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9383-9391: 日本滞在記 2022年11月10日(木)



No.4145 祝福の光_Blissful Light


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1963, Non-duality

Once I fully enjoy staying here and now, I can be non-dual.

Non-duality enriches the quality of life.

Or without it, we could not live fully.

Frankfurt; 10:53, 11/10/2022


No.1964, A Cradle

I feel as if I were in a gently swinging cradle.

Gentle oscillation makes my soul spirited.

Frankfurt; 10:55, 11/10/2022

No.1965, Something Great

Something great is a divine design.

Everyone and everything are following it.

Air France Lounge@Frankfurt Airport; 13:07, 11/10/2022


No.1966, Loving Someone

Which do you choose; being loved by someone or loving someone?

Loving someone is much more difficult and much more precious.

Air France Lounge@Frankfurt Airport; 13:10, 11/10/2022


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本日の2曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

9383.【フランクフルト滞在記】今朝方の夢

9384.【フランクフルト滞在記】志望動機書の完成に向けて

9385.【フランクフルト滞在記】非二元の感覚/空気の綺麗な場所での生活

9386.【フランクフルト滞在記】変化

9387.【フランクフルト滞在記】ただこの瞬間今ここにあるだけで

9388.【フランクフルト滞在記】旅情を感じながら

9389.【フランクフルト滞在記】戯れと揺らめき/非二元の寛ぎに立ち返ること

9390. 存在の永続性/感謝と幸福感に満ち溢れた存在

9391. 魂の故郷に寛ぐ自己と永遠となる自己


9383.【フランクフルト滞在記】今朝方の夢


時刻は午前6時を迎えた。いよいよフランクフルトを出発し、フローニンゲンに戻る日がやって来た。思えばフローニンゲンを出発して日本に旅立ったのはもう1ヶ月以上も前のことである。この1ヶ月間を振り返ってみると、毎日が本当に充実していた。1ヶ月間の休暇と旅によって、自分の実存性と霊性はまた一層の深まりを見せた。今日からオランダに戻って始まる新しい生活が楽しみでしょうがない。


今朝方は1つ夢を見ていた。それは欧州に戻って来てから初めての夢だった。夢の中で私は、小中学校時代のある親友(HS)と社会人になってから知り合った数人の知人と一緒に見知らぬ街の郊外を歩いていた。どうやら自分の家も郊外にあるらしく、街そのものはあまり知らなかったが、郊外の景色はどこか見覚えがあった。知人の画家の女性の最近の活躍が目覚ましく、彼女が最近賞を受賞したので、そのお祝い会をこれから行うことになっていた。お祝い会を行う予定のレストランの場所は不明で、みんなでそこに向かっていたのだが、途中でその場に止まって、その場にいない人たちの合流を待つことになった。私はその時間がどこかとても無駄に思えたし、場所を全員に知らせてその場に直接向かった方が待ち合わせとして効率的なのではないかと思った。あまりにも長くその場に留まっていたので、私は痺れを切らせて、お祝い会に参加するのをやめて自分の家に戻ることにした。自分の家は小さな空き地の一角にある一軒家で、外見はとても見すぼらしかった。ドアを開けて中に入ってみると、殺風景で、大きな畳部屋にちゃぶ台が1つ、そして布団が敷かれている姿が目に飛び込んできた。そういえば自分は、長らくこの家を留守にしていたのだと思い出し、窓を開けて換気しようと思った。すると、向こう側が森の壁際の窓が半分ほど開いていて、網戸の状態になっていた。よくこれで誰も侵入してこなかったなと思ったが、幸いにもその窓は誰も足を踏み入れないであろう森の方向にあったので問題はなかったようだった。お祝い会に参加することをやめたので、昼過ぎの時間から自由時間となり、ちょっと仮眠でも取ろうと思った。内心はその画家の知人にお祝いの言葉を述べたかったし、少しゆっくりと話をしたかったのであが、会の運営があまりにも非効率的だったので少し苛立つ気持ちもあった。いざ仮眠を取ろうと思って布団に向かうと、親友からLINEのメッセージが届き、それを皮切りに、お祝い会に参加する全員から怒涛のようにメッセージが届いて、お祝い会にぜひ参加して欲しいということを言われた。それを受けて私の心は動き、親友にレストランの場所を尋ねようと思った。いざ電話しようとしてみると、どういうわけかうまく電話がかからず、電話が繋がって欲しいと祈っていると夢から覚めた。フランクフルト:2022/11/10(木)06:26


9384.【フランクフルト滞在記】志望動機書の完成に向けて


時刻は午前7時半を迎え、フランクフルトの上空に雲ひとつない朝空が広がっている。幸いにも今日はフランクフルトとフローニンゲン共に天気が良いので、移動が楽であるし、気分良く移動ができると思う。


昨日、友人のサハルに神学大学院の出願のための志望動機書のレビューの依頼をしたら、快諾をしてもらえた。ユトレヒトからフローニンゲンに戻る時間に何もすることがなかったとのことなので、すぐにレビューをしてもらえた。サハルのフィードバックコメントを読むと、大変参考になることが多く、欧米の大学院で3回修士論文を執筆してきたが、やはりまだまだネイティブスピーカーのレビューが必要だと実感する。もちろんサハルのコメントには好みの問題であるような言い回し上の指摘があるが、ニュアンスとしてネイティブが自然に聞こえる表現をより洗練させていく必要があると実感した。フローニンゲンに戻る機内や列車の中で、サハルからもらったフィードバックをもとに、また志望動機書を修正していこうと思う。


今日のフライトは午後2時のものなので余裕がある。ホテルの朝食を後ほどゆっくり食べて、部屋でまだ十分に寛ぐことができそうだ。ホテルからフランクフルト空港までは列車に乗ってわずか20分以内で行ける。ターミナル2に到着したら速やかにセキュリティーを抜けて、ラウンジに向かいたい。そこで上述の作業をし、時間が余れば読書をしようと思う。いよいよ今日からフローニンゲンでの生活が始まる。自宅に戻ったら、今日の夕食をスーパーに買いに行き、部屋全体に掃除機をかけておこうと思う。フランクフルト:2022/11/10(木)07:41


9385.【フランクフルト滞在記】非二元の感覚/空気の綺麗な場所での生活


旅が常態化している生活。今このようにして各国の様々な場所を訪れ、絶えず新しい風物に触れていることが常態化した生活を送っていると、時折不思議な感覚が訪れる。非日常と日常の境目が溶解し、それらが非二元なものとして知覚されるような感覚である。その感覚に自己が投げ出されると、自己はハッとして、自らもまた非二元の存在であることに気づく。自己は静けさに寛ぎ、自己は全てとなる。その瞬間、その空間、世界そのものと自己は1つになる。


ハッと我に返ると、そこはフランクフルト空港のラウンジだった。久しぶりにAir Franceのラウンジを活用していて、ラウンジの静かさと快適さに感謝している。フランクフルト空港はドイツでもハブ空港のはずだが、セキュリティーは大して並ばず、速やかにセキュリティーを抜けてラウンジまで来れた。アムステルダムのスキポール空港とは大違いである。今日は木曜日ということもあってか、昼前のこの時間帯は空港にさほど人がいない。ターミナル2のセキュリティーを抜けると人がポツポツとまばらに見えるだけであり、広いラウンジにも自分を含めて4人ぐらいしかない。とにかく自分は静けさと落ち着きを好み、自然を愛しているのだということを今回の旅を通じて実感した。一昨日訪れたゲーテ記念館では、ロマン主義について再考するきっかけを与えてもらった。自分はロマン主義を含んで超え、自然神秘主義を含んで超えた思想を持って日々生きているように思う。今回フランクフルトに滞在して、つくづく空気の綺麗な自然に近い場所で生活をしたいと思った。都市型の生活を送るのはもう少しの期間かもしれない。来年からアメリカで再び生活を始めるとしても、そこは学術都市であろうから、商業·工業都市とはまた違った感覚があるだろう。フローニンゲンは学術都市であり、空気も比較的綺麗なこともあって、7年もの生活をこの町で送ることになったのだろうと思われる。次に生活するアメリカの町も学術的な都市であろうから、しばらくはそこを気に入って長く生活を送るかもしれない。だがいつかは必ず北欧の自然豊かな場所で静かな生活を送っていきたいと思う。その瞬間瞬間に取り入れる空気の大切さについて考えようとしない人が多いことに驚かされる。呼吸は全てなのである。霊感を吹き込むという意味での“inspire”の語源は、まさに「息を吹き込む」という意味なのだ。空気の新鮮な場所で日々をゆったりとしたリズムで生活している未来の自分の姿が徐々に色濃いものになっていく。Air France Lounge@フランクフルト空港:2022/11/10(木)11:57


9386.【フランクフルト滞在記】変化


フランクフルト空港のAir Franceのラウンジはとても静かで快適である。ラウンジに入ってから今に至るまで、ずっと人は少ないままで、静けさが保たれている。そのおかげでやるべきことが随分と捗った。昨日友人のサハルにレビューをしてもらった神学大学院への志望動機書の加筆·修正をまず行った。サハルのコメントや提案事項を読みながら、いずれに関しても深く納得し、彼の指摘に従う形で修正を施していった。その作業に30分ほど没頭していると、志望動機書は完成の運びとなった。これにて志望動機書は完成であり、今からしばらく原稿を寝かせて、12月の中旬に出願を完了させる直前にもう一度読み返し、最終バージョンとさせたい。


フライトの搭乗まであと1時間ほどある。フローニンゲンの自宅に帰ったら、再び洋書をひたすら読む日々になるだろうから、今のうちに手持ちの日本語の資料でも読み返しておこうかと思う。熊本·大分旅行の際に購入した『幸せへの道案内人 葉照明の世界』を再び読み返そう。機内の中や列車の中で読み返せば、フローニンゲンの自宅に戻る頃までには再読が終わるだろう。


そういえば、今朝方フランクフルトのホテルの自室にいた時に、人が本当に変わることの難しさについて考えていた。人は望んでいても変われないことがあること。変化することが人間にとっての宿命なのではなく、変化しないこともまた人間には宿命として課せられている。変わりたくても変わらせてくれない何かが人間の中にある。それを見つめ、変わることに伴う恐怖を受け入れて初めて人は真に変われるのだろう。今の自分もまた変わることを望んでいながら、変わらないことも望んでいるという両義的な性格を持っている。そのせめぎ合いの中で、いつか何かのタイミングで自分が変化の方に向かうのではなく、変化の方がこちらにやって来たら、自分は本当に変わるのだと思う。そんな日がやって来るのもまた近いように思えてならない。自分はどんな変化も受け入れて、絶えず変化するプロセスとして生きていくことをとうの昔に誓っている。Air France Lounge@フランクフルト空港:2022/11/10(木)12:47


9387.【フランクフルト滞在記】ただこの瞬間今ここにあるだけで


ただこの瞬間に生きているというだけで、ただこの瞬間今ここにあるだけで、何か全てを許すことができ、全てに感謝できるような気がする。自分は何に対して感謝をし、何に対して喜びを感じるかというと、ただ今ここにこのようにしているということなのだ。それ以外に大切なことはなく、それ以上に大切なこともない。人はきっと何か別のことを求めているのではないだろうか。幸福というのは何か大それたことでは決してなく、とてもシンプルな形で見出されるのではないかと思う。ただ今というこの瞬間に自分としてあるということ。それは自分としてだけではなく、世界としてあるということでもある。それにさえ気づければ、極大な幸福感の中で幸福感として生きれるということを多くの人に伝えたい。そんな気持ちに包まれている。


この世界は荒れ狂う波のようなものであるのと同時に、世界の本質は究極的な静けさと安らぎであることに気づく必要がある。そこに寛げるかどうか。それが平穏で幸福な人生を送る絶対不可欠な条件のように思える。生きる喜びもまたそうした静けさと安らぎから自然と滲み出して来るものなのだ。


自分の人生の毎日が、自分が伝えたい詩であること、そして音楽であること。日々は詩であり、音楽なのだ。この世界そのものが詩であり、音楽であり、世界は絶えずそれらを歌っている。


儚いのはこの人生でも命でもなく、世界の方だったらどうだろう。世界は儚く移ろいゆくが、ひょっとしたら命の方は永遠なのかもしれない。物理的な命は有限であっても、目には見えない精神的·霊的な命は無限なのではないだろうか。そこに永遠を見据えている自分がいる。大切なものは得てして目には見えない。それを見つめる眼差しは、永遠に裏打ちされたものであって欲しい。内面世界の無限の豊かさは、そんな眼差しから無限放射される。そんなことを考えさせられる時間がゆっくりと過ぎ去っていき、自分はまた無限の時間の大海の凪となった。Air France Lounge@フランクフルト空港:2022/11/10(木)13:02


9388.【フランクフルト滞在記】旅情を感じながら


アムステルダムに向かって飛びだった飛行機の窓から、限りなく広がる地平線が見える。それは彼岸を象徴しているように思えて来る。今回の旅もまた終わりを迎えようとしている。旅の終わりに伴う一抹の侘しさ。それも旅情の1つだろうか。この感覚は、どこか生命の終わりの際に感じるものなのかもしれない。旅もまた1つの死を迎え、新たな命を育むものなのかもしれない。今回の旅は豊かな生命を持つものだった。それは自分の命に深く刻まれていき、自分の命を深く育むことに繋がるものだった。旅の終わりについて思いを馳せながら、同時にまた新たな旅に思いを馳せる自分がいる。今年の年末年始はモナコ広告とマヨルカ島で過ごそうと思っていて、考えてみると、年末年始がやって来るまであと1ヶ月半ほどだ。次の旅が意外とすぐそこに迫っていることに驚く。しかし今は新たな旅の旅程を組みたい気分ではない。今はただ、今回の旅の余韻を味わいたい気分だ。今回の旅を深く抱きしめた後に次の旅に向かいたい。そうやって自分は旅を通じて自己を深めていく。


自分の中に去来する目には見えない思念や感覚を言葉の形にすること。言葉にならなければ絵や音楽にすること。そんなことを繰り返す毎日が永遠の装いの中で進行している。形になったものを見つめるのではなく、形にならなかったもののことを思い、そちらに眼差しを絶えず向けること。それが自分にとって一番大切なことのように思えて来る。霊性の触手はそちらに向かってどこまでも伸びていく。それが霊性涵養の要諦なのではないだろうか。


自分が自分を知ろうとする果てしない旅に出かけて行ったのはいつからなのだろうかとふと考える。自分を知り、世界を知ろうとする終わりなき旅にいつの間にか出発していて、気がつけばいつもその旅の空の下にいるような気がする。


アムステルダムに向かう飛行機は順調に進行している。旅の空の上で、今回の旅全体を静かに振り返っている自分。この瞬間も、この自分もまた等しく尊い。この尊さの感覚を絶えず大事にしていれば、自分は全てを受け入れ、全てを愛せるように思う。アムステルダムに向かう機内の中で:2022/11/10(木)14:41


9389.【フランクフルト滞在記】戯れと揺らめき/非二元の寛ぎに立ち返ること


世界は遊戯。自己は遊戯。心地良い振動によって生み出された遊戯としての世界の中で、自分は絶えず今この瞬間に寛ぎ、世界そのものとして生き続ける。自己も世界も永遠の戯れとして揺らめきながら存在している。それが自己とこの世界の本質なのだろう。


比べることをやめること。自分と他者を比べることをやめること。他者と自分を比べることほど馬鹿げたことはない。自分も他者も1つの存在なのだから。非二元の存在を比較しようとするから分離が起こり、それが苦しみを引き起こすのだ。全て非二元の寛ぎに立ち返ればいいのである。そうすれば、少なくとも今抱えている苦しみは消えるだろう。「治癒(heal)」という言葉の語源は、本来あるべき姿に立ち戻ることにある。本来あるべき姿の非二元に立ち返れば、そこに深い治癒が自ずから生じる。いつも自分は非二元としての本来の自分に立ち返り、そこで深い治癒を得ている。それは今後も忘れたくはない在り方である。何かと比べることをせず、比べることなどできない非二元の自己と世界そのものとして、今という瞬間にピタリと存在を一致させること。それが自分の在り方であり、生き方である。


自分という存在は一体何なのだろうか。それはこの世界に溶け出した世界そのもの。宇宙に溶け出した宇宙そのものなのだろう。自分が今この瞬間に考えていること、感じていることは、自らが宇宙的な存在であるがゆえに、宇宙全体に波及していく。そうであれば、自分の考えていることや感じていることをより美しいものにしていきたいと思う。そうすれば、宇宙そのものを美しくすることにわずかばかりでも貢献できるような気がするのだ。


かつて得体の知れなかった愛というものが、今少しずつわかり始めているような気がする。愛はどこまでも深く果てしない。愛の岸辺に立ち、今その大海に一歩足をつけただけかもしれないが、それは大きな一歩のように思える。旅も終わりに差し掛かり、新たな自己の芽生えを感じる。それは新たな世界の芽生えでもある。自分が新たに生まれ変われば、世界もまた新たに生まれ変わる。生成としての自己と世界。自己も世界も絶えず成る存在なのだ。落ち着きの中に落ち着くこと。寛ぎの中に寛ぐこと。今夜からまた始まるフローニンゲンの生活がどこかとても待ち遠しい。アムステルダムに向かう機内の中で:2022/11/10(木)14:50


9390. 存在の永続性/感謝と幸福感に満ち溢れた存在


無事にスキポール空港に到着し、今、列車に乗った。オランダは日本と異なり、よく列車の遅延や運行休止が起こる。当初予定していた列車とは異なり、ユトレヒトを経由してフローニンゲンに戻ることにした。スキポール空港に到着した時に感じた絶対的な安堵感。今の自分にとってはもはやオランダが母国のような存在になっている。日本は確かに自分にとっての文字通りの母国だが、日本にいるとどこかアウェイな感覚があるのは否めない。一方、オランダでは何者である必要もなく、何者でもない者として深く自分に寛げる。


今回の1ヶ月超に渡る旅を振り返ってみると、いつもの旅と同じように、あるいはいつもの旅以上にそれは思索の旅だったように思う。自分にとっては日記を執筆することにせよ、デジタル絵画を描くことにせよ、曲を作ることにせよ、英文詩を作ることにせよ、全てが思索に繋がるものであり、思索から生まれるものなのだ。現代人を眺めてみた時に、思索というものが最も忘却の激しい実践なのかもしれない。いやそれは本来は実践と言うよりも生きることそのものに他ならなかったのではないかと思う。そうなってくると、思索を忘れた現代人は生きることを忘れてしまったと言えるのではないだろうか。


存在の永続性について。肉体が朽ちても、自分の存在は永遠に生き続けること。それは前述としての思索の結果生み出される創造物を通じても強く生き続ける。思索が結実した創作物の中に絶えず自己は生きているのである。


両親との旅行中に、自分をこの世界に産んでくれたことへの感謝、そして今自分が毎日どれだけ幸福感を感じて生きているのかに対する感謝の気持ちを言葉にして伝えた。それを伝えることによって、自分はさらに感謝と幸福感に満ち溢れた存在になったように思う。感謝と幸福感が結晶となった存在として生きること。そして、その結晶から放射される光をできるだけ多くの存在に届けること。それが自分の使命なのだろう。フローニンゲンに向かう列車の中で:2022/11/10(木)16:12


9391. 魂の故郷に寛ぐ自己と永遠となる自己


穏やかさと寛ぎに満ちた国、オランダ。再びこの国に戻って来れたことを心底嬉しく思う。スキポール空港に到着して、駅のプラットホームに向かっている最中に、いつか自分はオランダを離れ、再びオランダに戻って来るかもしれないことを思った。今のところは北欧での生活を最優先に考えているが、ひょっとしたらどこかのタイミングでオランダに旅行に来ることもあるかもしれず、再びオランダで生活をすることもあるかもしれない。その際にはライデンが自分を呼んでいるような気がする。


自己は多階層性を持つ存在であり、今、底部の自己は治癒がなされ、上部の自己はますます高みに向かって歩みを進めているように思う。それに伴って、自分はますます霊的存在としてのオーラを身に纏い、それを輝かせている。


不思議なのだが、今このようにして形にしている自分の言葉は全て、自分ではないどこかから降ってきているように思える。いや、それは最も高次元の自分から降ってきた言葉なのかもしれない。最も高次元に位置する自分は内外の宇宙と深く繋がっていて、その存在が受信機として言葉を受け取っているかのようである。内外の宇宙の声と自己の声が合致する時、自分の真の言葉が形となって現れる。自分の言葉というのはそういうもののことを言うのではないだろうか。


慈愛と慈悲を通じて自己はさらに涵養されていく。自己の霊性は、慈愛と慈悲を養分として育ち、そのようにして育まれた自己は、慈愛と慈悲を全世界に無限放射する。


自己がゆっくりと還るべき場所に還っていく。そここそが魂の故郷である。魂の故郷に寛ぐ自己は、他の命を優しく包む。


自己の魂は詩人であり、画家であり、作曲家であること。それらの役割を担いながら、この仮初の生を通じて自己は永遠に至り、永遠となる。フローニンゲンに向かう列車の中で:2022/11/10(木)16:23

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