【エディンバラ大学からの便り】19220-19224:2026年9月9日(水)

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タイトル一覧
19220 | 今朝方のSprint8のトレーニングを振り返って |
19221 | 高強度運動の効能とSprint8の次のレベルに移行するタイミング |
19222 | 今朝方の夢 |
19223 | 今朝方の夢の振り返り |
19224 | ブランダン・エイカー氏の即興演奏プログラムへの参加にあたって |
19220. 今朝方のSprint8のトレーニングを振り返って
時刻は午前6時半を迎えた。今、辺りが随分と明るくなっている。エディンバラは湾から吹き込む風が結構強いのだが、今朝方はとても穏やかなそよ風が吹いている。天気予報を確認すると、今日は一日の中で雨が降る時間帯がないので幸いである。新しい洗濯・乾燥機が届くまでは、洗濯物を外に干す必要があルため、晴れであることは有り難い。
今朝方もまた5時半に起床して、すぐさまアパートメントのジムに向かった。すると、今日もまた先客が一名いた。見ると、年齢としては自分よりも一回り上ぐらいの男性で、朝から筋トレに励んできた。前回と同様に、Vision Fitnessのトレッドミルを用いて、Sprint8というプログラムを始めた。最初の3分のウォームアップでも少し早歩きするぐらいの速さに設定し、傾斜角度も4%に設定した。そこからプログラムを本格的に始めたところ、一昨日よりもきつさは和らいでいた。もちろんそうだからと言って、前回から始めたEliteのカテゴリーの一番低いレベル(16/20)をすぐさま卒業して次のレベルに向かうのではなく、このレベルにしばらく留まっておきたいと思う。最後の4回のスプリントは時速16.1kmほどで、この速度でもフォームは崩れることが全くないので、次のレベルでもフォームが崩れることなくこなせそうだが、もう少し体を慣らしたい。どのタイミングで次のレベルに移るかはもう少し考えたい。このレベルに従事する期間をめどにするのか、それとも身体的に何か変化があったら移行のサインとするのか、このあたりは考えどころである。最後のクールダウンの2分半のうち、そこをクールダウンに使うのではなく、1分半は時速13km、傾斜4%で軽く走った。このくらいの速度と傾斜だと随分と走るのは楽である。プログラム上のクールダウンを終えてから、自分なりにクールダウンを終えてトレーニングを終了した。その頃にはもう1人男性が、そして1人の女性がジムにいた。午前6時の段階でそれだけの人が集まって体を鍛えているところに意識の高さを感じるし、そうした同志がいることを嬉しく思う。エディンバラ:2026/9/9(水)06:46
19221. 高強度運動の効能とSprint8の次のレベルに移行するタイミング
今朝のVision FitnessのSprint8、Elite 16/20レベルは、前回より明らかに身体がこの刺激を理解し始めている感覚があった。同じ負荷なのに少し楽に感じるというのは、単なる気分ではなく、神経系や心肺系が高強度運動のリズムに適応し始めた兆候なのだろう。Sprint8のような短時間の高強度インターバルの大きな魅力は、長時間走らなくても心肺機能と代謝系に強い刺激を与えられる点にある。スプリントでは酸素供給だけでは追いつかず、解糖系も大きく動員される。その結果、乳酸濃度が上昇し、交感神経系も強く刺激される。こうした条件では成長ホルモンの分泌も一時的に増加することが知られている。ただし、「Sprint8だから特別に成長ホルモンが大量に出る」というより、高強度運動そのものが生み出す生理反応として捉える方が正確である。成長ホルモンは脂質代謝や組織修復などに関与するが、その一時的な上昇だけで筋肉や若返り効果を説明できるわけではない。むしろ長期的に重要なのは、VO2maxの改善、ミトコンドリア機能の向上、インスリン感受性の改善、速筋線維の動員、そして高速度でもフォームを保つ神経筋協調である。最後の4本を16.1km/hで走ってもフォームが崩れないという事実は、この点でかなり重要である。単に耐えるのではなく、身体がその速度を「扱える」ようになっているからである。だからこそ、次のレベルへ移る基準は「何週間経ったか」だけにしない方がいいと思う。同じレベルを少なくとも数回繰り返し、最後のスプリントまでフォームが乱れず、呼吸はかなり上がるものの完全に追い込まれず、翌日まで強い疲労や脚の重さが残らない状態が2~3回続いたら、次の段階へのサインと考えると良いだろう。最後の1~2本でストライドが乱れる、着地が重くなる、翌日に関節や腱に違和感が残るなら、まだ上げない方が望ましい。高強度トレーニングでは、心肺機能より腱や筋膜の適応の方が遅いことも忘れたくない。一方、最後のクールダウン部分を13km/h、傾斜4%で走ったことについては、これは身体にとっては「クールダウン」というより追加のテンポ走に近い。楽に感じられること自体はフィットネス向上の良い兆候だが、Sprint8の目的を最大化するなら、その後は本当に強度を落として歩く時間を数分取った方が回復には有利だろう。毎回余力を使い切るより、「まだ走れる」と感じるところで終えることも、長期的な伸びには重要である。そして6時前のジムに、いつの間にか何人もの人が集まっていた光景も印象深い。静かな早朝、それぞれが誰に見せるでもなく身体を鍛えている。成長とは劇的な一回の努力より、こうした誰も見ていない時間の積み重ねなのだろう。今はレベルを急いで上げるより、16/20レベルを自分の身体に完全に馴染ませる時期である。そしてある朝、同じ負荷が「挑戦」ではなく「標準」に変わったと感じたとき、それが次へ進む最も自然な合図なのだと思う。エディンバラ:2026/9/9(水)06:55
19222. 今朝方の夢
今朝方は夢の中で、体が釘の不思議な人間と話をしていた。その人はこちらに危害を加えることは全くなく、普通の人と同じく自然な形でコミュニケーションをしていた。そこに大学時代の2人の女性友達がやって来たので、そこからは2人と話をすることにした。2人とは大学卒業後の進路について話をし、それぞれが違う道を進むことを励まし合った。
次に覚えているのは、見慣れない街の和食レストランにいる場面である。そのレストランは1階から4階のフロア構成になっていて、どこでも好きなフロアで食事をすることができた。私は前職時代の同僚と一緒に最上階のフロアに行くことにした。最上階ではいくつかの席が空いていたので、空いているところを確保しようとしたところ、同僚が大きな荷物を抱えて両手が塞がっていて、背中が丸くなっていたので、猫背にならないように注意を促した。そして彼が持っている荷物を自分がいくつか運んであげることにした。彼は私にお礼を述べ、無事に席を確保できたので、そこからブッフェ形式で好きな和食を取りに行くことにした。エディンバラ:2026/9/9(水)07:12
19223. 今朝方の夢の振り返り
今朝方の夢は、自分が人生の新しい章へ移行するなかで、これまでの人間関係や仕事上の役割を整理しながら、新たな自己の形を受け入れつつあることを象徴しているのかもしれない。冒頭に現れた「体が釘の人間」は、とりわけ印象的である。釘とは、本来は物と物を固定し、離れそうなものをつなぎ留める道具である。同時に、硬さや鋭さを持つため、一見すれば危険な存在でもある。その身体を持ちながら相手がまったく攻撃的ではなく、普通に会話できたという点は、自分がこれまで異質、不安定、あるいは危険そうに見えていたものと、新しい関係を結び始めていることを示しているのかもしれない。異質なものを排除するのではなく、それと語り合う力が育っているのである。釘の人物は、これから異なる世界を「打ち付けてつなぐ」自分自身の一側面とも考えられる。そこへ大学時代の女性友達が現れ、卒業後にそれぞれ異なる道を進むことを励まし合う場面は、現在の自分が再び一種の「卒業地点」に立っていることを示唆しているように思われる。大学卒業とは、一つの共同世界から個々の人生へ枝分かれしていく瞬間である。夢は過去の卒業を借景として用いながら、現在の自分にも同じ構造が生じていることを映しているのかもしれない。一本の幹から別々の枝が伸びるように、人とのつながりを失うことなく、それぞれの方向へ進んでよいという許可が夢の中で交わされているのである。後半の4階建ての和食レストランは、自分の人生そのものを立体的な建物として表している可能性がある。どの階でも食事ができるにもかかわらず、自分は最上階を選んでいる。これは、単に高い場所を目指すというより、これまで経験してきた複数の世界を少し高い視点から統合しようとしている姿なのかもしれない。一方で、そこで前職の同僚が大量の荷物を抱えて背中を丸めている。これは過去の職業世界に属する責任、義務、重荷の象徴とも読める。自分が姿勢を正すよう促し、さらに荷物の一部を引き受けたことは、過去を切り捨てるのではなく、必要なものだけを自分の手で持ち直していることを示しているように思われる。そして最後に現れる和食のブッフェは興味深い。新しい土地にいながら、自分は無数の選択肢の中から「自分を養うもの」を自由に選ぼうとしているのかもしれない。今回の夢全体は、一本の釘で過去と未来を留め、古い荷物を軽くしながら、自分に必要な栄養を選び取って次の世界へ進む、そんな移行期の心象風景なのだろう。エディンバラ:2026/9/9(水)08:08
19224. ブランダン・エイカー氏の即興演奏プログラムへの参加にあたって
今日、ブランダン・エイカー氏の言葉を読んでいて、音楽を学ぶこととは、どこか遠くにいる理想の自分へ無理に近づいていくことではなく、今の自分が立っている場所から、そのまま始めることなのだと改めて感じた。今回の即興演奏に関するプログラムは、受講者がすでに高度な演奏技術や理論知識を備えていることを前提としていない。必要であればアイデアは単純なまま受け取ればよく、自分の理解が深まったときには、同じアイデアが別の奥行きをもって開いてくる。その柔軟さこそ、この学びの大きな魅力なのだと思う。これまで自分は、音楽を深く理解しようとするとき、どこかで「もっと準備が必要なのではないか」「まだ知らない理論があるのではないか」と考えてきたように思う。しかし、プログラムが本格的に開始される9月14日までに特定の種類のギタリストになる必要はなく、そのままの自分で来ればよいという言葉は、その焦りを静かに解いてくれる。音楽の扉は、資格試験のように一定の能力を獲得した人だけに開くものではない。むしろ、自分が現在どこにいて、どんな音を愛し、どんな問いを抱えているのかを正直に持ち込むことから、本当の学びが始まるのだろう。また、今回参加する人たちの経験年数がばらばらであることも興味深い。長年ギターを弾いてきた人もいれば、まだ入口にいる人もいる。しかしエイカー氏は、その差を弱点ではなく、この場を豊かにする資源として見ている。これはまるで、異なる土地から流れてきた川が一つの湖へ注ぎ込むようなものかもしれない。それぞれが異なる演奏歴、挫折、憧れ、耳の記憶を持っているからこそ、同じ音楽について語っても、見えている景色は少しずつ違う。その差異が、互いの理解を広げるのだと思う。特に印象に残ったのは、皆が共有しているのは経歴ではなく、「音楽をもっと深く理解したい」「自分自身の音楽を生み出したい」という静かな願いである、という点だ。これはまさに、自分がここ最近ずっと即興について考えてきた理由とも重なる。楽譜を正確に再現することを超えて、自分の内側から音楽が自然に生まれてくる感覚を育てたい。その願いは、自分だけのものではない。同じ問いを抱える人たちの輪の中に入ることで、自分の探究もまた別の深さを持つのだろう。「あなたには、その場に本当の居場所がある」というエイカー氏の言葉も温かい。学びの場に参加するとき、人は無意識に自分の能力を他者と比較してしまう。しかし、本来必要なのは優劣ではなく、自分自身の耳と感性を持ってそこに留まることなのだと思う。プログラムに持参すべき最も大切なものは、完成された技術ではなく、音楽への好奇心なのだろう。今の自分のままで参加し、そこから何が芽吹いていくのか。その未知の余白を楽しみにしたい。エディンバラ:2026/9/9(水)15:44
Today’s Letter
A new movement in the music of my life has begun, and it feels deeply symphonic. The more I appreciate each day, the more beautiful the music becomes. My life is a constantly evolving piece of music. Edinburgh, 9/9/2026


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