。すると驚いたことに、そのネズミは自分のその思いを察知し、袋から出て来た瞬間に人間の言葉を話し始め、自分は獰猛ではないと訴えた。そして私の方に飛びかかってきて、体を撫でて欲しそうにした。私は恐る恐る体を撫でてみると、そのネズミは気持ち良さそうにして、優しい表情になった。当初獰猛だと思っていたことは自分の思い込みであることに気づき、そこからはネズミと楽しく交流をした。その後、ネズミはどこかに消え、ネズミを持ってきた彼女に英語を教えてほしいと言われた。彼女に英文読解と英文法を教えることにしたところ、彼女は時制の一致という考え方で戸惑っていることがわかったので、わかりやすく説明するようにした。すると、隣に現れた男性がその点をわかりやすく説明し、自分は必要でないように思えたので、一旦教室を離れ、プールサイドに出た。するとそこに美しい水龍が横たわっていて、おとなしくしていた。それは水を浴びたいのか、太陽の光を浴びたいのかどちらかわからず、しばらくその様子を見守ることにした。そうこうしていると先ほどの彼女がプールサイドに現れ、今から映画の撮影があり、自分も俳優の1人として出演してほしいと依頼を受けた。俳優としての仕事はこれが初めてだったが、ぜひやってみようと思い、快く引き受けた。エディンバラ:2026/9/12(土)06:20


19235. 今朝方の夢の振り返り 

         

今朝方の夢全体は、自分が過去との結びつきを整理しながら、新しい環境においてこれまでとは異なる役割を引き受け始めていることを象徴しているように思われる。冒頭の浸水した住宅地は、過去の記憶や感情が大量の水となって現在の生活領域へ流れ込んできた状態なのかもしれない。道が歩けないほど水が満ちている光景は、昔ながらの関係性の延長線上では、もはや前進できないことを示しているようにも見える。そこで現れたHOは、自分の過去そのものを代表する人物なのかもしれない。古びたアパートで一緒に暮らす提案は、かつての関係性や自己像にもう一度住み直す誘惑のようである。しかし、その生活を維持する費用を自分だけが負担しなければならないという感覚は、過去との関係を維持するために現在の自分が一方的に心理的コストを支払う構造を象徴している可能性がある。自分がそこに住まないと決断した瞬間、HOだけでなく水まで消える点は重要である。境界線を引くことによって感情の洪水まで引いていくのであり、それは堤防を築くのではなく、水源そのものを静かに閉じるような決断だったのかもしれない。次の教室は、過去を整理した後に始まる学習段階を表しているように思われる。MHが持ってきたネズミは、とりわけ印象深い存在である。鋭い牙だけを見て獰猛だと判断した自分に対して、ネズミ自身が言葉を話して誤解を訂正する展開は、自分の内側にある未知の衝動や感情について、外見だけで危険と判断してはいけないという無意識からの反論なのかもしれない。しかも撫でることでネズミが穏やかになることから、自分が恐れていたものは排除すべき敵ではなく、触れられることを待っていた生命力だった可能性がある。影だと思っていたものが、実は小さな守護獣だったような構図である。続く英語の時制の一致も象徴的である。これは単なる英文法ではなく、過去・現在・未来をどの時間軸に揃えて理解するかという課題を示しているように思われる。ところが別の男性が説明を引き継ぎ、自分がその場を離れる。これは自分が常に教師や説明者である必要はなく、その役割を他者に委ねてもよいという変化なのかもしれない。そしてプールサイドの水龍は、この夢の中心的な象徴のように感じられる。序盤では水は街を沈める脅威だったが、終盤では水龍という美しく統合された生命へ姿を変えている。制御不能だった水が、一匹の龍へと形を得たのである。水を浴びるのか太陽を浴びるのか分からないその龍は、内面へ潜る力と外界へ姿を現す力の境界にいる自分自身なのかもしれない。最後に映画出演を依頼され、自分が初めての俳優役を快諾する場面は、その龍の力を社会的な表現へ転換する段階を示しているように思われる。古い共同生活を断り、恐れていた生命と和解し、教師という既存の役割さえ一度手放した先で、自分は新しい舞台に招かれているのである。この夢は、過去を捨てる夢というより、過去から回収した生命力を携えながら、まだ演じたことのない自分へ踏み出す夢なのではないかと思う。エディンバラ:2026/9/12(土)07:41


Today’s Letter 

Improvisation on the classical guitar is a form of musical composition. It is also like creating a new chess problem and finding its solution simultaneously. This process stimulates and deepens my creativity. Edinburgh, 9/12/2026

 

 
 
 

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