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6893-6894: アートの国オランダからの便り 2021年5月8日(日)


No.2215 洗礼_Baptism


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.600, Life

The process of human development has both continuity and discontinuity.

But our life is both or neither of them.

Life has no start and no end.

Groningen; 06:04, 5/8/2021


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本日生まれた3曲


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タイトル一覧

6893. 信仰心に関する夢

6894. 今日という特別な1日を振り返って


6893. 信仰心に関する夢


時刻は午前5時半を迎えた。今、1羽の小鳥が高らかな鳴き声を上げ、それに続く形で数羽の小鳥たちが鳴き声を上げている。


今の気温は3度と、朝はまだまだ寒い。その一方で日の出の時間は早くなり、日没の時間は遅くなっている。昨日は就寝に向かう午後10時前においてまだ明るさがあった。


今朝方は妙に霊的な夢を見ていた。夢の世界の雰囲気がそのようであったというよりも、テーマがそうであった。端的には、信仰心を扱い、信仰心を問われるような夢だった。


夢の中の私は見知らぬ外国人の男性と英語でその話題について話をしていた。しばらく話をすると、その人はいなくなり、そこから私は信仰に関する独白を行い始めた。そして、信仰についての自己探求を始めたのである。


夢の舞台はオランダの街のようだった。今住んでいる街とは少し雰囲気が違ったが、オランダらしさがそこに漂っていた。時刻は昼前後であり、天気は良かった。空を見上げてみると、雲1つないような晴天だったように思う。


この夢は一体何を伝えようとしているのだろうか。起床してすぐにこの夢について思いを巡らせていると、まぶたの裏にサトル的なビジョンが立ち現れ、誰か見知らぬ日本人男性が国道の車道を自転車で一生懸命に走っている姿が見えた。その姿をしばらく見届けた後、目を開けて起床することにした。


今朝方に見ていた信仰心に関する夢は、本当はもっと細かな場面があったように思う。今それを思い出そうとしている。


見知らぬ外国人の男性だけではなく、どこからか女性の声が聞こえてきて、それに導かれる形で己の信仰心について内省をしていたようにも見える。いずれにせよ、信仰心がテーマになる夢を見たのは初めてのことだったように思う。


現実世界における今の自分の関心からしてみると、こうした夢を見るというのも腑に落ちる。これからますます同種の夢を見るかもしれない。


今日は、午前11時から、敷地内のグリーンハウスの前で、オーナー夫妻と、隣人のマーク、サハルと自分の5人でコーヒーを片手に談笑した後——サハルの息子のフィンはまだ4歳なので、おそらくコーヒーは飲めないだろうから、家でお留守番となるのだろうか——、花壇の土を一緒に掘ることになっている。


今日は午後から雨が一時的に降るようなので、午前11時からであれば問題なさそうだ。一緒に花壇の土を掘り、一緒に何かを植えて育てる楽しみ。それをみんなと味わいたいと思う。こうした協働作業により、お互いの関係性が深まるであろうことも嬉しい限りだ。フローニンゲン:2021/5/8(土)05:57


6894. 今日という特別な1日を振り返って


時刻は午後10時を迎えた。いつもはこの時間帯はもうベッドの中にいて、静かに1日を終わっていくプロセスの中にいる。今日は特別な1日だったのだ。


鳥瞰的な目で見ると、今日はオランダの北部の辺鄙な街で、60代の夫妻と30代の3人の男性が昼前からガーデニングに精を出し、その後全員で談笑しながら夕食を共にして、幸せな時間を過ごしていた1つの物語があった。そうそれは1つの物語であるかのようだった。


先日、オーナーのペイトラさんからテキストメッセージが届き、その日の午後にグリーンハウス前で隣人のサハルとマークと一緒にコーヒーを飲んで談笑しているから私も加わらないかと声を掛けてもらっていた。私はスマホを見るのは基本的に朝目覚めた時に時間を確認する時だけなので、そのテキストメッセージを完全に見過ごしていた。


テキストメッセージや電話がかかって来る際に、アラーム設定やバイブレーション設定ができることは知っているが、それらに自分の活動が煩わされることのないように、それらを全て無視するためにそうした設定は常にオフにしている。


ペイトラさんのテキストメッセージに気づいたのは、翌日の起床時に携帯を触って時間を表示した時であり、返信もその日の午後過ぎにしていた。その際に、またの機会に声を掛けてもらうことをお願いしたところ、週末にまた集まってコーヒーを飲んで談笑した後に、グリーンハウス横の花壇を掘り起こし、今年の花植えに備えるための作業をするとのことだったので、それにはぜひ参加したいということを伝えた。その日が今日だったのだ。


昨年の10月、すなわち今からおよそ7ヶ月前に日本に一時帰国して以降、数時間本を読まない時間や、数時間創作活動から離れる時間を設けたことがなかったので、今日は本当に特別な日だった。


スポーティーな格好をし、ペイトラさんに借りた手袋をはめて、畑仕事のようなことを数時間行い、そして今日はオーナー夫妻とサハルとマークの5人で、オーナー夫妻の家で夕食を共にしたのである。振り返ってみると、本当に特別な日だった。


ちょうどオーナー夫妻は、30周年のアニバーサリーとのことだった——オランダらしいパートナーシップを2人は結んでいて、2人は正式に結婚届けを出しておらず、30年一緒に過ごしているという形だ。友人のメルヴィンも似たような形を採用している——。2人のアニバーサリーを祝福できることはサハル、マーク、そして私にとっても嬉しいことだった。


インド人のサハルにはフィンという4歳の息子の男の子がいて、今日はサハルの元妻が預かっているとのことだった。サハルは39歳、オランダ人のマークは30歳、そして私は2人のちょうど中間の年齢なのだが、オーナー夫妻にとってみれば、私たち3人は息子のような存在なのだろう——実際にオーナーのフレディさんとペイトラさんは私たち3人のことを親しみを込めて“boys”と呼ぶ——。


5人で一緒に花畑を耕すことは楽しく、常に会話と笑いが絶えなかった。午前11時から午後3時まで作業をし、その後、オーナー夫妻の家で5人で話をしていると、気づけば夕食の時間となり、結局インドネシア料理店——以前自分の行きつけだった店——で出前を取ることになった。気がつけば、午後9時まで話が尽きることがなかった。


そう、今日はアルコールを口にしたのだ。私は特別な日にだけアルコールを口にするようにしていて、基本的にそれは1年に1度日本に帰った際に、両親と一緒にアルコールを楽しむだけだ。その他の人とは種々の理由により、基本的にアルコールは摂取しない。だが今日はその点においても特別だった。


ペイトラさんが「セイヨウカリン」で自ら作ったお酒を振る舞ってくれ、そのアルコール度数は30度と高めだったが、それが実に美味であり、そこから全員ワインを飲み始めた。私も今日は特別な日だと感じていたので、アルコールを口にし、今もなお、楽しい気分で5人で過ごした感覚が内側に残っている。


今日の畑仕事や会話の中で話題になった面白い話について、いくつか書き留めておきたいことがあるが、それは明日にしよう。今日はこの幸せな気分のまま夢の世界に向かいたい。


今日という1日もまた素晴らしい夢だった。明日もまた夢のような1日を過ごすことになるだろう。


人生は一連の夢なのだ。自分の夢は他者の夢と重なり、互いの夢が交流することによって、間主観的な夢の物語を作っていく。それが脈々と連なっていくのが人の人生なのだろう。フローニンゲン:2021/5/8(土)20:33

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