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9734-9739: フローニンゲンからの便り 2023年1月11日(水)



No.4373 リアリティの姿_An Image of Reality


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.2119, A Lightening Heart

I wish I had a lightening heart.

It can shed light on everything for its prosperity.

Groningen; 10:06, 1/11/2023


No.2120, Prosperity

I wish everything is prosperous.

The wish would come true soon or later.

Groningen; 13:02, 1/11/2023

No.2121, White Light

I sometimes perceive white light.

Now, white light emerges in my consciousness.

It’s a precious gift for my life.

Groningen; 13:02, 1/11/2023


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本日の2曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

9733. 言葉と存在/今朝方の夢の続き

9734. 今朝方の夢

9735. 今朝方の夢の続き

9736. 線形代数的な批判的実在論

9737. ストラクチャーとメカニズムの違いと関係性

9738. フローニンゲン大学のメディカルスクールの研究に関心を持って/形態形成の自由とマインドアップロードについて

9739. 『糸』の稽古/毎週日曜日のファスティング


9734. 今朝方の夢


時刻は午前7時を迎えようとしている。今はまだ真っ暗で何も見えないが、どうやら今日は夜まで晴れるらしい。太陽の姿を拝みながら日中の活動に従事できそうなことは嬉しい限りである。1月を迎えてもさほど寒くない日々が続いていたフローニンゲンであるが、今週の日曜日から気温が下がり、来週からはまた寒くなってくる。来週の火曜日や水曜日には雪マークが付されていて、また冬らしさが戻ってくると言えるだろうか。今の自分はそれを肯定的に受け止めていて、むしろ変化に富んだ気候に愛着すら感じる。寒くなることにもまた同様に肯定的な感情が芽生えている。


今朝方の夢を振り返ってみたい。夢の中で私は、実際に通っていた小学校に似た雰囲気を持つ学校にいた。実際に通っていた小学校と少し違うように思えたのは、学校全体の作りとしては同じであっても、中庭に大きな観葉植物が植えられていて、それがジャングルのようになっていたからである。そこは生徒たちの遊び場になっていた。教室の中で私は、どういうわけか高校の家庭科の女性の先生の授業を受けていた。先生の授業だけではなく、学校で学ぶことがとても窮屈に感じていた私は、授業をサボって、学校を抜け出して自宅に帰ろうと思った。先生なんかに教わらなくても自分1人で学習を進めることができるという確信があったし、何よりも1人でどんどんと学習を進める方が楽しい気持ちがあったので、教室を抜け出して自宅に帰ることにした。すると、先生は自分の後を追いかけてきた。先生は少し肥満気味でもあったので、私の早歩きについていくことがやっとのようだった。それを見て、私は校舎の中を一気に駆け出した。たくさんの生徒が廊下にいる場所を見つけ、彼らの中に紛れて姿を隠し、そこからまた一気に走り出した。後ろを振り返ると、もう先生は追ってきていなかったが、どうやら放送室に行って、全校生徒に私を捕まえるようにアナウンスする気だということがわかったので、私はすぐさま靴箱に向かって学校を出ていくことにした。すると靴箱で、小学校時代の友人の男女(RS & HK)が笑顔で戯れていて、彼らも駆け足でその場を後にした。すると、彼らを追うようにして1人の女性友達(AS)がその場に現れ、2人を追いかけるようにして彼らが向かった方向に走っていった。きっと彼らは鬼ごっこでもしているのだろうと思い、楽しそうだなと思ったが、自分は早く学校から抜け出さなければいけないと思って靴箱から靴を取った。すぐに裏門から出てもよかったが、せっかくなので中庭のジャングルような観葉植物たちを眺めて帰ろうと思った。どういうわけか私は植物を見ていると寛ぎ、安心感を感じる性向にある。そうしたことから観葉植物を触れ合ってから学校を抜け出すことにした。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2023/1/11(水)07:11


9735. 今朝方の夢の続き


静寂さに包まれた朝。午前8時を迎えた今もなお真っ暗な朝の世界は静寂で包まれていて、それが心と魂を深く落ち着かせている。魂というのは、心を働かせている因果的な存在として1人の人間の実在世界に存在しているようだ。批判的実在論の観点からするとそのように説明できるだろうか。静寂さはそうした魂を落ち着かせ、心にまた良き働きかけをもたらしてくれる。


今朝方の夢を先ほど振り返っていたが、その続きとして、地震によって崩壊した街を歩いていた場面があった。無数の一軒家が瓦礫と化した街を歩いていると、その下に死体がまだいくつも眠っているような気がして少し不穏な気持ちになった。そして、死体を忌避するその感情はいったいどういった生物学的·社会文化的な影響によってもたらされているのだろうかと考えていた。ある瓦礫と化した家の前にやってきた時、近所の2人の老女が私に何か警告をしてきた。その下辺りにはまだ死体があるかもしれないから気を付けなさいというようなメッセージであった。死体の上を踏まないように歩いていると、どことなく家の瓦礫が全て骸骨に見えてきてきみ悪くなってきた。ふと顔を上げると、そこに2人の小学生ぐらいの小さな兄弟がいて、彼らはバスを待っているようであった。しかしそこにはバスは停まらないので、私は彼らをバス停まで送り届けることにした。その最中に兄の方は足を怪我していて松葉杖をついている状態だったが、どうも私にはもう彼は怪我から回復しているように思え、彼の思い込みで松葉杖を使い続けているように思えたので、彼に松葉杖を使わずに歩いてみることを勧めた。すると、彼は見事に自分の足で歩けるようになっていて、小走りも可能であった。彼はとても喜んでいて、それを見ていた弟もとても喜んでいた。


その他に覚えているのは、小中学校時代の友人(MS)の学習コンテンツと、日本人の知人の学者の学習コンテンツをスマホから購入したところ、高校一年生の時の担任の先生から友人のコンテンツであれば無料で購入できたのにと言われた場面があった。私は2人のコンテンツを合計で10万円ぐらい支払っていて、そのお金の大半は学校に行くようになっていた。友人のコンテンツであれば無料で購入できるということを知らなかった私は、先生にその仕組みについてもっとわかりやすいように購入ページに記載しておいて欲しいとお願いした。確かにそのような記述はページの隅っこに小さく書かれているのだが、それはほぼほぼ免責事項の文章のようであり、誰も真剣には読まないようなものであった。一応、映画代金以外のコンテンツ購入代金は今からでも無料にできるようで、支払った金額は返金できるようだったが、10万円ほど学校に寄付したと思ってもいいのではないかと思い、そのままにしておくことにした。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2023/1/11(水)08:14


9736. 線形代数的な批判的実在論


時刻は午前8時半を迎え、辺りはようやく明るくなった。明けゆく世界の中で、昨日行われた批判的実在論の初回のクラスの内容を振り返っていた。昨日のクラスは自分にとってもかなり学びが多く、宿題として色々と考えさせてくれる論点をいただいたように思う。


改めて批判的実在論の「批判的」という意味を考えていると、その1つとして重要なことは、認識論一辺倒の世界の中で、いかに存在論を復権させ、存在論の話が認識論の話にすり替わってしまっているという誤謬を批判的に見つめていくことにあるだろう。認識論一辺倒で話を進めていると、本来存在しているはずの対象物に目が行かなくなり、存在の手触り感なく話や実践が進んでしまう。例えば痛みという現象を取ってみても、それは単に認識的な産物であるだけではなく、それに対応する形で痛みそのものという存在を認めることによって治癒が進みやすいという現象がある。痛みもまた居場所を求めているのであり、存在に気づいて欲しいのだ。ところが認識論一辺倒だとそれは概念的な産物として扱われるだけの場合がほとんどで、対象物としての痛みそのものに寄り添っていくという発想が持ちにくくなってしまう。


批判的実在論は、認識を存在に線形写像し、存在を認識に線形写像するという線形代数的な側面があるように思えてくる。認識論だけだとそれはなしえない。線形代数というのは自分も大学の一·二年生の時に一般教養として学んだが、それは理系的なリベラルアーツとしてやはり重要なものであり、まさに「技」としてのリベラルアーツの性質上、統計学のコースの中でそれを応用してデータ処理していたような場面があることを思い出すと、線形代数的な批判的実在論もまた似たような応用可能性があるのではないかと思う。個人の治癒·変容を促す実践に従事する際に、そして社会の病理を治癒·変容させていく実践に従事する際に、線形代数的な発想で、認識を存在に線形写像し、存在を認識に線形写像する批判的実在論がどのように応用できるだろうか。1つは統計データのデータ整理と同じく、問題の整理·分析に有益になるだろう。批判的実在論の以前の社会科学のアプローチには認識論的アプローチはあっても存在論的なアプローチはほとんど注目されていなかったことを考えると、問題の存在を特定し、それがどのような階層構造に存在して、どのような振る舞いをそれぞれの存在階層で行っているのかを分析していく際に役に立つだろう。だが、そうしたアプローチであれば社会科学の伝統の中にいくつも同様の発想で構築されたモデルや理論はある。しかし、批判的実在論のユニークなところは、個別のモデルや理論をある意味体系化するような説明論理、言い換えるとメタ理論があることである。


そのようなことを考えながら、全ての存在に居場所を与えていく批判的実在論は多くの実践者にとって非常に有益な理論体系だと思うが、一方で全ての存在に居場所を与えていく活動に全ての人が従事する必要はないし、そもそもそれは高度な認知能力が要求されるのだから、現実的に全ての人がそれを行うのは不可能である。なので少なくとも変容の担い手である実践者が、問題の存在を手触り感を持って向き合っていくための道具として、全ての言葉や意味、意見や問い、痛みなどの現象に存在論的な居場所があると理解することを通じて、批判的実在論を活用していけばいいのではないかと思う。フローニンゲン:2023/1/11(水)08:42


9737. ストラクチャーとメカニズムの違いと関係性


ホーホーと鳩が鳴いている。鳩の鳴き声に刺激され、ストラクチャーとメカニズムの違いについて考えていた。批判的実在論において、それらは共に実在の世界に区分されるが、よくよく考えてみると、それらは質的にも異なるものであるし、実在の世界にあっても存在階層も異なる。仮に上下構造で捉えるならば、ストラクチャーを生み出すメカニズムを考えていくという方向で思考を進めていくので、ストラクチャーが上部構造になり、メカニズムが下部構造になるだろうか。逆に、あるメカニズムを生み出しているストラクチャーは何かと考えることも可能になるように思えるが、その場合には上下を逆転させた方がいいだろうか。そして重要なことは、1つの構造としてのストラクチャーを生み出しているメカニズムは1つとは限らず、複数あるかもしれないことであり、逆に1つのメカニズムを複数のストラクチャーが生み出している可能性もある。格差構造を考えてみた時に、そこには多様なメカニズムがあるだろうし、逆に格差のある1つのメカニズムに焦点を当ててみると、そのメカニズムを生み出す様々な構造に気づくかもしれない。このような関係性をストラクチャーとメカニズムは持っているのではないだろうか。こうしたことに気付いていき、実践的な処方箋を打ち出していくためには、発達心理学者のマイケル·コモンズのモデルにあるように、認知的な発達を育んでいく必要があるだろう。そのモデルで言うメタシステム思考段階を少なくとも体現する必要があるだろうか。それが実現されれば、多様なストラクチャーとメカニズムの存在に気づくだろうし、それらの関係性も明瞭になり、実践的な処方箋を考えることが可能になるのではないかと思う。


そのようなことを考えた後、再び窓の外を眺め始めた。今日も風がなく、とても穏やかだ。緑化された車庫の上の土に草が生え始めている。冬の時代にもかかわらず、新たな生命が着実と成長している姿を見ていると、どこか嬉しくなってくる。


今知覚できていないものを知覚できる周波数に自分の意識と感覚をチューニングすること。まるでラジオの周波数合わせのように、自らの周波数に自覚的になり、多様な周波数に意識を適合させていく術を身につけていくこと。そんな話を昨日のメルヴィンとの対話の中でしていた。今の自分には気づけない周波数を捉えていく能力を磨くことと、多様な周波数に自由自在にチューニングできる能力を磨いていくこと。それを意識しながら日々の生活を送ってみよう。朝の静けさの中でそのようなことを考える。フローニンゲン:2023/1/11(水)09:11


9738. フローニンゲン大学のメディカルスクールの研究に関心を持って/形態形成の自由とマインドアップロードについて


早朝に見えていた雲が晴れていき、今は穏やかな朝空を拝むことができる。そんな世界の中で、存在同士の数珠について考えていた。存在同士は数珠つなぎに互いが互いを支え合い、互いが互いに影響を与え合っている。まさに縁起的な形で。ある事柄を言葉の形にすると、それに対応する対象物としての存在が生起する。すると、その存在の隣にはまた別の存在がいて、そして背後にもまた別の存在がいることに気づく。私たちの気づきや認識というのはそのようにして深まっていく。言葉にすること、言語化の意義はそうした存在の数珠的世界への認識とそうした世界を豊かにしていくことにある。こうした自分が毎日日記を綴っているのはその実践なのである。


先ほど、トランスヒューマニズムに関するポッドキャストを聴いていると、スピーカーの1人がかつてフローニンゲン大学のメディカルスクールで研究をしていたらしく、フローニンゲン大学のメディカルスクールはその分野で非常に優秀であり、とりわけ再生医療や延命医療に関する研究が進んでいるということを知った。そういえば、学内のスクリーンにそれらに関するレクチャーの宣伝がされていたのを昔よく見ていたような気がする。そこからふと、ちょっと大学に潜ってレクチャーを聴いてみたいと思った。パブリックに公開されているような講演会があればぜひ聴きに行ってみようと思う。少なくとも、博士課程の学生が博士号を授与する際に行うパブリックレクチャーは一般に開かれたものなので、何か面白そうなレクチャーを聞きに行ってみることを検討しよう。早速調べてみると、なんと今日から数日間にわたってわんさかとメディカルスクールの博士課程の研究者たちの研究発表があり、トランスヒューマニズムと密接に関係する何かレクチャーを探して聴きに行ってみようと真剣に考えている。ホームページの情報によると、今日から5/1までこうしたパブリックレクチャーが続くようだ。


今朝方、トランスヒューマニズムが提唱する形態形成の自由について考えている中で、形態形成の自由がマスメディアやソーシャルメディアで喧伝される形で特定の身体への憧れを喚起させると、身体の画一化現象が生じ、結局のところ形態形成の自由による多様性の実現につながらない可能性もあることについて考えていた。トランスヒューマニズムの研究は、メディア論やカルチュラルスタディーズの観点からも進めていかなければならない。


仮に不老不死が実現されても、現在の地球は今の人口の3倍まで耐えられる資源量を持っているというような話を聞いたことがあるが、それはどこまで本当なのだろうかと考えている。確かに、バイオ技術がより発達すれば、人口が3倍に膨れ上がっても食料の問題は解決されるかもしれないが、居住空間としては幾分窮屈になったり、人が密に集まることによる新たな問題も生まれてきそうだ。そのようなことを考えながらも、トランスヒューマニストであれば、肉体から脱却し、マインドアップロードを行ってしまえば、地球の空間的有限性や資源の有限性などの問題についてさほど悩む必要がないと言うかもしれない。明日からアメリカで生活しますという感覚で、明日からマインドアップロードを行ってデジタル世界で生活しますと肉体を離れるような日が来てもおかしくないのかもしれない。フローニンゲン:2023/1/11(水)10:46


9739. 『糸』の稽古/毎週日曜日のファスティング


午後に仮眠を取り、その後部屋とトイレの掃除をして箏の稽古をしていると、いつの間にか午後4時前になっていた。今日は箏の稽古をかなり長く行っていた。中島みゆきさんの『糸』の演奏を何度も繰り返し、箏で演奏するだけではなく、そこに歌も加えて練習しているとあっという間に時間が過ぎていた。数字譜に歌詞をひらがなで書き込んでいき、今後はこの楽譜を見れば箏の演奏ができるだけではなく、演奏に合わせて歌を歌うこともできる。夕食後にまた箏の練習をする際には、再びこの曲の練習をしたいと思う。それに加えてバッハのコラールも夜に心を落ち着かせる意味で演奏をしていこう。邦楽の曲に関しては、しばらくは『糸』に特化し、この曲を自分なりに歌って演奏できるように完成度を高くしていきたいと思う。


今日は午前中にふと、毎週日曜日は、土曜日の夜から日曜日の夜まで何も食べないプチファスティングをして体調を整えるという実践をしてみようと思った。これまでは毎回旅行に出かけて戻ってくるたびに数日間のファスティング をしていたが、最近は筋力トレーニングを始めたことにより、数日間のファスティングは少し荷が重く、かといって胃腸を休めたり、細胞の修復を行いために、毎週日曜日をプチファスティングの日にして習慣化させるのが良さそうだと思った。それは1週間に1回の細胞の掃除と思って楽しみながらやればいい。ファスティングは心身に活力をもたらすだけではなく、老化を遅らせるような効果もあるため、一石二鳥である。日曜日は朝にプロテインを飲むことを控え、午前中にコーヒーは普段のように飲んだとしても、基本的に水を中心に水分補給をする形で夜までファイスティングをし、夕食は少し早めに摂るようにしてみたい。これを毎週日曜日の新たな習慣にしてみよう。フローニンゲン:2023/1/11(水)15:52

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