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6136-6139: アートの国オランダからの便り 2020年8月21日(金)


No.1248 朝の祈りと祝い_Prayer and Celebration in the Morning

本日の言葉

Though one might point at the earth and miss it, though one might bind up the sky, though the tides might cease to ebb and flow and the sun rise in the west, it could never come about that the prayers of the practitioner of the Lotus Sutra would go unanswered. Nichiren Daishonin

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本日生まれた10曲

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タイトル一覧

6136. 霊性/逸脱者/創作活動における文体について

6137. 迷宮を舞台にした今朝方の夢

6138. 瞑想・祈りの時間としての入浴

6139. シベリウスの共感覚能力/音楽が社会に果たす役割

6136. 霊性/逸脱者/創作活動における文体について

時刻は午前6時半を迎えようとしている。数時間前に小雨を降らせた雲がまだ少し残っているが、今は雨が降っていない。ここから天気が回復し、今日も1日を通じて天気が良いようだ。

今日は27度まで気温が上がるようなので、日中は暖かさを感じられるだろう。明日からはもう20度前後の日々となり、来週は軒並み20度を下回るような日々が続く。

昨日に考えていた雑多なことを昨夜日記に書き留めていたが、その他にもいくつか考えていることがあった。その1つとして、本来霊性を育むことまで射程に入れたものが教育だったはずなのだが、今となっては霊性を育むような教育がなされていないだけではなく、トラウマや不自由さを得るために学校に行っているのではと思われることについて考えていた。

本来の目的から逸脱し、その逸脱が人間を蝕んでいく教育に成り果てている姿を見て、ここにもまた関与の余地が多分にあると感じた。

2つ目として、この宇宙は逸脱者やバグを生じさせることによって調和を保っているのかもしれないということについて考えていた。つまり、絶えず不完全状態を維持することによってその調和を保っているのではないかということである。

不完全なのだがそれによって完全性がもたらされているのがこの宇宙の姿なのかもしれない。そうなってくると、逸脱者やバグを排除しようとする今の社会のあり方はどこかおかしなものに見えてくる。

もちろん、社会道徳的な観点から更生するべき逸脱者やバグに対してはしかるべき処置をしていく必要があるが、今の世の中は、逸脱者やバグであれば何でもかんでも排斥するような動きがあるように思えてならない。それをしてしまうと、この宇宙の調和は保たれなくなってしまうのではないかと思う。この点もまた、マイノリティーと多様性の話ともつながってくるだろう。

一昨日より、2018年に訪れたアイノラのシベリウス博物館で購入した文献資料を夜に眺めている。その中で、シベリウスが若かりし頃に10年の月日をかけて、過去の様々な偉大な作曲家の作曲技法を習得していったことを知った。

自分もまたそれぐらいの時間をかけることを念頭において、多様な作曲語法を習得していこうと思う。その過程で、徐々に自分の作曲語法を彫琢していく。

音楽言語もまた言葉であり、まさにそれは言語に他ならないのであるから、自然言語における文体をゆっくりと育んでいったのと同じように、音楽言語の文体もゆっくりと育んでいこう。文体は自分の成熟度合いが歴然として反映されるため、文体を育むということは自己を育むことに他らない。

そしてこれは、絵画における象徴言語の文体においても当てはまることだろう。つまるところ、創作活動における全ての文体は自己の成熟と密接に関係しているのだ。言い換えれば、文体に自己の成熟の度合いが滲み出て、文体は自己の成熟の証だと言えるだろう。フローニンゲン:2020/8/21(金)06:41

6137. 迷宮を舞台にした今朝方の夢

時刻は午前6時半を迎えた。辺りは依然として静かであり、秋の心地良い風が吹いている。

空は少しばかり曇っているが、嫌な雰囲気ではない。今日は小鳥たちも休憩をしているのか、彼らの鳴き声は聞こえてこない。

それでは今朝方の夢について振り返り、その後創作活動と読書に励んでいきたい。今日は午後に1件ほどオンラインミーティングがあるだけなので、それ以外の時間は全て自分の取り組みに当てていこう。

夢の中で私は、迷宮のような学校の中にいた。建物の雰囲気はとてもモダンであり、校内にはレストランや研修ルームを含めて、いろいろな施設があった。

私は迷宮のように入り組んだ構内をあてもなく歩いていた。建物の2階のフロアを歩いていると、外に出られるドアがあったので、それを開けてみた。

すると、城のようなその建物の外に出ることができ、城の2階の外側を歩く通路が目の前にあった。空を見ると、空には白い雲がちらほらあったが、概ね快晴であり、気温は秋のそれだった。

その通路を歩いて一周しようと思った時に、後ろから誰かがやってくる気配があった。振り返ると、中学校時代の部活の後輩たちだった。先頭にいたのは、1学年下の代のキャプテンを務めていた後輩だった。

彼と目が合って、挨拶がてら少し話をした。どうやら彼らはこれからその通路の先にあるレストランで昼食を食べるとのことだった。

その通路の先にレストランなどあるのかと私は驚いたが、話を聞いてみると、城壁をぐるりと回ったところにレストランがあるとのことであり、360度回った場所、つまり今開けたドアのところにレストランがあるとのことだった。

私はドアを開けてすぐに右に向かって歩き出したので、左の方を一切見ていなかった。そこでドアから見て左の方を見ると、確かにそこにレストランがあって、ウェイターの女性が笑顔でその場に佇んでいた。

後輩たちにランチを楽しんでくれと伝え、私はその場を後にした。すると私の体は城の中のどこかに瞬間移動した。今度は1階にいるようだった。

1階は、自分が実際に通っていた中学校と作りが同じだった。放送室の位置や職員室の位置、そして玄関の雰囲気が全く同じだった。

職員室につながる玄関の前に私は立っていた。するとそこで、部活の顧問の先生が、2馬力のボートを地上を走らせてやって来た。

先生のボートは、父が持っているボートと同じ馬力で走るものであり、デザインがスポーツカーのようにおしゃれだったので、先生とその場で少しボートの話をした。話がひと段落すると、先生は職員室の中に入っていこうとし、その姿を見て、そういえば自分も他の先生に用事があったのだと思い出した。

そこは中学校のはずだったが、なぜか私が小学校6年生の時にお世話になっていた担任の先生も職員室にいて、先生にあることについて抗議しに行こうと思っていたことを思い出した。端的には、先生が作った分厚いハードカバーの書籍の中に、自分に関する記述があって、その内容が大いに間違っていたのである。それだけではなく、その内容は自分を中傷するような内容だったのだ。

職員室に入った私は、その時すでに反抗心に満ちていて、その分厚い書籍を壁に叩きつけたり、膝で真っ二つにしようとしたりしていた。そして最後は、書籍を地面に叩きつけた。ところが、いずれの行動も先生たちの目に入っていなかったのか、私に話しかけてくる先生や注意をしてくる先生はいなかった。

担任の先生が座っている机まで行くと、先日の模擬試験の結果が返ってきたらしく、それについて話をしようと先生が持ちかけてきた。先生は私の表情や気配から何かを察して、「個室に行こうか?」と持ちかけて来たので、そうしてもらうことにした。

個室に入ると、同じ学年の女性友達の2人が後ろから部屋に入って来た。女性友達が入ってきたことにより、彼女たちの前で先生に激しく抗議するのはどうかと思い、少し冷静になった。

先生は私に、模擬試験の受講料をその場で支払った際に使ったクレジットカードを返して来た。見ると、カードがひび割れていた。

そのカードは最近新しく手に入れたばかりだったので、また新しいカードを発行しなければいけないのかとショックに思い、先生に事情を問いただした。

今朝方のこの夢は、同じ城の中でもう少し場面があったように思う。入り組んだ階段を降りている場面があり、階段の上から各フロアのセミナールームのような部屋にいる人たちの姿を眺めていたことを思い出した。

またその他にも、小中学校時代の友人の数名と遭遇し、彼らとも個別個別に話をしていたのを覚えている。確かテニス部に所属していた親友(YU)と野球部に所属していた2人の友人(RS & YK)と話をしていたのを覚えている。フローニンゲン:2020/8/21(金)07:03

6138. 瞑想・祈りの時間としての入浴

時刻は午後7時半に近づきつつある。今日は午前中から天気が良くなり、気温も29度ほどまで上がった。秋の入り口に入り、そこから再び夏の方に戻ろうとしたのかもしれない。

明日からはもう今日のように気温が上がることはなく、最高気温は21度までしか上がらない。明日は雨が降るようだが、午後に散歩がてら街の中心部に出かけ、革製品専門店で財布を購入しようと思う。その帰りに、Holland & Barrettに立ち寄ってヘンプパウダーを2つほど購入し、Ekoplazaでいつものようにオーガニック食材を購入する。

明後日は、午後にでも時間を取って、書籍の一括注文を行いたい。それらの書籍は来月に届くことになるだろう。

来月はそれらの書籍をもとに、音楽に関する美学(音楽美学)、環境経済学と現代貨幣論、シュタイナーの社会経済思想を中心に探究していく。9月に書籍を注文してしまうと、秋の一時帰国の時までに書籍が受け取れないものもあるかもしれないので、日曜日は2ヶ月分の書籍をまとめて購入しよう。随分と数が増えそうだが、今の自分の探究熱がそれを欲している。

このところは毎日1、2冊書籍を読んでいる。それでいて創作活動にも十分に時間を充てられていることはとても喜ぶべきことだ。

今日の入浴中にふと、入浴の時間は自分にとって心底寛いだ状態で行う瞑想実践の時間であり、同時に祈りの時間でもあることに気づいた。浴槽にゆったりと浸かっていると、自然と脳波がリラックスした状態になり、瞑想を行っているのと同じ状態になる。

そこから私は遠隔ヒーリングを家族や知人に対して行っているのだが、その時間は彼らの健康状態がもっと良くなり、エネルギーに溢れるようにと祈る時間でもある。瞑想と祈りとしての入浴。それを明日からも大切にしていこう。

午前中に、より立体的な絵やだまし絵を描いてみようとしたところ、それらを描くためには理論に沿って大いに思考を働かせて描く必要があり、とても窮屈に感じた。描き終えた後に、自発的に絵を描いた時に感じるいつもの浄化感がないのだ。

内側の感覚が望んでいないようなものを描いてしまうと、そこには違和感が残ることに改めて気づいた。今後も思うままに筆を動かしていき、自己の本質が喜ぶように絵を描いていこう。

とはいえ、技術的な知識も得ておくと表現の幅が増えるだろうから、Courseraなどを通じて絵画制作のオンラインコースをいくつか視聴してみようと思った。しかしながら、あまり良いものはなく、結局受講はやめた。

自分の好きな画家からインスピレーションを受けて絵を描くことはあったとしても、何か小手先の技術を学ぶために窮屈なトレーニングを積むことはやめにしておこうと思う。本当に自分が技術の習得を望む日がきたら、その時にそうしたトレーニングをすればいい。

その時にも、題材は常に自分の内側の感覚とし、何か与えられたお題に対して絵を描かないようにしていこう。そのような形であれば技術の幅を広げながらにして、同時に自己の本質を喜ばせることができるだろう。創作活動は、常に自己の本質を喜ばせるものにする。フローニンゲン:2020/8/21(金)19:35

6139. シベリウスの共感覚能力/音楽が社会に果たす役割

時刻は午後8時を迎えた。いつものように、先ほど必要なメールに返信をした。

いつもメールは基本的に夕食を食べて少ししてから確認するようにしている。起床から夕食を食べ終えるまでは集中力を削いでしまうメールの確認はしないことを徹底している。

メールをするために生まれてきたわけではなく、メールの返信に時間を割くために自分の貴重な人生の時間があるわけではない。朝から晩までメールを見ないことによって、どれだけ自分の活動に集中できることか。

一昔前までは昼にメールを確認するようにしていたが、今はそれすらもしていない。さらに昔であれば、朝にメールを確認していたが、それによってどれだけ気を取られてしまっていたことだろう。自分の取り組みに対する集中力と生産性は、その時と今とでは比べ物にならない。

今日は日中に気温が随分と上がったが、この時間になるともう随分と涼しい。今日は秋の入り口からほんの少し夏に戻った感じであったが、今日をもって夏が完全に終わりを告げたように思う。

ここ最近は毎日、スクリャービンとシベリウスを参考に曲の原型モデルを作っている。2人に共通していたのは、音に色を見るという共感覚の能力だ。

スクリャービンがそうした能力を持っていたことについてはすでに知っていが、シベリウスがそうした能力を持っていたことについてはアイノラで購入した資料に目を通していた時に気づいた。この資料の中で、シベリウスが自宅の庭で取れた果物や野菜を食べており、とても健康的な食生活を送っていたことを知った。

実際にシベリウス博物館に訪れた時に見たサウナ小屋で、シベリウスは毎日欠かさずにサウナに入っていたそうであり、これもシベリウスの健康を促進し、彼は作曲家の中ではかなり長生きしたのもそれらのおかげなのかもしれないと思った。

今日は午後に、社会環境や時代精神に応じて音楽が果たす役割も変遷していることについて考えていた。もちろん普遍的な役割もあるだろうが、今の時代に求められる音楽はどういったものなのかについて考えていた。

1つとして、霊性の復権と涵養を促す音楽が求められているように個人的には思う。その役割を果たす音楽を作っていくことはできないだろうか。

絵画への関心も強くあるが、とりわけ音楽が果たす社会的な役割を考察したいと思い、ライデン大学が提供しているMOOCの“The Importance and Power of Music in our Society”を視聴することにした。このコースはまだ始まったばかりであり、早速動画を見始めたところ、今現在提供されている動画をすでに全部見てしまった。続きの動画がアップされることが今から楽しみだ。

プラトンは、音楽が道徳意識に与える影響について考察をしていた。孔子もまた然りである。過去の偉大な思想家が音楽の果たす役割について考えていたことは興味深い。

明後日に大量注文する書籍の中には、芸術が社会に果たす役割について言及した書籍も数冊ほどある。そのテーマについてこれから考察を深めていきたい。フローニンゲン:2020/8/21(金)20:20

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