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6689-6691: アートの国オランダからの便り 2021年2月28日(日)


No.1937 青き神性_Blue Divinity

本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)


No.352, A High-Speed Merry-Go-Round

We often forget it, but the earth is constantly rotating at a rapid speed.

Interestingly, we usually don’t notice it.


We are like riding on a high-speed merry-go-round.

Once we notice the essential meaning of the fact, we may be able to do something interesting in a physical, mental, and spiritual sense.


As an experiment, I’ll get off the merry-go-round.

Let’s see what will happen.

Groningen; 07:23, 2/28/2021


No.353, Narrative Transformation

Our thoughts and actions to a particular topic are strongly restricted and defined by a narrative about the topic.

I feel that narratives about human development, spirituality, education, etc. which are in the roots of any problems in this modern society must be transformed.

My daily work should be related to facilitating such a narrative transformation.

Groningen; 12:55, 2/28/2021


No.354, The Incarnation of Shiva

I’m the incarnation of Shiva.

I’m constantly destroying and creating with a merciful heart for a better world.

Groningen; 20:08, 2/28/2021


No.355, We Are a “Borderline Animal”

We may always be standing on multiple borderlines.

It is between sanity and insanity, language and non-language, life and death, etc.

We must be a borderline animal.

Groningen; 20:14, 2/28/2021


No.356, Toward the Beginning of a Thoreauvian and Dickinsonian Life

I’ll move out the current place in the end of the next month.

A Thoreauvian and Dickinsonian life will start.

It must be contemplative very much.


The new life will definitely transform me.

I really look forward to it.

Groningen; 21:09, 2/28/2021


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日生まれた7曲

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タイトル一覧

6689. 今朝方の夢/三位一体性

6690. これから

6691. 克己と鉄槌


6689. 今朝方の夢/三位一体性


——私たち人間は、霊的な体験をする生き物なのではない。むしろ、人間的な体験をする霊的な生き物なのだ——テイヤール·ド·シャルダン


時刻は午前7時を迎えた。どこか幽玄を感じさせてくれる霧がかかっている。該当の灯りがうっすらと見える。


今日からはまた少し気温が下がる。今の気温は1度であり、日中の最高気温は8度とのことだ。


今朝方はとても良質な眠りを得ていた。熟睡できたという感覚が目覚めの時にあって、起床した瞬間に、今日もまた創作活動と探究活動に思う存分打ち込める気がした。


そんな目覚めをしたことを思い出しながら、今朝方の夢を振り返ってみる。しかし今朝方の夢はあまり印象に残っていない。


覚えていることとしては、夢の中に、ある日本人の有名な女性歌手が現れたことぐらいだろうか。実際にその歌手が姿を現したのではなく、歌声だけが聞こえていた。


その歌は励ましをもたらすようなものであり、歌を聞きながら随分と気持ちが高揚してきたのを覚えている。残念ながら今日の夢に関してその他に覚えていることはない。


夢、宗教、創作の三位一体性について考えている。自分にとってそれらは三位一体の関係を持ちながら相互に影響を与え合っている。ここのところは宗教学への関心が芽生え、興味の赴くままに早速関連書籍を購入し、それらを読む進めている。


引っ越しに向けての荷造りで気づいたのだが、自分はすでに宗教と関係する書物を随分と持っていたのである。また、暗示的に宗教的なものが内包されているものが多い。


わかりやすいもので言えば詩集であり、詩人の宗教的な思想が彼らの作品に込められている。幾分暗号的な観点で言えば、発達科学の学術書にも宗教的なものが見られる。


そもそも発達科学の研究姿勢が、どこか一神教的なそれであり、一なるものを求めて深く探究を進めていく姿勢の中に宗教的なものを感じる。また、どこまでも細密に言葉で——ロゴスの力で——記述していこうという姿勢もまたいくつかの宗教に共通する姿勢なのではないかと思う。


芸術作品は言うに及ばず、そう考えてみると、やはり宗教的な思想が介在しないものなど存在しないのではないかと思えてくる。実際にそうだろう。


宗教に関する理解を深め、その観点から森羅万象を眺めてみれば、必ず宗教的なものが汲み取れるだろう。それは宗教的なレンズで見ているのだから当たり前と言えば当たり前だが、ここからは自分の中にある宗教的なレンズを錬磨していくことを意識して探究を進めていく。


昨日届いた書籍のうち、2冊はそれを直接的に後押ししてくれる。1冊は宗教と芸術に関するものであり、もう1冊は宗教と医療に関するものである。


“The Handbook of Dream Analysis”という書籍は購入してから随分と積読状態だったが、数日前にその初読を終えた。700ページほどの本書を一気に読み進めることによって得られらものは多く、ここから引っ越し準備と並行して、未読のものは初読をし、すでに読んだことのある書籍の中で今の自分の関心と合致しているものの再読を進めていこう。フローニンゲン:2021/2/28(日)07:15


6690. これから


時刻は午後7時半を迎えた。今週末も充実感と共に過ぎていった。


明日からはいよいよ3月となり、5年半お世話になった今の自宅で生活できる最後の1ヶ月となる。この最後の1ヶ月を本当に大切に過ごしたい。


1日1日をいつものように感謝の念を持って過ごすこと。それがこの1ヶ月でできる自分なりの生活の仕方である。


特別なことをするのではなく、何があっても普段通りの生活をすること。日常こそが非日常という特別な時間であるということを改めて思う。


来月の最終日から始まる新居での生活。それは、ソロー的·ディキンソン的生活と形容できるだろう。


今日、午後に近所のスーパーの帰り道に晴天の空を見上げた時に、来月末からの生活について希望を胸に思いを馳せている自分がいた。


いよいよ始まるのである。これまでの準備期間が終わり、また新たな準備期間に入る時が来たのだ。


時が熟したのである。準備のための準備がやってくる時期がようやくやってきたのだ。


来月からの新居での生活は、これまでの生活の中に含まれる手ぬるさをより排除していく。修行僧的な生活という言葉を一蹴するような敬虔的かつ静寂な生活を送る。


それは特別なことでもなんでもない。本来人間が人間としてあるべき生活を送るだけである。


自分の人生に付与された役割を徹頭徹尾果たしていくという限りなくシンプルな生活。そう、来月から始まる生活はシンプル極まりない生活なのだ。


その生活を遮るものが現れたらどうするのか。徹頭徹尾排除するまでだ。深い慈悲心を持ってそれを打ち砕けばいいだけなのだ。


自分の生活を守ること。自分の生活を守れない人間に誰の生活を守ることができるだろうか。


まず着手するべきは自分の生活である。それを守れて初めて他人の生活を守ることができる。


烏合の衆のような腑抜けた生活はしないこと。それを誓う。


静けさ。静けさがやって来て、また新たな静けさがやってくる。


押し寄せては返す波のような連続的な静けさ。それは三途の川へとつながっていく。


形而上学的な世界と形而下的な世界を結ぶ架橋。それが知覚され、それを今朝方詩にしていたことを思い出す。


準備、準備、準備。自分はまだ何も始めていない。探究も実践も創作もまだ何も初めておらず、自分なりの何かがようやく形になるのは早くで10年後である。


いや、10年後にそれが始まったら、奇跡的な早さである。そうした奇跡を願わず、粛々坦々と自分は毎日を生きていく。自分に与えられた奇跡のような瞬刻瞬刻を大切に生きていくのだ。


優しく静かに佇む闇の世界が目の前に広がっている。5年半お世話になった目の前の闇の世界。そして闇が去った後の光の世界。


5年半毎日誰も見ていないところで積み重ねて来た日々。ここからの日々もまた誰も見ていないところで自分の取り組みを積み重ねていく。


それを見ている者がいるのだ。絶対的一者。それが自分の取り組みを毎日、毎秒見ている。フローニンゲン:2021/2/28(日)19:54


6691. 克己と鉄槌


克己。克己。克己。


最大限の慈悲心を持った全ての粉砕。来月末からの生活はそうしたものになる。


何ものにも微動作にしない絶対的静寂。それが体現された生活の実現。


自己は絶対的静寂となり、日々の生活もまたそれとなる。観想的な生活の始まりに向けて、心は昂まりながらも静けさに包まれている。


地獄の業火のような静かな感情が芽生えている。


先ほどの日記において、絶対的な静けさに包まれた生活を邪魔するものを徹頭徹尾排除すると述べたが、そんなことをする必要などない。そうしたものが近づこうものなら静けさの業火で焼き尽くしてしまえばいいのである。


午前中に、自分の中で大切にしている狂気さと危険な側面について考えていた。自分が敬意を表する過去の偉人たちは、軒並み同種の狂気さと危うさを内に秘めている。


つい先ほど2つほど詩を作った。1つは、境界線に関するものだった。


人間は、絶えず諸々の境界線の上に立っている。正気さと狂気さ、言語的なものと非言語的なもの、生と死など、それらの境界線の上に私たちは常に立っているのである。そうした意味で、人間とは「境界線的生き物」だと言えるかもしれない。


種々の境界線が見えた自分は、境界線を越えようとしている。境界線なき全き全体性へと帰還していく。


自己は本来その道を歩んでいくのであり、自己の起源はそこにあったのだ。起源から出発した自己が帰還して行き着く起源は、もう最初の起源ではないということ。それは発達の根本原理である。


またしても来月末からの生活について考える。シヴァ神的なもの。自分は絶えず破壊と創造を担っていく。


慈悲と慈愛に満ちた鉄槌を自己と世界に振り落とすこと。この自己は、絶えず次なるものへの橋渡し的存在であるということ。それを忘れないようにする。


自分は誰かの後に連なっていて、自分の後にはまた誰かがいる。生命と情熱のたすきをつないでいくこと。それが自分にできるわずかばかりのことなのだ。フローニンゲン:2021/2/28(日)20:31

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