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6525-6529: アートの国オランダからの便り 2021年1月4日(月)


No.1709 星々の交流_Communication between Stars

本日の言葉

The heart is an organ of perception. Surya Das


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本日生まれた5曲

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タイトル一覧

6525. 詩集を読む享楽の中で

6526. 今朝方の夢

6527. 保守と変革/今年の資産運用について

6528. 詩人の迫害された国/珠玉の言葉と共に生きる人生

6529. 「ポエトリーセラピー」と本日購入した詩集


6525. 詩集を読む享楽の中で


——もし知覚の扉が洗浄されたなら、全てのものは永遠としてありのままに現れるだろう——ウィリアム·ブレイク


闇と静けさに包まれたフローニンゲンの朝。昨夜の就寝前にみぞれまじりの小雨が降ったが、今はそれが止んでいる。天気予報を確認すると、今夜もまたみぞれまじりの小雨が降り、深夜には雪に変わるようだ。


今朝方は午前3時半に起床して、今日も目覚めと共に活動エネルギーに満ち満ちていた。新年も相変わらず充実した日々を過ごせていることに感謝をしたい。今年は昨年よりも充実した年になると確信している。


一昨年、昨年と年を経るごとに自分の生活が安定し、自由な時間が増えていることは喜ばしい。今年はその傾向がさらに増すだろう。


創作活動と映画鑑賞、そしてそこに最近は詩集を読むことが加わった。このことがどれだけ日常に彩りを与えてくれているだろうか。


確かに人間は言葉以外を通じてでも世界を認識することができるのだが、言葉が占める割合は非常に大きい。認識世界の大部分は言語で構築されていると言っても過言ではない。


自らの言語を変容させることは認識世界の変容を意味し、詩集を読むことは言語世界を豊かにしながらそれを変容させてくれる働きを持つ。ここから詩集を読み進めていくことによって、自分の言語世界がどのように変容していくのかを観察していこう。合わせて、それに伴って自分の認識世界がいかように変容していくのかも観察していく。


今は英語の詩集を読むことが主だが、今度日本に一時帰国した際には日本語の詩集を購入したい。すでにいくつか日本の詩人の詩集を文献リストに入れていて、再来年の春に日本に一時帰国した際にはそれらを是非とも購入したいと思う。


今朝は詩集を読めるということと映画鑑賞できるという喜びの感情を持って目覚めた。今の自分はそれら2つに飢えている。強い渇望感があって、それが探究を大いに駆動させている。


詩集を読む際には、自分に響く詩を求めて気楽な気持ちでそれに接しよう。くれぐれも最初から最後まで隅々読んでいこうというような接し方ではなく、その瞬間の自分に響く詩を求めるかのように詩集に接していく。


その瞬間の心が動かされないような詩ばかり読んでいると、そこで手が止まってしまう。いや心が止まってしまい、詩集をめくっていくことができなくなってしまうだろう。


ある作曲家が好きだったとしても、その瞬間の自分の心に響かないようなその作曲家の曲を聞かないのと同じである。過去の偉大な詩人は、過去の偉大な作曲家と同じく、往々にして様々な作品を作っているのだから、自分の心に響かない作品と接していては日が暮れてしまう。今日からは自分の心に響く詩を見つける楽しみ、そしてそれを声に出して全身を通じて味わう享楽を満喫しよう。


毎日少しずつ詩を読むことによって、作曲実践に対しても良い影響を与えるであろう。とりわけコラールのような曲を作る際に、歌の感覚を養うことにつながるはずだ。


事実、昨日参照していたアントン·ウェバーンの歌曲の楽譜を眺めていたときに、その歌詞を味わおうという意識が働き、これまでにない発見をすることができた。今後は、歌詞と曲の構造的関係の理解をより深めていきたい。


手持ちのバッハのコラールの楽譜もウェバーンの楽譜と同じように、ドイツ語の歌詞だけではなく英語の歌詞も付いていたかと思うので、改めてバッハがどのような意味の歌詞に曲を作っていったのかを探究してみたい。


歌うことは人間の最も根本的な活動であり、書き言葉や話し言葉の前に歌があったと言われるほどなのだ。自らの歌を通じてこの世界に何かを表明していくこと。その実現に向けて今日もまた歩みを進めていこう。フローニンゲン2021/1/4(月)04:24


6526. 今朝方の夢


時刻は午前4時半を迎えようとしている。毎日のことではあるが、毎朝の自分の目覚めの良さには驚かされる。もちろん睡眠の質を高めるための諸々の工夫をして就寝に向かっているから当たり前と言えば当たり前であるが、それがいつも結果と結びついていて、良質な睡眠を取ることが毎日の充実感の根源にあることを再確認する次第だ。


創作活動、映画鑑賞、詩集を読むこと。それら3つが活動の三本柱であり、今年は本当にそれらに集中していきたい。コロナが落ち着けば旅も再開されるだろう。世界を旅する中にあっても、それら3つの活動を継続させていく。


旅の最中は少しばかり映画鑑賞を控え、創作活動と詩集を読むことはむしろ旅を引き立てるものになるはずだ。また逆に、旅が創作活動と詩集を読むことを引き立てるという関係性も見出すことができるだろう。


まだ世界には色々と足を運びたい美術館がある。残念なのはそれらの美術館が大きな都市にある傾向があるということだ。


今の自分は人の多い都市には魅力を感じていない。現代文明に侵された都市はことごとく退廃の一途を進めていて、そこの邪気がどうしても目に付く。別に精神的あるいは存在的な潔癖主義を採用しているわけではないが、あえて邪気の中に身を晒す必要などないはずだ。


世界を見渡してみると、例えばオランダのクレラー·ミュラー美術館や、デンマークのルイジアナ近代美術館などは自然と接する形で存在していて、そうした美術館があることは喜ばしい。今後の旅は自然と接する形のものが増えていくことが予想される。そうしたいと思う自分がいるのだ。


自然の中でゆっくり過ごし、自然に接する形で、あるいはそのすぐ近くに美術館などがひっそりと存在していれば理想的である。今年に計画しているドイツ旅行は都市を巡る旅行になるが、アイルランドの旅、そして夏のフィンランドの旅は自然に触れるものにしたいと思う。


旅への思いに期待を膨らませていると、今朝方の夢を思い出した。夢の中で私は、実際に通っていた小学校の体育館にいた。いやその前に何か場面があったはずだ。


今ふと思い出したのは、その前に、あるプロサッカー選手と友人たちと一緒に校舎を徘徊していたことを思い出す。そのサッカー選手が体育館に立ち寄りたいと言ったのか、あるいは自然とそこに私たちの足が向かったのか定かではないが、気がつけば体育館にいたという流れだったように思う。


いざ体育館に到着すると、そのサッカー選手は忽然と姿を消した。そこに残った私たちでバスケをしようということになり、偶然ながらゾロゾロと体育館に人が集まってきて、彼らを交えてフルコートの試合をすることになった。対戦相手の方に小中学校時代の野球部のメンバーが多くいて、こちらのチームには運動神経の良かったバスケ部の友人がいた。


いざジャンプボールが上がると、相手のジャンパーの方が高く飛び、彼が自分が予想していた仲間にボールを落とすのではなく、こちらのゴール前付近にまでボールを飛ばしたので虚を衝かれた。しかし、そのボールを相手の選手はうまくキャッチすることができず、自分がボールを拾った。


なぜか私は裸足であり、バスケをするには裸足は危険なのだが、足と地面が一体になる感覚と、体育館の表面を滑らないで済むという2つの理由から、素早い身のこなしで次々と相手を抜き去っていき、私はゴール前に上がっていた友人にパスを送った。


すると彼が見事にゴールを決め、先制点を奪うことができた。それによってチームが落ち着き、相手のリスタートのボールもすぐさま奪って、今度は私がカットインシュートを放ってゴールを決めた。その際に私は意図的に相手にぶつかられるようにしてバスケットカウントを取った。


いざフリースローを打つ段になって夢から覚めた。夢から覚めた瞬間に、フリースローを打った瞬間のスナップを利かせた手の形でベッドの上に横たわっていた。フローニンゲン2021/1/4(月)04:45


6527. 保守と変革/今年の資産運用について


時刻は午前5時半に近づいている。今し方、2枚ほど絵を描いた。最近は絵を描くスタイルがまた変化し、その変化そのものを楽しみ、変化後の色使いや筆遣いを楽しんでいる。


絵を描く前に、少しばかり雑多なことを考えていた。1つは保守主義に関することである。


昨日、日本の保守主義の代表的人物であった西部邁先生の『国民の道徳』という書籍の初読を終えた。これは大変素晴らしい書籍であり、650ページほどの大著なのだが、先生の洞察が随所に散りばめられていて、何度も立ち止まって考えることを迫られていた。本書は今後も繰り返し読むことになるだろう。


「保守主義」と書くと、その言葉からすぐさま右派の思想を思い浮かべる人もいるかもしれないが、西部先生が説く保守主義の思想は右派の思想と異なるものである。その違いについてはここでいちいち書くことをしない。


先ほど考えていたのは、「変革」という言葉が安易に用いられる社会のあり方に関するものだ。多くの組織が変革を叫ぶ中、確かに実際に変革が必要な組織は数多く存在しているが、変革という言葉の中に守るべき伝統への配慮があるのかどうかが非常に気になる。


歴史性を考慮に入れない上部だけの変革は、単なる暴動あるいは暴挙にしかすぎないのではないかと思う。過去の歴史的事件を眺めてみれば、変革と謳われるものが真の変革につながらなかった事例は枚挙にいとまがなく、そこには往々にして守るべき伝統への配慮が欠落し、変革対象が持つ固有の歴史を見過ごしている場合がほとんどである。


これは何も組織の変革だけではなく、個人の変容においても当てはまる。人も組織も固有の歴史を持っていて、歴史の堆積として今ここに存在しているのだ。


積み重ねられてきた歴史を鑑みることなく表層的な打ち手で変革を実現させようとすることが、どれほど愚かなことかはすぐに気づけるはずなのだが、そうでもないのはなぜなのだろうか。


人間には内在的に変化を希求する衝動があり、その衝動が現代の物質消費主義的な文明と癒着し、変革がファッショナブルな消費対象に成り下がってしまっていることは見過ごせないことかと思う。またそもそも、教育において保守主義の思想を育むことが完全に失敗していることも見過ごせないだろう。


その他に考えていたのは、資産運用に関することである。一昨年、昨年と資産運用により資産が動き、今年は資産がまた大きく動きそうなので、昨年あたりから本格的にプライベートバンクの利用について検討していた。


今現在は自分で資産を運用しているが、資産の保全を考えてみたときに、プロにその一部を任せた方がいいのではないかと考えるに至った。またそもそも資産運用やカネについて考える時間を取るぐらいなら他のことをしたいというのが正直なところであり、それを含めて、プライベートバンクの利用を検討していた。


昨年の夏にプライベートバンクに関する情報を集中的に集め、プライベートバンクに関する書籍もいくつか読んでいた。資産の規模からすると、今年のどこかのタイミングで、オランダのプライベートバンクを開設したいと思う。


プライベートバンクというとスイスを思い浮かべるかもしれないが、オランダのプライベートバンクでいくつか良さそうなものを見つけている。オランダの大手商業銀行のINGやABN AMROでは「プライベートバンキングサービス」があるが、これはプライベートバンクとは厳密には違うものである。


自分の資産をこの社会と接点を持たせ、社会的に意味のある形で運用したいという考えが常にあり、その考えに合致するのがオランダのトリオドス銀行(Triodos Bank)のサービスだ。この銀行は、金融活動を通じて社会に貢献し、社会の持続的発展を目指す近年注目を集めている「オルタナティブバンク」と呼ばれるものだ。そのため、この銀行はプライベートバンクとは少し異なり、実際に富裕層向けに提供されているのはプライベートバンキングサービスである。


トリオドス銀行の融資の与信判断の基準として、融資先は再生可能エネルギー、無農薬農業、フェアトレードや他の社会的企業に限られ、核を含めた武器、そして環境に有害な事業を行なっている企業へは融資をしないということが遵守されている。私自身が無農薬農業にいつもお世話になっていて、再生可能エネルギーや世界の紛争解決に対して強い関心を

持っていることから、この銀行に資産を預けたいという思いが昨年から高まっていた。


そもそもオランダの税制上、総資産に対して資産税が課せられ、これは裏返して考えてみると、政府は国民が資産運用を行うことを前提にしているようなのだ。ある一定程度の資産を保有していると、資産運用をしているという前提に基づいた資産税が課せられるため、資産運用をしないというのはとても馬鹿げた選択となる。


そうしたことも背景にして、今年はプライベートバンクの開設かプライベートバンキングサービスの活用を行いたいと思う。そのようなことを先ほど考えていた。


それでは今から作曲実践をし、映画鑑賞と詩集を読むことを進めていく。フローニンゲン2021/1/4(月)05:51


6528. 詩人の迫害された国/珠玉の言葉と共に生きる人生


——幸福への憧れは、詩の中で満たされる——クリムト


時刻は午前9時を迎えた。今日は曇りのようであり、辺りはまだ薄暗さを持っている。


今朝は『きっと、うまくいく(2009)』というインドの作品を見ていた。この作品は3時間弱の長編映画だが、笑いあり、涙ありの展開、そしてインドの美しい風景に引き込まれるものがあった。


そしてこの作品からはインドの教育事情についてもその一端を垣間見ることができる。「一流大学→より良い就職先→社会的成功」を追求する風潮がインドにも蔓延していて、大学入試の競争の厳しさから、インドでは若者たちの自殺者数が多く、それが社会問題になっているとのことである。


インドの教育事情と若者を襲う不幸の問題は日本の問題と随分と重なるものがあり、この作品はコメディタッチで描かれているが、現実世界の若者の悲痛の叫びが聞こえてくるかのようである。


デンマーク人のキルケゴールはかつて冗談めかしてこのような面白いことを述べていた。「この国の退廃を乗り越え、この国が生み出す人生の退屈さを払拭していく1つの方法は、デンマーク国家が他国から多額のカネを借金して娯楽産業に投資することである」と。


キルケゴールの脳裏には、娯楽産業だけではなくて、芸術分野に対する投資もあったことだろう。この世界の数多くの国は、人々を実質上不幸にさせる産業に多額のカネを投じるが、人々の心を真に豊かにする分野にカネを投じないのは残念でならない。日本もそうした国の1つだ。


日本では詩人が絶命危惧種になっている。この現象は、投資云々の問題を超えて、日本語という母国語の地盤沈下とそれに伴う文化的衰退を示しているように思えてくる。


「詩人が育たない国に未来はない」ということを先日考えていた。社会の変容を実現させるためには、社会を呪縛する言語空間の変容が不可欠であり、その貴重な役割を担うのが本来詩人である。


そうした役割を担う詩人が我が国で軽んじられているということは様々な意味で問題である。詩人が社会の変革や未来のいったんを担うことを考えてみると、そうした詩人がこの社会から追いやられてしまうというのは、この国が変革や未来を放棄したということなのだろうか。


伝統を忘れ、変革と未来を放棄するような我が国の姿は強い危機感をもたらす。いったい日本はどこに向かっていくのだろうか。歩いている道が衰退の道であることは疑いのないことなのだが、その帰着地点がどのようなものかが恐ろしい。


先ほど、コリン·ウィルソンの“Poetry & Mysticism”の再読を始め、およそ半分ほど食い入るように読み進めた。昨年の年末のマルタ共和国とミラノの旅行の際に本書を携帯し、移動中や滞在先のホテルでこの書物を読んでいた記憶が懐かしく蘇ってきた。その時の書き込みや下線などが、当時の自分の関心事項や関心の強さを物語っている。


詩を読むことの楽しさを知ってしまった自己はこれからどこに向かって進むのだろうか。詩を読みながら、自分の言語世界が変容していくに応じて、開示される世界も新たなものとなり、感じられることも変わってくるだろう。


先ほどふと、美術館に行って素晴らしい絵を見ても、それを写真に収めることはせず、その代わりに作品解説の中に素晴らしい言葉があればそれをメモしたり、写真に収めている自分がいたことに気づく。やはり自分には言葉に惹かれる何かがあるのだ。


これからはより一層珠玉の言葉との出会いを大切にしていこう。詩や格言など、日々素晴らしい言葉と出会う都度、そこで立ち止まり、その言葉を味わい、そしてそれを記録していく。ここからはより一層言葉を大切にして日々を過ごしていく。


それではここからまた作曲実践をし、また1つ映画を鑑賞したい。曲を作り、絵を描き、詩を読み、映画を見て、日記を書く。それしかしない。だがそれをし続ける。


人生は曲と化し、絵と化し、詩と化し、映画と化し、日記と化す。そのような人生をなんと呼ぼう。


その名についてはこれから自分で見出していく。あるいは人生からの名付けを待つ。フローニンゲン2021/1/4(月)09:27


6529. 「ポエトリーセラピー」と本日購入した詩集


時刻は午後7時半を迎えた。今日の夕方に買い物に出かけた時、扉の向こうに凍える世界が広がっていて驚いた。


フローニンゲンは随分と気温が下がっていて、本格的な冬がやってきたようだ。実際に今夜から明日の朝にかけて雪が降るようだ。


詩集、画集、そして楽譜に囲まれた形で日々を生きている。それらは特殊なアフォーダンスをもたらし、それが自己を癒し、自己に滋養を与えているのを感じる。


詩集、画集、そして楽譜は自分の日常になくてならないものであり、それらの存在に心から感謝をしよう。アフォーダンスについて言及した時に、自己と街や環境との繋がりについて思った。


自己は街や環境と密接不可分である。ということは、街や環境を汚染することは自己を汚染することでもあるということに改めて気づく。街や環境を破壊することは、自己を破壊することなのだ。


今日の午後、両方の脳が結合して相互作用しているようなイメージでゆっくりと呼吸をしていた。そのような呼吸法はこれまで行っておらず、どういうわけかそれを自然と行っている自分がいた。


左脳と右脳が連結するようなイメージで呼吸をしていると、脳がくつろぎ、脳全体が活性化されてくるのを感じた。これも一種のイメージ療法なのだろうか。いずれにせよ、偶然ながら生まれたこの呼吸法は興味深い効果をもたらしそうなので、引き続き意識的に実践してみよう。


今日の時間を逆に遡っている。その呼吸法を試す前には仮眠を取っていた。そして、仮眠中に印象的なビジョンを見ていた。


隣家のニコさんの家に突然救急車がやってきたビジョンが立ち現れた。私は何事かと思って外に出て、ニコさんの家に駆けつけた。


救急車が止まっているところに近づいていくと、ニコさんの家から誰かが担架で運ばれていく姿を見た。それはニコさんのようだったが、どうやらニコさんは無事のようだった。そこで私は大いに安堵した。


慌てて外に出たつもりだったが、私の手にはゴミ袋があって、それを捨てに行こうと考えていたようだった。ニコさんの無事を確認したが、救急車で運ばれようとしているのはニコさんだけではなく、誰か別の人もいるのではないかと思い、私はその人が重症かもう死んでしまったのではないかと思っていた。


死体があったら見たくないと思っていたこともあり、ニコさんの家の前で家の中を見るのが躊躇われた。そのようなビジョンの他にも、欧州のどこか山岳地帯の風景が千変万化するビジョンも見ていた。


仮眠から目覚めて立ち上がると、睡眠の意識と覚醒の意識の狭間にあったのか、少し足元がふらついた。そのような出来事があった。


そこから夕方にかけて詩集を16冊ほど購入した。厳密には、1冊ほど「ポエトリーセラピー」に関する学術書を購入し、画家のマーク·ロスコの画集を購入したので、詩集は14冊ほどである。


先日シネマセラピーなるものを知ったのだが、この数日以内に「ポエトリーセラピー」という実践領域があることを知った。ポエトリーセラピーもアートセラピーの一種である。


表現を抑圧することが精神的な病理を引き起こし、表現をすることが精神の治癒と変容につながっていくというのはもう日々の体験を通じて重々に承知しているが、言語的造形アートとしての詩作の治癒的·変容的効果に改めて注目したい。そのような思いから、学術書で定評のあるルートリッジ出版から“Poetry Therapy: Theory and Practice”という書籍を購入するに至った。


詩集を貪り読む意欲を抑えることが難しく、来月ではなく本日に詩集を一括注文した。詩について学ぶことに関心はなく、とにかく詩そのものを読みたいのだ。


魂の癒しと肥やしとしての詩。注目している詩人は様々な国籍であり、中にはフランス語やドイツ語を母国語としている詩人も多くいる。彼らの母国語で詩を読めれば理想だが、英訳のものからでも十分に詩から伝わってくるものがある。


詩の味わい方は様々あるが、以前であれば意味の汲み取りにくい詩についてはすぐに離れていってしまっていたが、今は音読を通じて体感的に理解しようとする試みをしたり、暗号を解読するかのような楽しみがある。


本日注文したのは下記の16冊であり、これからそれらの書籍が到着するのが待ち遠しい。明日は街の中心部に買い物に出かけるついでに書店に立ち寄り、何か詩集との出会いがないか詩のコーナーを覗いてみたい。


1. The Collected Poems of Dylan Thomas: The New Centenary Edition. Ed. with Introduction by John Goodby.

2. Edgar Allan Poe: Poetry and Tales (Library of America)

3. The Poetry of Impermanence, Mindfulness, and Joy

4. Poetry of Presence: An Anthology of Mindfulness Poems

5. Death Poems: Classic, Contemporary, Witty, Serious, TearJerking, Wise, Profound, Angry, Funny, Spiritual, Atheistic, Uncertain, Personal, Political, Mythic, Earthy, and Only Occasionally Morbid

6. The Power of Enlightenment: Chinese Zen Poems

7. Poetry Therapy: Theory and Practice

8. The Collected Poems of Frank O'Hara

9. New Selected Poems, 1966-1987 Seamus Heaney

10. New Selected Poems 1988-2013 Seamus Heaney

11. The Poems of T. S. Eliot Volume I: Collected and Uncollected Poems

12. The Poems of T. S. Eliot Volume II: Practical Cats and Further Verses

13. Franz Schubert: The Complete Songs Hardcover – Illustrated

14. Rothko by TASCHEN

15. Henry David Thoreau : Collected Essays and Poems

16. Ralph Waldo Emerson : Collected Poems and Translations


フローニンゲン2021/1/4(月)19:52

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