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9083-9086: フローニンゲンからの便り 2022年9月9日(金)



No.3976 朝光の桜_A Cherry Tree of Morning Light


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1782, Morning Silence

Morning silence pacifies my soul.

My soul just rests in this peaceful moment.

Groningen; 10:14, 9/9/2022


No.1783, A Spiritual House

Everywhere is my spiritual house.

I can always rest in the world.

Groningen; 19:28, 9/9/2022


No.1784, Plural-Self

A person is always plural.

Because he or she has multiple personas.

Groningen; 20:30, 9/9/2022


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(3つ)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

9083. 今朝方の夢

9084. 利息を所与とする世界観に対して

9085. デジタル時代におけるスライドショー的世界の中で

9086. 箏の稽古(27):技術と感性の双方を育む準備運動


9083. 今朝方の夢


時刻は午前8時を迎えた。ラスキー博士とのセッションから一夜が明け、昨日のセッションをまた自然と振り返っている自分がいる。その振り返りは言葉の形にしておこうと思うので、音声ファイルを午前中に作成し、それを受講生の方に後日共有したいと思う。今日の午前中はそれをメインの活動にしたい。今朝方はとても肌寒く、今の気温は14度であり、日中も19度までしか気温が上がらないようだ。午後から夕方にかけては小雨が降る予報が出ている。


今朝方もいくつかの夢を見ていたように思うが、今のところ1つだけ覚えている。夢の中で私は、予備校時代の寮仲間と一緒に旅行に出かけていた。寮仲間のうち、1人自分たちより年上の人がいた。その方は医学部に進学を考えていて、すでに何浪かしていたが、長い浪人生活にもめげずに勉強を続けていた。ちょうど旅先の旅館では、その方の部屋に全員が集まって話をした。随分と話が盛り上がり、数時間ほど話に熱中していた。そこで一度解散となったが、私はその方を自分の部屋に招待して、話の続きをしようと持ちかけた。するとその方は賛同してくれ、そこからは自分の部屋で話すことにした。その方の部屋にせよ、自分の部屋にせよ、どちらの部屋にも大きなライトイエローのカーテンがあった。カーテンの厚さは厚くなく、風でなびくような薄いカーテンであった。今朝方の夢で覚えているのはそれくらいだろうか。その他にも感覚として覚えているのは、気分が高揚している場面があったことである。自然を眺めて気分が高揚していたのか、人と話をしていて気分が高揚していたのか、そのどちらかだったように思う。いずれにせよ、昨日のラスキー博士とのセッションの内容との繋がりを見出すことは難しいが、気分が高揚していた場面に関して言えば、ひょっとしたらラスキー博士との充実したセッションが何か影響を与えているかもしれない。フローニンゲン:2022/9/9(金)08:26


9084. 利息を所与とする世界観に対して


時刻は午後1時を迎えた。今はまだ雨が降っておらず、静かな午後の世界が目の前に広がっている。午前中は予定通りに、昨日のラスキー博士との英語でのセッションを振り返りながら、当日のセッションで用いられたPDF資料の1ページ1ページを解説した動画を作った。それは合計で90分ほどの時間となり、その動画を見てもらうことによって昨日のラスキー博士の説明についてより理解が深まるだろうし、セッションの中で取り上げられていなかった細かな点も理解してもらえるのではないかと思う。


先ほどふと、マネーが利息で膨張していくことを所与すると世界観のおかしさについて考えていた。個人として、そもそも銀行に預けたお金が増えていくことを当たり前だと思っているその発想そのものを疑ってみた。マネーは減価されていくような他の財や物質と違い、減価するどころか利息を通じて増大していくことが前提とされている。そもそも金利が付いてマネーが増えることが当たり前の形で個人も企業も活動をしていることに疑問を呈してみると、社会のマトリックス構造の一端が見えてくるのではないかと思う。減衰するマネーというものも最近学者の中で議論されていて、関連する学術書も出版されている。価値保存しながら利息で増大していくマネーと、価値保存しながら減価していくマネーというのはどちらがあるべき姿なのかまだ簡単に結論を下すことはできないが、いずれにせよこれは興味深いテーマである。利息というものを所与にした世界観で支配されている社会と、利息を認めない世界観の社会の比較もしていきたい。イスラム世界を理解するというのはまさにそれにつながるだろう。フローニンゲン:2022/9/9(金)13:06


9085. デジタル時代におけるスライドショー的世界の中で


時刻は午後4時半を迎えた。天気予報が少し外れ、この時間帯はまだ雨が降っていない。空には確かに雲があるが、雨を降らせるような雲には見えない。どうやら今日はもう雨が降らないようだ。


ここ最近は貪るように読書を進め、随分と幅広いテーマやトピックに関する概略的な知識を仕入れている。それをもう少し続けていき、精読期のフェーズにおいては、探索したテーマやトピックの中でも自分が最重要だと思うものから優先的に深い理解を得ていき、今後の論文や書籍の執筆に繋げていきたい。今日の午前中一杯は、ラスキー博士をお招きしたプログラムに関する補助音声ファイルと解説動画を作成していたので読書はできなかったが、午後の読書は集中して行われ、4冊ほどの書籍の初読を終えた。そのうちの2冊は、クァンタン·メイヤスーの思弁的実在論に関するものだ。


読書を進めていく中で、デジタル時代における世界の有り様について考えていた。現在はまるでスライドショーが映し出されるかのように世界が動いている。テレビやインターネット上での情報コンテンツは、まるでスライドショーが映し出されているかのようである。こうしたスライドショー的世界は、自分事として捉えるという意味での現実感はどんどん希薄なものになっていくが、逆に特殊な現実感を醸成し、そこに多くの人々を動員しているという側面もある。希薄化される現実感と強化される現実感の双方が入り混じっているのが、デジタル時代におけるスライドショー的世界の一端の性質と言えるだろうか。


それでは今から今日の箏の稽古に励みたい。来週の月曜日に2回目のオンラインレッスンがある。それまでに、前回先生と話し合って決めた課題曲の精度を高めていきたいと思う。箏の日々の稽古は、今の自分にとっての大事な癒しの時間である。フローニンゲン:2022/9/9(金)16:39


9086. 箏の稽古(27):技術と感性の双方を育む準備運動


時刻は午後5時半を迎えた。つい今し方、今日の箏の稽古を終えた。今日はまず最初に、『文化箏のテクニック第2巻』を用いて、基本的なエクササイズから始めた。まずは10番目のエクササイズを一通り演奏していき、その次に11番目のエクササイズを通しで演奏した。このときに、準備運動のエクササイズを単なるエクササイズとして捉えてはならないことを思った。そこにも技術と感性が滲む出すことを見たときに、それを単なるエクササイズで留めてしまうのはもったいなく、技術と感性の双方を涵養する格好の機会として捉えて意識的に演奏をしていくことが重要かと思った。例えば、一流のスポーツ選手の準備運動は見ているだけで美しさを感じられるように、箏の演奏前の準備運動としてのエクササイズも技術と美的感性の涵養のための重要な機会とみなして日々取り組んでいこう。明日以降もこの10番目と11番目の曲を念入りに演奏したい。そこから今日は、「思い出のアルバム」「アメイジング·グレイス」「愛のロマンス」「モルダウ」の練習をした。トレモロもだんだん板についてきて、小刻みに音が鳴らせるようになってきた。そこに進歩の証を見る。明日は、かき爪と割り爪の練習をした後に、その技術が要求される、ジャン=ジャック·ルソーの「むすんでひらいて」を練習しようと思う。フローニンゲン:2022/9/9(金)17:35

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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