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6180-6184: アートの国オランダからの便り 2020年9月1日(火)


No.1316 明け方の存在者_Existence at Dawn

本日の言葉

All that exists, exists first in our mind. We become what we think and our mind is the world. Gautama Buddha

下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(5点:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日生まれた10曲

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タイトル一覧

6180. 9月を迎えて

6181. 秋の一時帰国のスケジュールの再検討/今朝方の夢

6182. シュタイナーの統合思想より

6183. フライトの予約変更を無事に終えて

6184. 祈りを根幹とした観想的な実践生活と創造の起点

6180. 9月を迎えて

時刻は午前6時を過ぎた。今、空が明るくなり始めている。

今日の最高気温は19度、最低気温は昨日と同じように10度を下回り、今日は7度とのことだ。今日の深夜は随分と冷え込むことが予想される。

本日からいよいよ9月を迎えた。フローニンゲンの気候はもう完全に秋のそれであり、昨日街の中心部に買い物に出かけた際には、ほとんどの人がジャケットか何か上に羽織るものを着ていた。

秋に移行してからの身体的適応も無事に終わったことが今朝方実感できた。実際には昨夜の段階でそれを少し感じていた。鼻水も止まり、喉の痛みもなくなったのである。

日々の食実践が功を奏してか、今回の適応症状はとても軽いものだった。次回の適応症状が現れるのは随分と先であり、来年の6月辺りに暖かくなってきた頃かと思う。

また次回の適応症状がどのようなものかを観察してみよう。その症状を和らげる意味でも、引き続き食実践には気をつけていく。

昨日改めてフライトを調べてみたところ、行きのフライトに関してはフィンエアーであれば確実に運行していることがわかった。コロナの影響を受けて、10月の中旬にヘルシンキから大阪に行く人はもうほとんどいないようであり、普段であれば埋まっているであろうビジネスクラスの席はまだ十分にあるようだった。

通常であれば、数ヶ月前からもう予約が一杯になっていて、半年ぐらい前でも残席の数が表示されるぐらいだ。ところが今のこの状況下においては、1ヶ月ぐらい前であってもまだ残席表示さえされていないような予約状況だ。

オンライン上でも予約変更できるとのことだったので変更をしようとしてみたが、エラー表示が表示されてしまった。それは以前にも起こったことであり、結局コールセンターに電話をして対処してもらったように思う。今日の午後にでも電話をし、行きのフライトはロンドン経由ではなくて、ヘルシンキ経由で日本に帰ることができればと思う。

今日もまた創作活動と読書に思う存分に時間を充てていこう。本日の読書はまず最初に、“The Foundations of Aesthetics”を読む。これはフローニンゲンの街の中心部の古書店ISISで2年前に購入したものだ。

こちらの美学書を読んだ後に、昨日届いたアマルティア·センの"Commodities and Capabilities”を読もうと思う。こちらの書籍は薄いものなので、もしかしたら今日はさらにもう1冊何か読めるかもしれない。

その時には、これまた昨日届いた“Modern Monetary Theory and its Critics”という現代貨幣論に関する書籍を読んでいく。分量からすると、こちらの書籍は明日に掛かる形で読んでいくことになるだろう。

今日の創作活動と読書も集中して取り組み、そこに充実感を絶えず感じていこう。フローニンゲン:2020/9/1(火)06:36

6181. 秋の一時帰国のスケジュールの再検討/今朝方の夢

時刻は午前6時半を迎えた。この時間帯はもうすっかり明るい。

今日は晴れのようだが、今空にはうっすらとした雲が川のようにゆっくりと動いている。この雰囲気だと何とか朝日が差し込んでくるぐらいだろうか。

昨夜も少しばかり考えていたが、日本の一時帰国に際して少しスケジュールが変わり、最初に実家に滞在することになった。日本に到着して最初の週にはオンラインでのミーティングもあり、そのミーティングはどこか落ち着いたホテルの自室で行いたいと思っていたので、今回は実家に長く滞在するのではなく、早めにどこかの県に移動しようと思う。

当初の予定では、福井県と石川県の滞在を考えていたが、それに加えて今回は京都にも滞在しようかと考えている。秋の時期の京都は素晴らしいであろうし、明恵上人ゆかりの地と、臼井甕男が霊力を開眼させた鞍馬山にも足を運んでみたいと思っていたのだ。

例えば、鞍馬山のどこか旅館に宿泊し、そこから市内の美術館や博物館巡りをしてもいいかもしれない。それか明恵上人ゆかりの高山寺辺りの旅館に宿泊するというのも手である。

京都に少し宿泊してから東京に向かうという計画が良さそうだ。東京で1つイベントを開催し、大阪に移動して大阪で仕事を行う。その後、石川県、福井県に足を運んでオランダに戻るというスケジュールにしようかと思う。スケジュールについては、一時帰国の日がさらに近づいた時に確定させよう。

それでは今朝方の夢について振り返り、本日の取り組みを始めていきたい。夢の中で私は、地元の海岸を歩いていた。しばらく砂浜を歩いていると、以前にはなかったような建物があり、そこに入ってみた。

すると、現在協働している知人の方がそこにいて、今からその建物の一室で、取締役会が行われるとのことだった。私も会に参加してはどうかと持ちかけていただいたので、私も会に参加することにした。

取締役会の参加者の顔ぶれを見ると、随分と歳を取った人が多かったが、高齢者と呼ぶのもまた違和感のあるような微妙な世代が集まっていた。会がいざ始まってみると、予想通りにそこでなされる議論が退屈であり、そこにいることが時間の無駄のように思えてきた。

するとどういうわけか、私はガラスを口に入れてそれを噛み砕き始めた。その場にいた人たちは私の行動に驚いているようだったが、そこから何かスイッチが変わったのか、その場の議論が少し面白くなってきた。笑いもあり、活発な意見交換がなされるようになったのである。

それを見て私は、自分の口にあったガラスの破片を丁寧に手で取り除いでいった。思わず飲み込んでしまったら大変なことになるかもしれないと思っていたので、全てを念入りに取り出していった。

気がつくと、私はまた砂浜にいた。そこから私は再び砂浜を散歩し始めた。

すると、大学時代のサークルの先輩に似たような人が私の近くにいて、その男性と少し話をした。すると今度は、先ほどの協働者の方の友人と名乗る比較的若い小柄な女性がその場に現れて、私たちに挨拶をしてきた。

私は、隣にいた男性の立ち居振る舞いと言葉の美しさを褒めたところ、その女性もそれに共感しているようだった。フローニンゲン:2020/9/1(火)07:14

6182. シュタイナーの統合思想より

時刻は午後3時を迎えた。これまでのところ、今日は読書がとても捗っていて、つい今し方本日4冊目の書籍の初読を終えた。

今日は朝から順番に、“The Foundations of Aesthetics”、"Commodities and Capabilities”、“Modern Monetary Theory and its Critics”の3冊を読み進め、先ほど“Social Threefolding: Rebalancing Culture, Politics & Economics”を読み終えた。

ここのところは毎日読書を続けていて、今日はとりわけ集中力が高かったこともあり、気がつけば4冊の初読を終えていた。とりわけシュタイナーの経済·社会思想からは得るものが多かった。

中でも印象に残っているのは、シュタイナーの経済·社会思想の根幹に、発達の原理である「差異化があっての統合」という考え方が横たわっていることである。端的には、経済、政治、文化をごた混ぜにするのではなく、まずはそれらの差異を的確に把握し、それらを独立させた形で捉えていく必要があるという考え方である。

とりわけ現代のように経済の優位性が極めて強い時代において、それらの差異を認識しなければ、全て経済の力に屈してしまう。今の政治運営や文化の有り様を眺めてみれば、もうそれは歴然かと思う。

端的に言えば、それら3つの領域の差異の認識の欠落と、それが引き起こす病が見える。そうした病を治癒していく初手として、改めてそれらの差異化から始めてみることが求められているのではないか。

そのようなことを考えながら、また別のシュタイナーの指摘を思い出した。シュタイナーが提唱する霊性の科学においては、兎にも角にも現実を直視し、それと向き合うことの大切さが強調されている。

中でも、このリアリティーは対立や矛盾に満ちていて、それらを把握することがなければ、私たちはリアリティーの認識を誤ると述べていたことが印象に残っている。ここでは、シュタイナーの霊性思想が時代と向き合うという非常に地に足の着いたものであるという印象を受けた。

そして単に地に足の着いたものであるだけではなく、シュタイナーはやはり実践する思想家であり、霊性と実践の関係についても明確に述べている。シュタイナーは、真の霊的洞察において、社会的思考と倫理的思考は1つになり、それをもとに行動が生み出される、と指摘している。それには強く同意する。

その人が本当に深い霊的洞察を獲得しているのかは、社会性·倫理性のある思考をしているかどうかだけではなく、その人の最終的な行為を見ていく必要がある。つまりは、霊的洞察がきちんと体現されているのかを見ていくのである。

まさにこれは、ウィルバーの言葉で言えば、“spirit in action”という言葉になるだろうか。あるいは“action through spirit”が実現されているかを見ていく必要がある。

シュタイナーの中に見る統合思想について改めて考えていると、ふと、様々なものが内側に統合されていき、その結果として生まれる誠実さ、そして誠実さに立脚した統合に向けたアクションについて思いを巡らせている自分がいた。

integrateからintegrityへ。そして、integrityからintegrateへ。そのような相互作用がそこに見出せる。フローニンゲン:2020/9/1(火)15:28

6183. フライトの予約変更を無事に終えて

時刻は午後3時半を迎えた。今日は昼過ぎに嬉しいことがあった。端的には、無事にフライトの予約変更ができたのである。

いつものようにバナナと4種類の麦のフレークに豆乳をかけた軽めの昼食を摂り、日記を編集し終えた後、JALのオランダのコールセンターに電話をした。いつもであれば数分ほど待つのだが、今日は電話をかけた瞬間にオペレーターの方に繋がった。

挨拶をして、すぐに用件を伝えたところ、予約変更も速やかに行われた。少し順を追って説明すると、オペレーター経由で予約変更をすると5000円ほどの費用が発生し、ウェブサイトを通じて自分で予約変更をすれば無料であることを以前オペレーターの方から聞いていたので、昨日自分でウェブサイトを通じて予約変更をしようとした。

すると、エラーメッセージが表示され、うまく予約変更ができなかった。まずはその点について事情をオペレーターの方に伝えたところ、今回はブリティッシュ·エアウェイズが現在運休となっているため、エラーメッセージが表示されたとのことだった。また現在はコロナの影響下にあるので、オペレーター経由でも予約の変更は無料であると聞いて、その配慮をとても有り難く思った。

最悪日本に帰る日を前倒しにしてもいいかと思っていたが、今朝方フィンエアーの座席状況を調べたところ、空席があるようだったので、行きの便はブリティッシュ·エアウェイズからフィンエアーに変えてもらった。

確か、今回の航空チケットを予約した今年の3月末の時点では、出発日のフィンエアーのビジネスクラスはもう満席であり、座席が取れなかったと記憶している。ところが今はこうしたご時世であるから、ビジネスクラスのキャンセルが続出したのだろう。

当初の出発日と同じ日付、しかもアムステルダムを出発する時間はブリティッシュ·エアウェイズのフライトの出発時間とほとんど変わらない正午前なので、とても有り難く思った。ヘルシンキでの乗り換え時間も十分にあり、ラウンジのサウナで寛ぐことができればと思う。

ブリティッシュ·エアウェイズからフィンエアーに変更したことに伴い、関空に到着する時間が幾分早まった。出発した翌日の朝9時前に日本に到着することになった。

先日父と相談し、旅のスケジュールを変更することになったので、まずは実家にすぐに帰り——今年は免許の更新の年なのだ——、その週末からオンラインでの仕事があるので、それに集中するために、実家の滞在はとても短くなり、すぐに京都に移動しようと思う。

京都で4泊ほどしてから東京に向かう。そこからは大阪、石川、福井と滞在拠点が変わっていく。石川と福井に関するスケジュールはまた追って詰めて行こう。

フライトの予約の際に1つ興味深いことがあった。今のところ搭乗予定のフィンエアーのビジネスクラスの座席指定は誰も行っていないとのことだったので、好きな場所が選べた。これは初めてのことである。

いつも必ず誰かがすでに座席指定をしているのだが、今回は自分が一番乗りだったようだ。確かに、このような状況下でヘルシンキから大阪に行く人はほとんどいないのだろう。

成田に行く人であればちらほらいるかもしれないが、大阪に向かう人の少なさを感じた。興味深かったのは、それではなく、座席指定の際にオペレーターの方と行ったやり取りだ。

毎回オランダから日本に行き来するときは、オーロラが見える可能性を考えた座席指定をする。今回もオーロラが見える可能性も考えて、対応してくださったオペレーターの方に、「オーロラが見える側の窓際の席でお願いできますか?」と尋ねたら、「富士山の見える方向ならすぐにわかるのですが···」と言われてお互いに笑った。

富士山が見える方向に関してならマニュアルがあるそうだ。私はその場で、運行経路を想像して、こちらの方から口頭で座席を指定させてもらい、進行方向最前列の左側の窓際の席を選んでもらった。

これにて無事にフライトの予約変更がなされ、フィンエアーを使って関空にたどり着けそうでホッとした。Eチケットの発行は遅くとも明日の朝までにはなされるとのことだった。

変更したチケットについてはメールで案内はされないらしいので、自分でJALのウェブサイトからダウンロードする必要があると連絡を受けた。明日の昼にでもEチケットをダウンロードしておこうと思う。

いずれにせよ、これにて日本の一時帰国が実現されることになり、とても嬉しく思う。フローニンゲン:2020/9/1(火)15:53

6184. 祈りを根幹とした観想的な実践生活と創造の起点

時刻は午後7時半を迎えた。今、空には雲1つなく、見事な夕焼け空が広がっている。ちょうどこれから夕日がゆっくりと沈んでいく。

振り返ってみると、今日もまたとても充実した1日だった。創作活動と読書に存分に打ち込めたように思う。特に読書はとても捗り、今、本日5冊目の書籍を読み進めているところだ。

今日から久しぶりに、マウリツィオ·ポリーニの演奏するベートーヴェンピアノソナタ全集を聴き始めた。ポリーニの演奏するベートーヴェンのピアノソナタはふとしたときに聴きたくなる。今日はそのような日だった。

ベートーヴェンの建築的音楽(architectonical music)を建築学の観点から見たらどのように味わえるのだろうか?音楽と建築学の関係について考えながら、建築についても自分なりの観点から探究を進めていこうかと思う。この点については以前にも述べていたと思う。

関心が少しずつ熟成し、思わぬ時に思わぬ形でそれが花開くことが自分の中では多い。いや、これまで全てそのような形で人生が進んできたようにすら思う。

その瞬間の関心を常に大切にしていこう。それはいつか思わぬ形で結実していくだろう。

静かな祈りを根幹とした観想的な実践生活。それは霊的生活とも呼べるものである。

祈りながらにして創作活動に従事していくこと。祈りと創作を別々にするのではなく、全てを祈りと関連づけた実践にしていこう。

祈りというのも大袈裟な行為ではなく、感謝と自己を包摂した利他心に基づいた行為が祈りの一形態であり、そうした行為を絶えず継続していく。

今、遠くの空に気球が浮かんでいる。それはゆっくりと夕焼け空を西に進んでいる。

そういえば数日前にも気球を見たような気がする。暑くもなく、そしてまだ寒くもないこの時期が一番気球に乗るのにふさわしいのかもしれない。

小さな我からの囚われから解放される形で絵筆を動かし、曲を作っていくこと。そうすれば、創造を司る原理が働き始める。

我執に囚われていると、その原理が働かないのだ。創造は、我執を手放した後の余白から生まれるのではないかと思う。

これは本当に面白い。意識が我に囚われると、創造の根幹をなす自発性に歪みや淀みが発生してしまうようなのだ。

真の創造は我執から解放されたときに始まるということを肝に銘じ、絶えず我が溶解する没入の状態で日々の創造活動に従事していこう。そのようなことを思いながら、夜の読書を再び始めていこう。フローニンゲン:2020/9/1(火)19:49

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