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9365-9369: 日本滞在記 2022年11月6日(日)



No.4139 新たな旅立ち_A New Departure


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1951, Divinity

I can find divinity every day.

It can nourish my soul.

Also, it can open my own divinity.

On JAL407 for Frankfurt; 14:19, 11/6/2022


No.1952, Memory and Recording

A memory could disappear.

However, a recording could exist forever.

Keeping a recording is crucial for our being and culture.

On JAL407 for Frankfurt; 20:21, 11/6/2022


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本日の2曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

9365.【日本滞在記】出発の朝を迎えて

9366.【日本滞在記】成田に広がる朝空を眺めながら

9367.【日本滞在記】記憶と記録・記録と記憶

9368.【日本滞在記】書籍の原稿の加筆・修正を終えて

9369.【フランクフルト滞在記】欧州に帰ってきて


9365.【日本滞在記】出発の朝を迎えて


時刻は午前5時半を迎えた。出発の朝を迎え、今の心境は穏やかである。例年であれば、これから欧州に戻るのだという少し気構えが必要であったが、今年は不思議とそうした構えがない。もはや構えが不要なほどに、自分はこの世界のどこでも自分としてやっていける状態になったのだろうか。それに加えて、今回の一時帰国は自分の中で何かが変わり、これまでにはない形で多大な充実感があったことも影響しているかもしれない。日本で学べること、体験できることは全て体験し尽くしたという満足感が今の自分の内側に流れていて、それがあるからこそ何の気構えもなしに欧州に帰れるのかもしれない。


日本を出発する今朝は、1つ印象的な夢を見ていた。それは無限ループする世界の中に生きていたことだ。具体的に何を無限ループしていたかというと、それは生きることであった。生命のバトンが次から次に渡され、輪廻転生を繰り返していたのだが、自分固有の意識がそこに絶えず残っていて、自分として何度も人生を体験するということが起こっていたのである。この奇妙な感覚に最初は違和感があったが、徐々に慣れてきて、最終的には永遠を生きることの中に寛ぐことができた。すなわち、最初のうちは永遠を生きることに戸惑い、時に恐怖のようなものを感じていたが、徐々に永遠を生きることに伴う絶対的な幸福感を感じていたのである。永遠を生きる中で様々な人たちとの出会いがあった。その中で、1人の知人の女性と偶然再会し、少し話をしていた。会話の最中はとても楽しげで、輪廻転生した先で再会できることをお互いに喜んでいた。今朝方はそのような夢を見ていた。これが日本で見た最後の夢である。さて、今夜からフランクフルトでの滞在が始まるわけだが、欧州に戻ったらまたどんな夢を見るだろうか。生活環境が変われば、それによって無意識も活性化のされ方が異なる。そうしたことから向こうではまた新しい夢を見るだろう。また、この1ヶ月の長きにわたる日本での旅の中で得られた事柄が無意識の深層に沈殿していき、それが消化された形で夢になって現れることもあるだろうし、逆に未消化なものが夢の形になって現れてくることも考えられる。いずれにせよ、今回の旅は非常に充実していて、それが夢の世界にも少なからぬ影響を与えていると思うし、自己の深層部分が涵養されたことは間違いないことかと思う。ホテル日航成田:2022/11/6(日)05:52


9366.【日本滞在記】成田に広がる朝空を眺めながら


時刻は午前7時を迎えた。今朝の成田近辺の気温は6度と冷えていた。日本もようやく朝夕が冷え始めてきて、そんな中日本を出発する。欧州の方の寒さはどうだろうか。今夜から滞在するフランクフルトの最高気温は13度、最低気温は2度とのことなので、東京近辺と比べると随分と寒い。今回一応マフラーとヒートテックを持ってきたが、日本では一切それを使うことがなかった。ひょっとしたらフランクフルトに滞在しているときにそれらが活躍してくれるのではないかと思う。


成田に広がる青空はとても美しい。今日のフライトはとても気持ち良さそうだ。晴れ渡る空から日本を見下ろし、今回の一時帰国の旅を静かに振り返ろうと思う。昨日ふと、記号を生産し、記号を消費する人間の本質について考えていた。人間は記号を生み出すがゆえにこれほどまでに多様な意味宇宙を作り出すのである。同時に、現代社会は記号をいかに消費させるかの仕組みが巧妙になっていて、記号の毒薬的側面が表に出ているような状況である。記号の整備をすること。果たしてそれが可能かわからないが、少なくとも自分は良き記号を生産し、良き記号を消費したいと思う。それが記号の生成と消費を宿命づけられた1人の人間としてできることのように思う。


さて、この日記を書いたらホテルを出発しよう。1階のロビーから空港ターミナル行きのシャトルバスが出ている。7:50のバスに乗ってターミナル2に移動しよう。昨夜ウェブチェックインができなかったので、まずはJAL のカウンターに行き、ボーディングパスを発行してもらう。それを持ってセキュリティーを抜け、ラウンジで寛ごうと思う。おそらく1時間強ラウンジでゆっくりできるのではないかと思う。少し小腹が空いているので、ヨーグルトやフルーツ類を食べようと思う。ラウンジと今日のフライトでは、出版予定の書籍の原稿の修正をしていく。おそらく今日中に全ての加筆修正が終わるだろう。成長疲労に対する処方箋ワークを今いくつも付け加えていて、これがあるのとないのとでは確かに全然違う印象である。ワークを作ることそのものも自分にとっての創作活動であり、ワークが広く多くの人の役に立ってくれればと願う。さて、それでは今から忘れ物がないかを確認して、ぼちぼちチェックアウトしてホテルを出発しよう。ホテル日航成田:2022/11/6(日)07:23


9367.【日本滞在記】記憶と記録・記録と記憶


記憶と記録。記録と記憶。記憶は記録として残ることがあり、記録は記録として残ることがある。だけどどちらも同じものではない。今回の一時帰国の際にも随分と日記をしたためた。それは自分にとって記憶でもあり、記録でもある。今はその記憶は鮮明だが、いつか記憶はこぼれ落ち、記録だけになるのだろうか。仮にそうだったとしても、記録としてのこの日記を開けば、そこにその日の自分がいる。そう、仮にその日の記憶が自分から抜け落ちてしまったとしても、その日自分が確かに生きたということがその日記の中に記録として残っているのだ。自己は記憶的存在として、そして自己は記録的存在として存在している。記憶としての自己と記録としての自己は違う。しかし、どちらも重要な自己であることには変わりない。記憶は抜け落ちていく。それは自然な現象だ。そのように考えてみると、記憶として存在している自己だけではなく、記録として存在している自己も大切にしたいという思いが強まる。その思いを汲んだ行為として日記の執筆がある。それは溢れゆく記憶を受け入れ、記録としての自己を保存する営みに他ならない。だがそこには保存以上の何かがある。日記を執筆することは、記録的自己の保存以上の何かがあるのだ。その瞬間に自分が確かにこの世界に生きていたことを刻むとき、自己は深く寛ぎ、次の瞬間に向けて歩み出す。魂の成長というのはそのような歩みのことを言うのではないだろうか。今日本を出発した飛行機の機内でこの日記を書いている。自分はきっとこの日記を書いたことを忘れるだろう。しかし、この日記は記録として残り続ける。そしてこの日記は、魂に深く刻まれる形で永遠に自己とこの世界に生き続けるのだ。記憶と記録の温もり。どちらもその本質には温かさがある。それらは本来冷たいものでは決してなく、どちらにも温かい血が流れている。今回の旅でそれに気づけたこと。そのことに深く感謝したい。天に近い場所からの感謝の祈りはきっと届くだろう。フランクフルトに向かうJAL407便:2022/11/6(日)13:33(日本時間)


9368.【日本滞在記】書籍の原稿の加筆・修正を終えて


飛行機は順調に進行していて、あと4時間半ほどで目的地のフランクフルトに到着する。欧州から日本に来るよりも、日本から欧州に帰る時の方が時差ボケが少なく、身体的にも楽である。日本での滞在はもう過ぎ去ったものになってしまったが、これからまたフランクフルトでの滞在があり、そこからまた欧州での日常がある。自分にとっていつからか、日本での滞在が非日常的なものとなった。母国の大地を歩き、母国で呼吸することが非日常的なものになったことをしみじみと思う。そこには別に悲壮的な感情はなく、単にそれもまた自分にとっての運命だったのだという受け入れの気持ちがあるだけだ。


フライトの時間が長いこともあって、つい先ほど書籍の原稿の加筆修正を終えた。最初から最後まで改めて文章を読み返しながら、言葉尻を修正したり、誤字脱字を修正していった。そして最も重要なこととしては、編集者の根本さんの助言に従い、成長疲労への処方箋としての具体的なワークを合計で17個ほど盛り込んだ。ワークを作ってみて、結構な数になっていたことを驚く。時代が抱える病の分析をしていきながらこれらのワークに取り組むことによって、少しでも読者の方々が成長疲労から脱却することに繋がればと思うし、社会が抱える成長疲労の構造的問題が少しでも解消されればと思う。原稿の加筆修正を終えたので、ここから原稿をまた数日間ほど寝かせよう。そして後日改めてワークの部分だけを読み返してみて、原稿を根本さんに提出しようと思う。


それでは今から少し休憩がてら機内の個人画面で映画でも視聴しよう。今、機内の窓から地平線を彩る夕焼けが見える。自然が生み出す美に心が洗われ、どこか神妙な気持ちになる。フランクフルトに向かうJAL407便:2022/11/6(日)20:10(日本時間)


9369.【フランクフルト滞在記】欧州に帰ってきて


帰ってきたという感じ。フランクフルト空港に到着した時、そしてフランクフルトの中央駅に到着して街に出て行った時にそのようなことを感じた。もはや自分にとっては日本が異国であり、欧米の大地が母国のように感じられるようになった。しかし実存的な深い部分においてはやはり日本の方が遥かに寛げるような気がしている。フランクフルト空港に到着してすぐに自分の脳と意識は英語に変わった。日本にいた時から毎日少し時間を取っていつものように英語会話アプリを使っていたこともあり、いつも以上に速やかな言語的適応が実現された。ここからゆっくりと言語的にも身体的にも精神的にも、確かな適応を実現させていこう。フランクフルトの街に降り立つのは今回が初めてであったが、当然ながら日本とは全く別の光景がそこに広がっている。街には様々な国籍の人がいて、街のふとしたところには難民風の人や浮浪者がいる。欧州の現状はそのようなものである。


明日は月曜日ということもあって、美術館は軒並み閉館である。また明日はフランクフルト時間の午前10時からオンラインゼミナールがある。時刻はまだ午後8時前だが、これから歯を磨いて、今日は速やかに就寝しようと思う。日本から欧州に来る時には日本を経つ時間が朝のため、さほど睡眠を取る必要がなく、逆にこの時間はもう日本時間の深夜3時ぐらいであるため、速やかに就寝する必要がある。おそらく今日ぐっすり眠れば、比較的早く時差ボケが解消されるのではないかと思う。オランダに戻るまでまだあと4日ほどあるので、オランダに帰る頃には完全に時差ボケが解消されているだろう。これからまた1人で欧州での探究·実践生活を送っていく。これから始まる長い冬が自己をまた大きく変容させていくだろう。欧州に戻ってきたことによって、また自分の取り組みに邁進できることへの喜びの感情が静かに芽生えている。フランクフルト:2022/11/6(日)19:52(フランクフルト時間)

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