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7747-7752: フローニンゲンからの便り 2022年1月24日(月)



No.3158 旅立ちの生命_Life for Leaving


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1178, You’re the Sky

You are not any clouds in the sky.

You are the sky itself.

Don’t be captured by clouds.

Instead, look at the sky anytime.

Groningen; 14:03, 1/24/2022


No.1179, Listening to the Voices of My Body

I’ll listen to the voices of my body more carefully.

The habit would be to enhance my movement dramatically.

Groningen; 20:50, 1/24/2022


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

7747. 今朝方の印象的な夢

7748. 腰と背中を温めて/今朝方の夢の続き

7749. 壺の空洞/肘とお尻への意識/楽しさの感情と力みのない身体

7750. 雲ではなく空として/心身一如ではなく身心一如として

7751. ジークンドートレーニング28:3つの力への意識

7752. この6年間の歩みの変遷/身体の声とイメージ


7747. 今朝方の印象的な夢


時刻は午前6時半を迎えた。昨日はサウナに入ったこともあり、快眠がもたらされていた。睡眠の質は高く、目覚めは極めて良好だった。


ここのところは夜寝る前にもストレッチをしていることもあり、それも快眠の手伝いをしているように思える。その他にも細かいが、就寝の1時間前にはもうパソコンを閉じて読書をしていることも快眠の手助けになっているのではないかと思う。そんな形で快眠を取っていたのだが、今朝方は1つ印象に残る夢を見ていた。


夢の中で私は、見知らぬ国の森の中にいた。しばらく森を歩いていると、ロッジのような宿泊所を見つけた。今日はそこに宿泊しようと思って中に入ると、外観とは違い、中はとても広く、ホテルのような作りをしていた。


チェックインを済ませ、荷物を部屋に置くと、私は研修室に向かった。するとそこには巨大なスクリーンがあり、そこに説明資料が映される形で講演会が行われていた。


私は空いている席を見つけて腰掛け、その講演を聴こうと思った。しばらく講演を聴いていると、それがいつの間にか終わり、自分の手元にあるパソコンとスクリーンが繋がった。自分のパソコンにはエクセルの画面が開かれていて、それがスクリーン上に映し出されたのである。


私は大切な任務として、ある行からそこから随分と離れた別のある行までをコピーアンドペーストするというものを受け持っていて、それをしようとすると、あまりにも行が多く、コピーアンドペーストしづらかった。一回目は失敗してしまい、パソコンの操作性があまり良くなかったので、隣に座っていた外国人の女性のパソコンを借りることにした。


普段は、コントロールキーとCを押せばコピーできるのだが、その女性のパソコンではCではなくAだった。コントロールキーとAを押していざコピーしようと思ったら、外が突然騒がしくなった。どうやらこのロッジに襲撃があったようだ。


私はすぐに部屋を出て、襲撃者を確かめようと思った。すると、襲撃者はわずか1人であり、しかもその人物は知っている日本人の俳優の方だった。その方はアクション関係の映画に何本か出演していて、拳銃捌きも見事だった。


そんな悠長なことは思っていられないと思った私は、とりあえず研修室にいる全ての人を逃し、逃し終えた後に、その俳優の方を撃退しようと思った。すると部屋にはもう1人、インドの武術を長らく行っていたと述べるインド人の男性がいて、彼とタッグを組んで襲撃者の俳優の方を撃退しようと思った。


研修室を出て、トイレのある方向に向かった。トイレの奥からは外にも出られるようになっていて、そのトイレの入り口付近は入り組んだ狭い通路になっていたので、そこに身を潜めて俳優の方を撃退しようと思った。


インド人の男性が自分がここを受け持つというジェスチャーをしたので、私は外に出て、外からガラスで出来た通路を歩いてくる俳優の方をピストルで攻撃しようと思った。その方は私が外にいるのに気づき、来た道を戻ろうとしてトイレ側に背を向けた。


すると、その瞬間を逃さず、インド人の男性がピストルを俳優の背中に向け、そして打った。打った球は俳優の方の右の肩甲骨の下辺りに当たった。するとその方は大勢を崩した。私はそれを見逃さず、外からガラス越しにその方に向けて発泡をした。


それらの球は全てその方に当たったが、私は最初から急所を外して打っていた。そうしたこともあり、球は全て当たってもその方はまだ生きていて、何を目的にした襲撃だったのかを尋ねようと思った。


すると、その方はもうそれについて話す時間がないと述べ、最後に、私が昔その方に会った時にリクエストしていた内臓のえぐり出しをやってくれると述べた。その方は最後の力を振り絞り、自分の指をナイフのように鋭く尖らせ、それを内臓のある箇所に突き刺し、内臓をえぐり出してくれた。


私はその光景をとても残酷で君の悪いものだと思ったが、昔自分がリクエストしていたことでもあったので、その方が最後の力を振り絞り、文字通り命を賭けて最後に行ったその動作を最後まで見届けようと思った。フローニンゲン:2022/1/24(月)07:10


7748. 腰と背中を温めて/今朝方の夢の続き


時刻は午前8時を迎えた。洗濯機が止まったようなので、この日記を書き終えたら洗濯物を干そうと思う。


昨日は、武術や身体操作関係のDVDを40個ほど注文し、10冊ほど関連書籍を購入した。武術のトレーニングは、実際に体を動かすことが兎にも角にも大事であり、書籍の中の写真だけでは理解と再現が難しいので、映像を用いたDVDを通じた学習や実践をするようにしている。


購入した書籍は、マーシャルアーツのトレーニングに焦点を当てているというよりも、思想や歴史に焦点を当てたものであり、学術研究の材料になるようなものだ。


マーシャルアーツ関係の40個ほどのDVDが到着すれば、毎日それを見ながら少しずつトレーニングの幅と質を高めていこうと思う。今手持ちのものも含め、DVDは何度も繰り返し視聴し、自分のトレーニングに活かしていく。


ここ最近は骨への意識が高まっている。特に肋骨や背骨、そして仙骨への意識が高くなっている。これまでは湯たんぽでお腹を温めることはしていたが、腰や背中を温めることをそれほどしておらず、昨日からはお腹よりもむしろ腰や背中側に湯たんぽを入れて温めている。


後ろ側に湯たんぽを入れると姿勢が自然と良くなるという副次的な効果も感じながら、重要な骨を温め、日中に頻度を高くして行っている動的ストレッチへの橋渡しにしている。


今朝方の呼吸法のエクササイズと動的ストレッチを終えるあたりに、今朝方の夢の続きを思い出した。夢の中で私は、小中学校時代に過ごしていた社宅の食卓にいた。食卓には両親だけではなく、見知らぬ優しそうで大きな中年男性がいた。


両親はその男性のことを知っているようだったが、私はその方とは初対面だった。口数はとても少ないのだが、終始にこやかにしていて、とても感じの良い人だった。


今から母が作ってくれた手料理をみんなで食べることになった。私はすぐに料理に手を付け、中身をそれほど確認せずに口に運ぶと、どうやらベーコンが入っていることに気づいた。私はベーコンを含めた加工肉を摂取することを避けていたので、少し嫌な感じになったが、ベーコンを久しぶりに食べてみると、意外と美味しいことに気づいた。


だが、加工肉の健康被害について考えると、もうここからはベーコンを口にしないようにしようと思った。そこからは野菜を中心にし、豆腐などのタンパク質類を摂りながら、みんなで談笑しながら食事を楽しんだ。そのような夢の場面があった。


それでは今から洗濯物を干し、朝の創作活動に入る。それが終われば、昨日に引き続き、身体操作に関するDVDを見ながらトレーニングに励む。


午後の予定としては、ジークンドーのDVDを見て、ロビンさんからまだ習っていない動作や技の予習をしておこうと思う。まずは型を学習し、そこから型を通じた内的感覚の涵養フェーズに入っていければと思う。


型の中にエネルギーを通し、それを通じて自由な身体表現ができるようになってくること。それがおそらく型なき型の本質なのだと思う。フローニンゲン:2022/1/24(月)08:24


7749. 壺の空洞/肘とお尻への意識/楽しさの感情と力みのない身体


——私たちは一生懸命に壺を作る。しかし実際に使うのは、壺の空洞の部分である——老子


つい先ほど、午前中の身体操作のトレーニングを終えた。日本古来の古武術の身体操作をトレーニングしていくこともそうだし、ジークンドーやシステマのトレーニングもそうだが、重要なのはそこで習得した身体操作をどれだけ日常生活の中に落とし込めるかである。


武術の技を日常生活で活用することはむしろない方がよく、大事なのはそうした技の習得過程で鍛錬された身体操作をどれだけ体現して生きるかである。そうした形で習得された事柄は、技そのものよりも価値があるのではないかと思う。


まさに老子が述べているように、マーシャルアーツの鍛錬の過程は壺を作る作業に似ている。だが重要なのは、実際に壺を使うときに用いている部分は外形部分ではなく、壺の内側の空間なのだ。それを絶えずわきまえながら鍛錬を続けていこう。


先ほどのトレーニングでは、色々と発見があった。肘を緩め、肘が下向きになっていると、腕が体幹とつながる感じがする。これを応用し、まずは骨盤を太腿の上に乗せる感じでお尻を入れて立ち、肘を下に動かしながらスクワットするエクササイズを行っていた。


すると、これは前ももを使わない分スクワットの動きが楽になる。もっと言えば、活用するのはもも裏やお尻の部分であり、さらには骨盤をうまく活用していると言えるかもしれない。


同様の原理でプッシュアップをすると、プッシュアップが行いやすい。スクワットにせよ、プッシュアップにせよ、システマのトレーニングを始めてからは、それを筋力トレーニングとみなすような愚行を犯さず、あくまでも身体操作を学ぶためのエクササイズとして行っている。肘とお尻への意識から、プッシュアップとスクワットの精度がさらに増す感覚がある。


プッシュアップにおいては、さらに肩甲骨を意識することが重要になる。肩甲骨を下げ、肩甲骨を活用しながら行うとなお行いやすい。筋肉をできるだけ使わず、骨をうまく使ってプッシュアップをする練習は、システマの発想と親和性がある。


こうしたトレーニングをしながら、楽しさという感情と身体について考えていた。楽しくないと体が強張るが、逆に楽しさを感じていると力みのない体でいられることに注目をしていた。これは何もマーシャルアーツの鍛錬に限らず、人生を生きていく上で重要なことなのではないかと思う。


楽しさの感情を起点にし、力みのない体でいること。それを絶えず心がけていきたいものである。そうすれば、心も体も常に活き活きとした状態でいられるのではないだろうか。フローニンゲン:2022/1/24(月)11:35


7750. 雲ではなく空として/心身一如ではなく身心一如として


時刻はゆっくりと午後3時半に向かっている。身体操作に関する鍛錬をし、休憩としてマーシャルアーツに関する書籍を読む日々が続いている。


先ほど買い物に出かけたが、その中でも身体操作やマーシャルアーツについてずっと考えていた。それは論理的な思考と言うよりも、直感的かつ創造的な思考である。


買い物に出かける前にふと、この間のロヴァニエミ旅行のことを思い出した。ヘルシンキに向かう機内の窓から見た光景を思い出していたのである。


窓の外に広がる果てしない青空。私たちは雲ではないということを忘れていやしないだろうか。日常生活の中では様々な感情や体調になるが、それらは空に浮かぶ雲のようなものである。悩みも不安もそうした雲のようなものであり、悩みや不安の根元でさえも雲のようなものではないだろうか。


私たちの本質は、絶えず広がる青々とした空なのだ。それを忘れてはいけない。マーシャルアーツの鍛錬も自己の本質に向かっていくためのものなのだ。


自分が空に他ならないという気づき。その気づきを常態させ、空として生きれるようになること。どこかそれこそがマーシャルアーツの本質のように思えてくる。


心身一如。この言葉は元々は、「身心一如」だった。


心から身体を変えていくアプローチは意外と難しく、身体から心を変えていくアプローチの方が行いやすいのではないかと思う。例えば、身体が辛い状態で、いくら心を心地良い状態にしようと思っても、それには無理があるのは誰しも経験していることだろう。


一方で、身体が心地良い状態になれば、自ずから心も心地良くなっていくものではないかと思う。そうした優位性は必ず存在しているように思う。


心を整えるよりも先に体を整えること。現代人は心が崩壊寸前である以前に、体が崩壊寸前なのだ。その状態を堰き止め、改善に向かうように関与していくこと。それは自分の1つの役割である。


これから午後のジークンドーのトレーニングに入る。今日は教則DVDを見ながらの鍛錬の日だ。そこでは、動作や技の細部に意識を向かわせるよりも、まずは全体像を掴み、彫刻を掘るように、あるいはペンキを塗るように、何周も意識的に鍛錬をすることによって、少しずつ細部を詰め、精度を上げていくアプローチを意識する。


すなわち、細部を大切にしながらもそれに拘泥せず、まずは全体像を把握して、全体のイメージを形成してから何度も練習を重ねる中で細部を研ぎませていくのだ。その意識でこれからトレーニングに入る。フローニンゲン:2022/1/24(月)15:28


7751. ジークンドートレーニング28:3つの力への意識


つい先ほど、午後のジークンドーのトレーニングを終えた。先ほどのトレーニングでは、パンチの打撃の練習を行い、そこから数種類のキックの練習を行なった。キックについてはまだ続きがあり、続きの練習は明日にしたいと思う。


ジークンドーの打撃技においては、とにかく自分の体重をうまく乗せて繰り出されることが特徴だ。また陰陽の思想的な観点で言えば、陰の脱力の状態から一気に陽の攻撃へ移り、そして再びすぐに陰の脱力へ移るという点が重要になる。


さらに、ジークンドーのパンチは全て、直線の力、上方への力、回転の力の3つが働いていることも忘れてはならない。その3つの力の割合は、パンチの種類によって異なる。


今自分が練習しているパンチが、3つの力のうちどれが強いのかをまずは意識していき、そこから徐々に割合の研究をしていこうと思う。


ジークンドーのパンチにおいてはとにかく拳が先に出ていくが、スイングフックだけは、拳が先ではなく、腰の回転が先となる点に特徴がある。その点を押さえながら、ロビンさんとのプライベートレッスンではまだ出てきていないこの技の練習を行なった。


最後に、ロビンさんとのレッスンでもすでに出てきているクロスパンチの練習を行なった。これについては、ジムの鏡のある部屋でも自主トレーニングをしていて、その時にフットワークについて少し疑問があった。それが今日の教則DVDの解説によって随分とクリアになった。


クロスパンチを打つときは、利き足を真っ直ぐ前に出すのではなく、少し斜め前方に出して良いということだった。むしろそうしなければクロスパンチが打ちづらい。また、いかなる打撃においてもそうだが、このパンチにおいても、攻撃後、すぐにオンガードポジションに戻ることを忘れてはならない。


教則DVDの続きにおけるキックは、ロビンさんとの次回のプライベートレッスンで取り上げられるものが出てきているので、予習としてそれらの動作の全体像といくつかのポイントを掴んでおきたい。


それではこれから夕食までの時間を使って、マーシャルアーツ関係の書籍を読んでいこうと思う。フローニンゲン:2022/1/24(月)16:30


7752. この6年間の歩みの変遷/身体の声とイメージ


時刻は午後8時半を迎えた。今日の午後、買い物の帰り道、今からちょうど7年前のこの時期にフローニンゲン大学を訪問し、その翌年の夏からこの街にやって来たことを懐かしく思った。


あと数ヶ月すれば、オランダでの7年目の生活が始まる。この6年間を振り返ってみると、随分と自分の関心事項が変わり、学習や実践の内容がダイナミックに変遷していったことがわかる。


自分が変われば関心が変わる。関心が変わるというのは自分の変化の証なのかもしれないと改めて思った次第だ。


ここからはマーシャルアーツに関する探究と実践が深まっていくことに並行して、きっとまた何か新たな関心がそこに加わっていくのではないかと思う。


今日の夕方、ジークンドーのトレーニングをしていたが、教則DVDは毎回新しい発見があることを嬉しく思った。そもそも1回で技の要諦を全て掴むことなどできないから当たり前と言えば当たり前だが、仮にその技に習熟したとしても、発見は無限にあるのだろう。


ジークンドーの1つ1つの技はシンプルでありながらも、そのシンプルさは複雑性を経てのシンプルさであるがゆえに、内包されている情報量は多く、技術の習得度合いに応じて汲み取れる情報が異なってくる。


そうしたこともあり、ロビンさんとのレッスンや自主トレーニングに並行して、教則DVDは何度も繰り返し視聴していこうと思う。そのたびごとに気づきや発見があるはずだ。


明日もまたジムに行き、トレーニングをしてからサウナに入って来ようと思う。トレーニングに関して言えば、前回挑戦して難しかったイメージを活用した身体動作にもう少し工夫を入れてみようと思う。


イメージの生成は直感的なもので良いのだが、そのイメージによって身体がこわばっていては元も子もない。本来、イメージは身体運動を導くきっかけのような存在であるべきなのだから、それに囚われてはいけないのだ。


そこでは純粋に身体の声を聞き、その声をもとにイメージを直感的に生成することが重要かと思われる。これまでは、直感的に生成されるイメージの根源は身体の声ではなく、技の外形だったのかもしれない。


明日はそのあたりに注意をし、身体の声を聞いてイメージを生成させ、そのイメージに従って身体を動かしてみよう。ステップのような簡単な動きでさえも、何かしらのイメージをもとに体を動かしていきたいものだ。


イメージを通じて自由自在に伸び伸びと動けるような境地に向かって明日からの鍛錬に励んでいこう。そのためには、身体の声につぶさに耳を傾けるという習慣をより徹底させ、日頃からそれを行う中で、身体の声を聞かずとも聞けている状態を作りたいものだ。フローニンゲン:2022/1/24(月)20:47

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