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9062-9070: フローニンゲンからの便り 2022年9月6日(火)



No.3973 象徴の柱_A Pillar of Symbol


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1775, Kami

Kami exists beyond our intellect.

It does exists beyond us and protects us.

That’s why we are here now.

Groningen; 09:18, 9/6/2022


No.1776, Various Levels of Purification

We need not only physical purification but also mind, soul, and spirit’s purification.

Because the modern society rots the diverse dimensions of us.

Groningen; 09:27, 9/6/2022


No.1777, Co-Construction of Reality

Both humans and non-humans co-construct reality.

Without each contribution, reality would disappear.

Groningen; 15:02, 9/6/2022


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(3つ)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

9062. 今朝方の夢

9063. 今日の箏のレッスンに向けて/今朝方の夢の続き

9064. 否定の力/今朝方の夢の続き

9065. 神道における魂の4つの区分

9066. 箏の稽古(24): 箏のオンラインレッスンを終えて

9067. 政治と投資

9068. 政治思想・政治学に関する良著との出会い

9069. 箏の稽古(25):基礎練習の楽しさを味わいながら

9070. 政治・経済・宗教の三本柱の探究


9062. 今朝方の夢


時刻は午前6時を迎えた。辺りはまだ真っ暗であり、これから夜が明ける。今日は昨日と同じく、最高気温が27度まで上がり、日中は暖かさを感じられそうである。深夜から明日の朝にかけては強い雨が降るようだ。


今朝方はいくつかの夢を見ていた。1つ1つそれを振り返っておきたい。ちょうど昨日は、フロイトとラカンの精神分析に関する書籍を読んでいて、そこでもまた夢分析の重要性が強調されていた。日々夢について振り返ることは、精神の治癒と浄化につながる。


夢の中で私は、宗教の布教に関する話を友人から聞いていた。友人が布教に熱心だったというわけではなく、宗教学のコンテクストで布教の意義や方法について話を聞いていた。すると、大学時代のゼミの友人がその場に現れ、今度海外の大学院に留学するためにアプリケーションを送りたいと述べた。まずは教授に挨拶をしたいらしく、そのメールを執筆中とのことだった。メールを見せてもらうと、タイトルからして表現がおかしく、誰かに添削をしてもらった方がいいと思った。すると、彼の知り合いの若い教授が指導教官としてメールの添削をしてくれるそうだったが、その人もまた留学経験はなく、英語もそれほど堪能ではないようだった。なのでもしかしたら自分が添削をしてあげた方がいいかもしれないと思い、必要であれば自分が添削することを彼に伝えた。すると、彼は嬉しそうにして、大変心強いと述べた。すると気がつけば、彼はその場からいなくなり、その代わりに2人の女子友達が私の隣にいた。彼女たちとも留学の話をした。どうやら彼女たちも海外の大学院に留学したいと考えているようであり、自分だったらどこの国のどの大学院に進学したいかと尋ねてきたのである。彼女たちの選択肢にはイギリスとアメリカの大学があるらしく、その2つの国であれば、最初私はイギリスの歴史ある名門校への進学をしたいと思ったが、それを伝える直前になって、やはり自分が心の中で本当に進学したいのはアメリカの大学院だと思った。また、元々自分はかつてアメリカの大学院に留学した経験があるので、アメリカの大学院の方が勝手を知っている分良いかと思った。国が違えば教育が変わるので、自分の場合はやはり慣れ親しんだアメリカに留学したいと思い、もし自分が進学するのであればという条件で、1つの大学名を挙げた。すると、彼女たちは納得した表情を浮かべて、どこかに消えていった。


今朝方はそのような夢を見ていた。2つの場面ともに留学に関するものだったことは興味深い。ひょっとしたら、昨夜の入浴中に、今年の秋の出願に向けて、そろそろ動き出そうと考えていたことが2つの夢の引き金になったのかもしれない。フローニンゲン大学の3人の教授に推薦状の依頼をしようと考えていて、秋の一時帰国の前と最中に3人には連絡をしておこうと思った。ここからまた人生が大きく動き出しそうだ。フローニンゲン:2022/9/6(火)06:31


9063. 今日の箏のレッスンに向けて/今朝方の夢の続き


ゆっくりと夜が明け始めている。空はダークブルーからうっすらとした青色に変わり始めている。今日は昼前に箏のオンラインレッスンがある。前回は体験レッスンだったので、実質上、今日が最初のレッスンということになる。9月は3回ほどレッスンを受ける予定だが、10月に関しては丸々日本に一時帰国する予定であり、箏を日本に持っていかないので、その期間にレッスンを受けられないのは残念だ。先生の教室は福岡にあるので、実家の山口県から片道3時間かければ行けない距離ではないが、この件についてはまた検討しよう。今日のレッスンに向けて、改めて調弦をしておきたい。よく言われるように、確かに調弦をまめにしておかないと、いつの間にか音がずれていて、それに気づかないままに稽古をしてしまうことになる。自分では気づきにくかったが、昨日改めてチューナーで音を確認すると、随分と音がずれていたので驚いた。


小鳥たちがピピピ、ピヨピヨと鳴き声を上げている。彼らの声に耳を傾けながら、今朝方の夢の続きを振り返っている。夢の中で私は、高校時代の同級生の女性友達と一緒に、屋外にあるシャワーを浴びようとしていた。そこは男女兼用のようであり、シャワーを浴びてから辺りの芝生に寝転がって日光浴をしようと考えていた。彼女も私もその場で服を脱ぐことに抵抗感はなく、お互いに早くシャワーを浴びてさっぱりしたいと思っていた。シャワーの場所に行くと、シャワーの出が悪く、お湯が出るまでに時間がかかるようだった。そのため、服を脱いだ状態でその場で待っておかなければならず、そこで少し彼女と話をした。しばらく話をしていてもまだお湯が出てこないようだったので、そのシャワーではなく、少し離れた場所にあるシャワーを使おうと思った。どうやらそちらはお湯が出るようであり、衣服を近くに置こうとしたら、高校時代の友人2人がやって来て、衣服をそこに置くと料金が発生するとのことだった。私たちは近くの地面に置かれていたタオルの上に衣服を置こうとしていて、どうやらそのタオルは友人の持ち物らしく、そこに荷物を置くと彼に料金を払わなければならない仕組みのようだった。彼と私は友人関係なので、そんなけち臭い話はなしにしてもらいたいと思ったが、どうやら彼は本気で料金を徴収する気らしく、それが伝わってきたので、彼女と私は再び衣服を持って先ほどのシャワーに向かった。すると、どうやらシャワーが使えるようになっていて、喜びの感情に包まれながらシャワーを浴びた。そのような夢の場面があった。フローニンゲン:2022/9/6(火)06:55


9064. 否定の力/今朝方の夢の続き


時刻はゆっくりと午前8時に近づいている。先ほど、ほんのわずかだが、小雨がぱらついていた。今はそれが止み、再び小鳥たちが鳴き声を思い思いに上げている。今日はこれから箏のレッスンまで読書に励みたい。昨日は随分と読書が捗り、8冊ほどの書籍の初読を終えた。今日もまたそれくらいの勢いで旺盛に読書を進めたいものだ。自分の魂が、そして精神が読書を必要としている。


人間は絶えず否定の力を持っていることについて先ほど考えていた。ドゥルーズとガタリが指摘するように、私たちは絶えず分裂症的な傾向を持っている。認識として自己を客体化することによって、主体は自己と分裂的な距離を取る。これが行き過ぎると不安を含めた精神病が生じる。一方で、そうした客体化の力を通じた否定によって変容的発達が実現されることも確かなのだ。精神が持つ客体化能力というのは、人間にとって諸刃の剣なのだということがわかる。


今朝方の夢についてはすでに振り返っていたが、先ほど作曲実践をしている時にふとまた別の夢を思い出した。そう言えば、母方の叔父と大阪で会おうとする夢の場面があった。すでに叔父とはいつどこで待ち合わせをするのかを決めていたのだが、予定よりも早く大阪に行けることになり、大阪に到着してから叔父に突然連絡をした。すると叔父は最初驚いていたが、せっかく早くきたのだから今から迎えに行くと言ってくれた。私は叔父の家の最寄駅で待つことにした。そこでふと、早く来たのはいいものの、宿泊場所を確保していないことに気づいた。叔父の家と現在協働中の企業のオフィスがある場所は近く、翌日にそのオフィスで仕事があるので、オフィスと叔父の家の中間あたりのホテルを予約しようと思っていたが、結局予約をしないままに大阪に来てしまったことに気づいた。今夜の宿泊場所をどうしようかと考えている時にハッと目覚めた。そして、叔父と会うのは1ヶ月以上も先のことだと思って安心した。そのような形で今朝方は目覚めていた。この秋に久しぶりに会う叔父が夢に出てきた。叔父と会ったのは、2018年ぐらいに一時帰国した時依頼なので、実に4年ぶりに会うことになる。その時は帰国してすぐで体調を崩してしまい、あまり楽しく時間を過ごせなかったが、今回は帰国してしばらくしてから会うので体調は万全だろう。叔父とは大阪の中之島美術館を巡ったりして、ゆっくりと時間を過ごしたいと思う。フローニンゲン:2022/9/6(火)07:59


9065. 神道における魂の4つの区分


今朝方、隣人のマークが昨夜受け取ってくれていた書籍を届けてくれた。それは、ロビンさんの友人でもある、アムステルダムで神道の神主として仕事をしているポール·ド·レオさんが編集を務めた”The Essence of Shinto: Japan’s Spiritual Heart”という書籍である。本書はなんと昨年から今年にかけて2回注文したが、2回とも書籍が届かなかった奇妙な縁のある本でもある。それが3回目の注文でようやく届いた。本書はとてもわかりやすい英語で執筆されていて、神道に関する基礎的なことから古神道に関することまで触れられており、今の自分にとっても大変参考になる1冊であった。本書を読みながら、神道の世界において、魂が4つに区分されていることに改めて着目した。インテグラル理論においては一括りに魂とされるが、魂の次元を丁寧に見ていくと、神道においては4つに分類される。「一霊四魂」と呼ばれるように、例は直霊玉の1つであるが、魂には4つの種類がある。それぞれ、荒魂(あらみたま)、和魂(にぎみたま)、幸魂(さちみたま)、奇魂(くしみたま)と分類される。それぞれの魂の性質も詳細に書かれていて非常に参考になったが、それ以上に興味深かったのは、幸魂がサトルボディに対応していて、奇魂がコーザルボディに対応しているという記述であった。このあたりにもインテグラル理論で語られていることとの親和性を見出すことができる。ちなみに、荒魂はグロスボディに対応し、和魂はグロスとサトルの間のエーテル体と対応するという分類がなされていた。いずれの魂も機能が過剰に働くと病理的症状をもたらす。例えば、最上位の奇魂は高度な霊的直感を司るものだが、それが過剰に働くと、精神過敏や精神異常をもたらす。また、感情的な豊かさをもたらす幸魂も、それが過剰に働くと、ヒステリー症を引き起こす。和魂は落ち着きや調和をもたらす性質を持っているが、それが感情に働くと、バランスを失い、過剰労働や欲望に溺れた生活をもたらす。最後に、肉体の健全さを保つ荒魂も、それが過剰に働くと、理性や感覚の喪失に繋がり、とりわけ身体の健康を損ねてしまう。神道にもこうした霊魂観があったことに改めて驚く。それは現代の精神医学やソマティック心理学にも繋がる発想である。ここからは神道における死の取り扱いに注目して読書を進めていこう。フローニンゲン:2022/9/6(火)09:48


9066. 箏の稽古(24): 箏のオンラインレッスンを終えて


時刻は正午を迎えた。朝は雲があって小雨が降る瞬間があったが、今は空が晴れ渡り、とても明るい。先ほど、箏のオンラインレッスンを終えた。先生からマンツーマンで教えてもらえると学びが本当に多く、各回のレッスンを通じてミクロな成長を実感することができる。今日も約1時間のレッスンを通じて、たくさんの学びがあった。今日はまず最初に、調弦の話をして、そこからレッスンに入った。昨日に調弦したばかりだが、本日のレッスンの前にチューナーで音を確認してみると、少し音がずれていて、その点について先生に尋ねたところ、新しい箏だとまだ音が定まっておらず、音が狂いやすいとのことだった。調弦の話を聞いた後に、『はじめての文化箏』の楽譜をもとにレッスンが始まった。まずは基本的な親指の弾き方に関する指導を受けた。この時に、自分は無意識的に薬指をピンと伸ばして演奏する傾向にあり、その点を指摘してもらった。薬指をピンと伸ばすのではなく、右手で卵を持つように柔らかく手の形を作り、薬指は弦に軽く添え、小指は薬指に軽く添えると安定して音が出せるとのことだった。まずはこの形をしっかり体に覚え込ませていこうと思う。そして、通称「尺取虫」の動きと呼ばれる動きをしながら、親指と薬指の感覚を狭めたり広げたりしながら音を出していく練習をした。今日練習したのは、「チューリップ」「きらきら星」「越天楽今様」の3曲である。「チューリップ」に関しては、出だしのところで、卵を握る形、あるいはバレーボールのトスの形を維持したまま、この時には小指を龍角に添えておくと安定して音が出しやすい。「きらきら星」の演奏の際に、同じ弦の音が連続する時には、前の音を消してしまわないようにすることが重要だと指摘を受けた。前の音を消さないためには、焦ってすぐに弦に爪を当てるのではなく、ゆとりを持って、ちゃんと音を響かせた後に爪を弦に当てて弾くことが重要になる。この点は今後も要意識である。「越天楽今様」の練習の際には、箏の思わぬ性質について知った。先生曰く、この曲は尺八などの演奏に適しているらしく、その理由としては、この曲の中には音を伸ばす箇所と休符の箇所があり、箏は音を伸ばすことに向いておらず、付点と休付が演奏上は同じになるからとのことだった。確かに自分でも練習しながらそのようなことを感覚的に思っていた。今日はその他にも、『はじめての文化箏』と合わせて購入した『文化箏のためのテクニック2巻』を用いて、ハ長調における指の動かし方のエクササイズを行った。今日取りあげたページについてはテンポが一定になるように練習を続けていくことを次回までの課題とした。今日は夕方にまた今日の復習の時間を設けたい。フローニンゲン:2022/9/6(火)12:20


9067. 政治と投資


涼しい風が書斎を駆け抜けていく。今日もまた天気が良く、それでいて気温が高くないのでとても気持ち良い。先ほど、ハンナ·アーレントの名著 “The Human Condition”の初読を終えた。ビョンチョル·ハンはよくアーレントのこの書籍を引き合いに出し、アーレントが述べる“vita activa”という活動的な生ではなく、観想的な生の大切さを説く。ハンの書籍を通じて間接的にアーレントの思想に触れていたが、改めてアーレントの原著を辿ってみると、労働、仕事、活動という3つの区分については改めて考えさせられることがあった。本書を読みながらふと、政治について考えていた。ここ最近は政治そのものと政治学、そして政治思想に関心を示している自分がいる。いつか自分の研究と実践は政治に強く結びつくものになるだろうし、研究と実践が政治を取りあげたものになるような気がしている。政策立案の難しさと実行の難しさを素人ながら考えていた。絶えず生き物のように変化する複雑な社会の中で、本来は1つの政策が正しい処方箋であるのかはいくら実証的なデータに基づいて検証していても実行してみなければわからない側面が多々ある。実行後、個人や社会の状況が変われば、その政策が効力を失うことも往々にしてあることだ。その時に、やはりすぐにでもより良い打ち手を次に打っていく機敏さと、複数のシナリオを想定した代替案を常に持っておくことが重要になると常々思っているが、そのあたりの素養を政治家はどれほど持ち合わせているのだろうか。一度打った打ち手をたやすく引っ込められないというのはそうだと思うが、投資における損切りのように、良い打ち手と思っていたものが環境変化によって悪手となった場合にどれだけ既存の打ち手に引っ張られずに軌道修正していく力は本当に大切なものに思われる。認識上のバイアスの1つして、人は自分が実行したことの誤りが明らかになった場合でも、すぐにはその過ちを認めることができないというものがある。そうした自らのバイアスを客体化できるだけの内省能力は不可欠であり、自らの認識のバイアスを指摘してくれる参謀の存在も重要だ。また、そもそも自らの誤りを認めたくないことに伴う心の影の部分を見ておくことは重要であり、それをしない限り、悪手は悪手のままでズルズルと存続してしまう。それの方がより社会的損失が大きいように思える。国民に対して複数のシナリオや今その政策がどれだけの効果をもたらしているのを報告しながら、国民側も複数のシナリオを理解することに努め、状況の変化に応じて政策が変わりうることを了承することが必要かと思う。こうしたことを実現するためには、政策の進捗に関する可視化と政治家と国民との密なコミュニケーションは不可欠になってくる。最後に、国家運営を投資に喩えるのは不謹慎かもしれないが、個人投資家の多くが損切りできず、環境変化に応じた柔軟な対応が出来ないのと同じことが多くの政治家に起こっているように思えるのは気のせいではないだろう。多くの国民もまた政策における損切りができないマインドセットを持っているし、そもそも政策判断に資する知識がない。このあたりの溝を埋めるような役割を担っていきたいと考えている。いずれにせよ、政治の世界においてどれだけ心や意識の作用に関する問題が議論されているのかはわからないが、他の分野と同じく、政治家の心の在り方は非常に重要なトピックのように思えてくる。またそこにこれまで自分が研究と実践を積み重ねてきたことが貢献できるようにも思える。フローニンゲン:2022/9/6(火)14:56


9068. 政治思想・政治学に関する良著との出会い


現代社会を強く呪縛しているマネーについては実に様々な角度から探究をしようと思っている。マネー神学然り、マネー哲学然り、会計学然り、経済学然り、金融理論然りである。最後の金融だけ、ファイナンスの分野はあるがそれを「金融学」と呼ばないことが興味深い。それは未だ学問分野として体系化されていないのだろう。昨日は会計学そのものの歴史を辿る学術書を読み進め、今日は財務会計と並ぶ会計分野の管理会計に関する思想について解説した学術書“A Philosophy of Management Accounting: A Pragmatic Constructivist Approach”を読み進めている。認識論や社会学、そして文化人類学の先端的理論を用いて管理会計という分野を捉えてみると、実に様々な問題点が浮かび上がってきて、目を見開かされる思いだ。時間はかかるだろうが、マネーについては引き続き多角的に研究を進めていく。


マネーの内在性質に関する読書を進める中で、政治学への関心の高まりから、何か良著はないかと調べていた。特に洋書に限定するわけではなく、自分の主たる関与先はやはり母国である日本なのであるから、日本の政治思想の流れ、そして現代の政治の状況を理解したいと思って幾つかの和書に行き着いた。大学時代の友人が丸山真男の書籍を熱心に読んでいて、その書籍についてよく言及していたことを懐かしく思った。彼が読んでいたのは名著『日本の思想』であり、それは確か実家の本棚にあったと思うので、今度の一時帰国の際に再読するか、オランダに持って帰りたいと思う。丸山のその他の著作物については持っておらず、上記の書籍以外にも興味深い書籍を3冊ほど見つけた。また、政治学の基礎的なテキストや、政治分析の道具を提供してくれるような学術書を見つけたので、それらもまとめて今夜にでも購入したい。8月に250冊を超える書籍を購入したばかりだが、自分の研究の肥やしになる良著との出会いは後を絶えない。とにかくまだ引き続き自分の関心の赴くままに様々な学問分野を狩猟していこうと思う。その成果が結実するのはもっと先になるだろう。時間軸を伸ばして今の自分にできる取り組みをとにかく日々続けていく。フローニンゲン:2022/9/6(火)15:42


9069. 箏の稽古(25):基礎練習の楽しさを味わいながら


つい今し方、本日2回目の箏の稽古を行った。その前に、ジークンドーの稽古として、21個の接触法を最初から最後まで2回通して練習し、そこから右左のジャブからフックを打つコンビネーションを何度か練習した。その後、コークスクリューフックを取り上げて集中的に練習した。身体を動かした後、再び箏の稽古に入った。そこでの焦点は、今日の昼前に行われたオンラインレッスンの復習である。先生から教えていただいたことを確認しながら、技術的なポイントを身体に覚え込ませるように丁寧に音を出していった。とりわけ手の形と指の位置に注意しながら練習をしていった。教材として、『文化箏のテクニック2巻』を用いた。これは箏の演奏における基礎的な技術を訓練するにはうってつけの教材かと思う。まるで数学の基礎問題集を何度も繰り返し解いて基礎を定着するかのように、あるいは英単語帳を用いて基礎的な単語を定着させるかのように、本書を用いて基礎的な技術をしっかりと定着させたいと思う。箏の稽古がこれまでの学習や実践と関連付けられて充実した形で行われている。これまでの学びや実践が思わぬところで交差し、紐づけられていくことが興味深い。学びや実践というのはこのように連関的に豊かになっていくのだろう。明日もまた今日の復習から練習を始め、次回のレッスンに向けて、「さくらさくら」「故郷」「喜びの歌」の3曲と、上記の書籍の10番目のエクササイズに加えて、11番目のエクササイズを練習していこうと思う。それでは今から作曲実践を行い、読書を少々してから夕食の準備をしたい。今夜は時間を作って、政治学·政治思想に関する和書を注文しようと思う。フローニンゲン:2022/9/6(火)17:19


9070. 政治・経済・宗教の三本柱の探究


今日もまた充実した1日が終わりに差し掛かっている。時刻は午後8時半に近づきつつある。先ほど、郵便受けを確認したところ、2冊の書籍が届けられた。先月注文した250冊の書籍のうち、まだ届いていないものはようやく残り13冊となった。テクノロジー哲学に関する1冊の書籍は来年の3月末に発売されるもので、それを予約購入しておいた。そのため、実質上はあと12冊の洋書を受け取ればいい。そんな折に、先ほど再度12冊ほどの和書を購入した。結局、先月と今月を合わせると、300冊近い学術書を購入したことになる。先ほど購入したのは、丸山真男の政治思想に関する書籍が3冊、上原専禄先生の死生観に関する書籍が1冊、社会的連帯経済に関する書籍が1冊、日本の思想史·政治思想史に関する書籍が6冊、ヤマギシ会に関するフィールドワークの書籍が1冊である。『神社と政治』という書籍も中身を確認したところ、大変興味深い内容だったので購入したかったのだが、現在在庫がなく、オランダには1ヶ月半から2ヶ月近くの配送時間を要するようだったので注文はしなかった。来月からの日本の一時帰国のため、その書籍を受け取れない可能性があったからだ。その代わりに、本書は日本に帰ったら書店で探してみたいと思う。先ほど注文した書籍は、上原専禄先生の書籍を除いて来週中には届きそうなので、早速政治思想に関する書籍をざっと概観していこうと思う。政治、経済、宗教というのは自分の中で三大柱の探究項目になりそうである。研究や実践がどのような形で実を結ぶのかは全くわからないが、今はとにかく自分が関心を持った分野の学術書を手当たり次第に読んでいこうと思う。そうすれば、自ずから道は開かれ、自ずからが道ができていくであろう。フローニンゲン:2022/9/6(火)20:32

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