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6097-6099: アートの国オランダからの便り 2020年8月10日(月)


No.1165 黄昏の霊性_Twilight Spirituality

本日の言葉

Let the flower of compassion blossom in the soil of love and tend it with the pure water of equanimity in the cool shade of joyfulness. Longchenpa

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本日生まれた9曲

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タイトル一覧

6097. 本日の計画

6098. 今朝方の夢

6099. 滞在許可証の再申請を終えて:夕方の嬉しい訪問者

6097. 本日の計画

時刻は午前7時を迎えようとしている。この時間帯はもうすっかり明るくなっており、朝日が赤レンガの家々を照らし始めている。

今朝の起床はゆっくりと午前6時過ぎだった。目覚めた時に、寝室から薄赤い朝焼けを拝むことができた。

今日からは新たな週となる。今日の計画としては、昨日、ある原稿の執筆依頼を受けたので、その原稿を書き上げようと思う。そうしたこともあり、今日は読書の代わりに、原稿執筆に時間を割きたい。

その原稿は、先日知り合った画家の知人の方に関する内容であり、私の担当は、インテグラル理論と成人発達理論を含めた自分の専門性の観点からその方の作品世界と作品の魅力について紹介することである。原稿の文字制限がタイトなので、どのような論点を盛り込むのかを事前に考えておき、いずれも簡潔な文章で執筆を進めていきたいと思う。

昨夜の就寝前にはすでにアイデアがいくつも浮かんでおり、それらを書斎の机に置かれた裏紙のメモ用紙に書き留めておいた。それらのメモをもとにして文章を書けば、おそらく今日中に初稿を書き終えることができるだろう。

今回は文章執筆の依頼から締め切りまでそれほど時間がないが、今日中に速やかに初稿を書き上げ、少しばかり文章を寝かせ、明後日に再度文章を眺めてみる。そこで追加修正があればそれを施して、先方に提出しようと思う。

今日はその他にももう1つやることがある。先日のアテネ旅行で財布を盗まれた時に、オランダの居住許可証も盗まれてしまっていたため、新しい許可証を発行してもらう必要がある。その手続きはオンライン上からもできるのだが、オンラインで必要事項を全て記入し終えた後に、オンラインで申請費用を支払うことがどうやってもできなかった。

オランダの銀行カードを用いてオンライン上で支払いを行う際に、カード読み取り用の機器をパソコンに接続して支払いをしようと思って何度試しても、うまくカードが読み取られないのである。数年前にもこのような問題があったように思う。その際も結局オンライン上での支払いに関する問題は解決されず、リアルな場での支払いをしたように記憶している。

オンラインを通じて許可証の再申請ができれば楽だったのだが、それができそうにないので、起業家ビザを申請したのと同じように、申請書をプリントアウトし、それに記入する形で移民局に送ることにした。今日の午後に1件ほどオンラインミーティングがあり、それを終えたら、申請書とアテネの警察署に発行してもらった紛失盗難届出書をプリントアウトしに、ノーダープラントソン公園近くのコピー屋に散歩がてら立ち寄る。そこでついでに、フローニンゲン大学が発行しているPDF1枚の今年1年間のカレンダーもプリントアウトしてもらう。

申請書の項目についてはもうオンライン上で記入していたこともあり、申請書の項目を速やかに埋めていくことができるだろう。秋の一時帰国までにあと2ヶ月ほどあるので時間的にゆとりはあるが、できるだけ早く新しい居住許可証を得ておきたいと思うので、コピー屋から帰ってきたら、すぐに申請書に記入をし、夕方に近くの郵便局に行ってそれを郵送する。

今後オンライン上で支払いができないと不便なので、この問題に関しては明日街の中心部に行く予定があるので、銀行に立ち寄ろうと思う。モバイルアプリの登録をする際にも、最初にカード読み取りの機器を端末に接続する必要があるのだが、その認識がうまくいかないのだ。この問題を明日解決することができればと思う。フローニンゲン:2020/8/10(月)07:12

6098. 今朝方の夢

時刻は午前7時半に近づこうとしている。今、朝日がますますその光を増し、地上が輝きに満ち溢れている。近くの街路樹では小鳥たちが朝の合唱を奏でている。

どうやら今日も気温が30度を越し、32度ほどに到達するようだ。すでに数日前に33度を経験し、その日も特に問題なく過ごすことができたので、今日の暑さも身構える必要はないだろう。

天気予報を見ると、結局今週の金曜日からはもう秋に向かってどんどん気温が下がっていくようなので、30度を越す夏らしい日々をあともう少しだけ味わいたいと思う。夏を自分の身体を通じてじっくり味わうことにより、夏のエネルギーが体内に取り込まれ、それが秋や冬の活動に向けた肥やしになるだろう。

それでは今朝方の夢について振り返り、その後創作活動をして、そこからは依頼を受けた原稿の執筆に取り掛かりたい。夢の中で私は、ちょうど昨晩原稿の依頼を受けた知人と話をしていた。場所は日本のどこかであり、それほどゴミゴミした場所ではなかったが、比較的大きな街だったことは確かだ。ひょっとしたら、東京のどこかの街かもしれない。

道端で私たちはいろいろな話をしていて、ちょうどその時には一緒に行っていたイベントか何かの最中であり、私やその知人に話しかけてくる参加者がたくさんいた。そうしたこともあり、その知人の方とは後でまたゆっくりと話をすることを約束した。

その後、その知人の妹さんと一緒にその街のマラソン大会に出場することになった。もう実際に走り始めていたのだが、私は参加者の中で置いてけぼりになっている人がいないかどうかを確認するために、最後尾で全ての参加者を見守りながら走ることにした。

私の横には知人の妹さんがいて、歩く速度ぐらいのゆったりとした形で走りながら、会話をしていた。そこで夢の場面が変わった。

次の夢の場面では、私は日本の旅館の一室にいた。そこは畳部屋であり、落ち着きがあった。畳部屋にはすでに人がいて、見知らぬ日本人の中年男性が1人、そしてオランダ人の若い男性が1人いた。

私は2人に話しかけた。すると、日本人の中年男性が私たちに面白いものを見せてくれるという。

その男性が部屋の隅っこに行き、床に置かれていた布を持ち上げると、そこに1匹の大きなメスのてんとう虫がいた。それは私にとってはとても可愛らしく思え、その気持ちが伝わったのか、そのてんとう虫は私に懐いてきた。

私が床に仰向けになると、そのてんとう虫は私の顔に止まって戯れてきた。すると、そのてんとう虫は体から白いまゆのような膜を出し始め、私の顔はそれで覆われた。特に不快感はなかったのだが、それが口に入りそうになったので、私は口を閉じ、しばらく黙ったまま、てんとう虫がなすままに身を任せていた。

その後、中年男性がまゆをすくい上げてくれ、私はそれを記念にもらった。そこでその中年男性は、オランダ人の若い男性にも床に横になるようにと述べたのだが、オランダ人のその男性はてんとう虫が嫌いのようであり、何よりも顔にまゆを張られることを気持ち悪がっているようだった。そこで夢の場面が変わった。

最後の夢の場面では、私は実際に通っていた中学校の職員室前の玄関にいた。見ると、そこに野球部の友人(RS)を含め、何人かの同じ学年の生徒と、後輩たちがいた。すでに彼らは学校を卒業していて、何かの記念撮影をしているようだった。写真を撮影するだけではなく、後輩に向けたビデオメッセージの撮影もそこで行われていた。

そのメッセージの中で、野球部の友人が、「うちの学校は、勉学に関してはとても軽い学校です」と述べており、私は笑いながら確かにそうだと思った。彼らの撮影風景を眺めていると、職員室の玄関の壁にいくつかの絵画が飾られていることに気づいた。

よくよく見てみると、そこには歴史学者の上原専禄先生の自画像が飾ってあって驚いた。その自画像の背景には見事な風景が描かれていて、それは自画像かつ風景画でもあった。

その他の絵もゆっくりと眺めようと思ったところで、お世話になっていた社会科の女性の先生の声が聞こえてきた。そこで夢から覚めた。

夢を書き留めた後に再度夢のシンボルについて振り返ってみた。最初の夢の中で印象的なのは、もちろん昨晩原稿執筆の依頼を受けた知人の方が早速夢の中に出てきたことではあるが、それよりも印象的なのは、最後にマラソンをしているときの自分の行動である。

私は自分のタイムを出すためではなく、参加者の最後尾について、誰1人として脱落する者が出ないようにゆっくり走りながら見守っていた。それはどこか、ロイ·バスカーの一連の書籍を読む中で、たびたび出くわしたマルクスの社会変革の発想の現れではないかと思ったのだ。

端的には、誰か1人でも不公平さや不自由さを感じている限りにおいて、それは真の社会変革ではなく、誰1人としてこの社会から脱落させてはならないという発想である。私はその発想を体現させる形でマラソンを走っていたように思う。

現実世界におけるここからの取り組みは、まさにゴールの見えないマラソンを走るようなものであり——実際に、夢の中のマラソン大会のゴールは未設定であり、未知であった——、決して焦ることなく、それでいて自分にできる限りのことをしていこうと改めて思った。

そして、その次の夢に現れたてんとう虫について、早速ドリームディクショナリーで調べてみた。すると、夢の中でてんとう虫を見ることは、美と幸運を象徴しているとのことだった。

美への関心の高まりと、日々幸運な出来事——アテネでの財布の盗難もまた見方を変えれば色々と幸運な出来事だった——に遭遇する頻度が高まっている実感があるため、それもとてもうなづけるシンボルだった。ここから自分の内側の美的感覚がさらに育まれ、より多くの幸運が訪れることを願っている。フローニンゲン:2020/8/10(月)07:53

6099. 滞在許可証の再申請を終えて:夕方の嬉しい訪問者

時刻は午後7時を迎えた。今、穏やかな夕日が夕方のフローニンゲンの空に浮かんでいる。今日もまた1日を通して素晴らしい天気だった。

午後にオンラインミーティングを終えた後に、ノーダープラントソン公園近くのコピー屋に足を運び、依頼をしていた書類のコピーを受け取った。それは、紛失した居住許可書の申請書類である。コピー屋と自宅の往復の間の40分間はとても良い散歩の時間となり、オンラインミーティング後の自分の頭を落ち着かせてくれた。

思考を用いる活動と身体を用いる活動が最近は自然とバランス良く行われており、コピー屋への散歩もまたひょんなことからやってきた良い運動になった。自宅に戻ってきてからすぐに申請書の記入を始め、幸いにも記入する項目は多くなく、すぐに全ての記入を終えた。

記入の途中で、パスポートのコピーも必要であることがわかり、それについてはコピーをしていなかったので、すぐさま再度コピー屋にデータを送り、再びコピー屋に向かった。往復40分程度の散歩だったので、それほど面倒だとは思わず、むしろ2往復の合計で1時間半ほどの散歩を楽しめたことを喜んだ。

無事にパスポートのコピーを受け取り、ちょうどそのコピー屋では切手も販売していたので、封筒を持って行って正解であった。実は帰りに郵便局の機能が備わった小さなスーパーに立ち寄ろうと思っていたので、その手間が省けた。

コピー屋の店員の女性に切手をもらい、コピー屋の目の前のポストに封筒を投函した。いったんはこれにて落着である。後は移民局の手続きを待ち、申請の受理の連絡を葉書を通じて受け取ることが今後の流れになる。

おそらく実際の滞在許可証は、再びズヴォレの移民局にアポイントメントを取って、直接受け取る必要があるだろう。早ければ来月の初旬あたりに滞在許可証を受け取れるかもしれない。

ズヴォレの街に行く機会はほとんどなく、これまでも移民局に訪れることを目的にしかこの街に訪れていない。ただし直近の2回においては、移民局に行った後に街の中心部の美術館に足を運ぶようにしている。今回もまたズヴォレの移民局に行く必要があったら、美術館に足を運びたいと思う。

たった今、水を取りに一度立ち上がり、書斎の机に戻ってくる前に窓辺に近づいてみたときに、嬉しい訪問者が部屋の内側の窓にいた。とても小さなてんとう虫だった。

偶然にも、ちょうど今朝方てんとう虫が現れる夢を見ていて、その夢について朝方書き留めていた。夢と現実世界がシンクロするかのように生きていた明恵上人のように、まさか夢の中と同じく現実世界でもてんとう虫が現れるとは全く想像できなかったことである。

私はしばらくてんとう虫を眺め、窓から外に逃してあげようとすると、そのてんとう虫は外に行きたくなかったのか、窓の上の方に走っていき、捕まえられないような隙間の中に隠れてしまった。それを見て、部屋にいたいだけいればいいと私は思った。

夢の中でてんとう虫を見ることは、美と幸運のシンボルなのだ。この現実世界もまた夢であるとみなせば、先ほど実際に目にしたてんとう虫は、この世界での美と幸運を象徴している。フローニンゲン:2020/8/10(月)19:21

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