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5872-5874: アートの国オランダからの便り 2020年6月1日(月)


No.543 穏やかさを取り戻した街_A City that Regained Peacefulness

本日の言葉

There is no way to peace. Peace is the way. Thich Nhat Hanh

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本日生まれた14曲

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タイトル一覧

5872. 生と死と結びついた発達:今朝方の夢

5873. 渇望と飽和:土着神と創作活動

5874. 再び活気付き始めたフローニンゲンの街

5872. 生と死と結びついた発達:今朝方の夢

時刻は午前5時を迎えた。4時半に起床した際には、すでに小鳥たちが鳴き声を上げ始めており、寝室の窓からは朝焼けが見えていた。遠くの教会の空が朝焼けに染まり始めている光景が印象に残っている。

今日と明日のフローニンゲンの天気は良く、気温は高い。しかしながら明後日からは、小雨が降る日が続く。

最高気温に関しても15度前後であり、最低気温に関しては10度を下回る。早いもので今日から6月を迎えたが、フローニンゲンは涼しさに包まれている。

昨夜、発達するということは、いかに生きるかということと、いかに死に向かうかということと密接不可分の関係にあり、それらと切り分けては決してならないのではないかと考えていた。歪な発達とは、いかに生きるか、いかに死に向かっていくかということを蔑ろにしたままに希求された現象のことを指し、それは生と死から分離されたときに起こってしまう現象なのではないかとも考えていた。

生と死があっての発達である点を忘れないようにしていこう。そのようなことを昨夜考えていた。

そよ風がゆっくりと進行し、新緑の街路樹の葉を撫でている。それはとても優しげである。

今朝方も夢を見ていたが、今日はそれほど多くのことを覚えていない。夢の中で私は、学校の教室にいた。そこは実際に通っていた小学校のようである。

教室には何人かの生徒がいて、私たちは、6年生の時の担任の先生の授業を受けていた。授業が終わり、帰宅の時間になったときに、私は昨日の日記を先生に手渡した。

本来日記は朝の時間に先生に提出することになっていたのだが、その日私はそれを忘れてしまっていたようだった。日記を手渡すと、先生はその場ですぐに日記に目を通してくれた。そして赤ペンを持って、ある箇所に線を引き、再び日記を私に返してくれた。

私は日記に、世界史の論述問題の自分なりの解答を書いていた。中世ドイツの経済状況を、農業の観点から記述した問題だった。

先生が赤ペンで線を引いてくれた箇所に目を通すと、どうやら私はその箇所に関して史実を間違っていたようだった。当時のドイツを支配していた人物の名前と、彼が行った行動について間違えているようだった。それを受けて私は、明日からは普通の日記を書こうかなと思った。

そもそも日記に世界史の論述をしたところで、その論述内容が大して自分の頭の中に残っていないことに気づいたのである。それであれば、自分の毎日の生活の中に起こることを書き留め、それを定着させていくことの方が良いのではないかと考えた。

そのようなことを考えていると目が覚めた。そして、寝室の窓の外に広がる朝焼けがゆっくりと自分の目にやってきた。フローニンゲン:2020/6/1(月)05:33

5873. 渇望と飽和:土着神と創作活動

渇望と飽和。それが自分にあるということ。それを先ほど考えた。

自分の内側には、形になることを渇望しているものがあり、それを形にしようと渇望している自分がいる。それら双方の渇望する存在。そして彼らの思いは飽和している。

今の自分の創作活動の原動力には、そうした渇望と飽和があるのだろう。形になろうと待っている存在の渇望感が飽和しており、それを形にしたいと思う自分の渇望感が飽和している。

それらが互いに交わり合い、調和をなすことによって今の自分の創作活動が前に進んでいる。そのようなことを先ほど考えていた。

今朝の起床は午前4時半と、それほど早いわけではなかったが、今のところ非常に充実した創作活動が行われている。午前9時半を迎える今の段階において、絵に関しては4枚ほど描き、曲に関しては7曲ほど作った。

今日は昼前に1件ほどオンラインミーティングがあるだけなので、それ以外の時間は全て創作活動に充てていこう。ミーティングまでまだ時間が十分にあるので、ここからもまた理論書を片手に、譜例をもとにして作曲を続けていく。

それにしても今日もまた本当に穏やかだ。この街には平日と休日の区別などないのかもしれない。

今日は週の初めの月曜日なのだが、その時間の穏やかさは休日のそれと変わりない。時の感覚質は休日のそれであり、雰囲気もまたほぼ同じである。引き続き、時を超越しながら自分の取り組みに従事していこう。

先ほど、様々な場所で日記、絵、音楽を作る過程の中で気づいたことについて考えていた。それぞれの場所には、創造を司る固有の土着神が存在していて、その存在から固有の感覚を受け取ることに応じて、自ずと創作物の質感が異なってくることは興味深い。いつも旅の最中に実感するのはそれである。

そこから、仮に地球上だけではなく、様々な惑星に足を運び、そこで創作活動に従事するとどのようなものが生み出されるのかについて考えていた。それを考えるだけで、どこか胸が躍る。

きっとそれらの創作物は、地球上では生み出され得ない感覚を内包したものになるだろう。今後も地球上の様々な土地で創作活動に励み、いつか様々な惑星の上で創作活動に従事してみたいと思う。

そのような想像力を働かせてくれる広く落ち着いた青空が、フローニンゲン上空に広がっている。フローニンゲン:2020/6/1(月)09:28

5874. 再び活気付き始めたフローニンゲンの街

時刻は午後7時を迎えた。今、6月を迎えた最初の日がゆっくりと終わりに向かっている。

日が完全に沈むまではあと2時間半以上あるが、今の外の世界は1日を締め括ろうとしている雰囲気を発し始めている。

今日は午後に街の中心部のオーガニックスーパーに買い物に出掛けた。昨日は店が閉まっていたのだが、今日は昼からやっており、必要なものを購入した。

今日は“Whit Monday”という祝日であったためか、午後から街の中心部のレストランのテラス席は客で賑わっており、昼からお酒を飲んでいる人たちを数多く見かけた。彼らの表情は一様に幸せそうであり、天気の良さもあって、とても陽気な雰囲気が街全体を包んでいた。

かかりつけの美容師のメルヴィンが述べていたように、今日からレストランもオープンし、そうしたことも今日の賑わいを生んでいたのだと思う。コロナが落ち着き、再び街が活気付いてきている様子を見て、少しばかり安堵の気持ちがあった。

歩いているだけで幸せな気持ちになれる街。フローニンゲンはそのような街であると今日も思った。

散歩の途中に吹くそよ風がとても優しく、そして清々しかった。新緑の街路樹が植えられた道路を通っていると、立派な大木の切り株があった。そこだけ大木が切り倒されていて、切り株の状態のものが目についたのである。

なぜ木が切り倒されてしまったのかは定かではない。ひょっとすると、少し前に激しい雷が落ちてきた日があったので、そのときに大木が避雷針の役割を務めたのかもしれないと思った。

そうでなければ、一体誰がこんな立派な大木を切り倒すというのだろうか。そのようなことを考えながら、雷を受け止めてくれたであろう大木の切り株をしばらく静かに眺めていた。

散歩の最中は、幸福感と共に瞑想の意識状態にあり、思考が澄み渡り、そしてそこからまた穏やかな考えが生まれては消えを繰り返していた。そのうちの1つに、今年の年末年始は、マジョルカ島かシチリア島で静かに過ごそうかと思った。

オランダは年末に近づいてくると花火がうるさく、年越しも騒々しいので、できれば今年もどこか静かな場所に行きたい。昨年はマルタ共和国で年を過ごしたが、今回は上記の2つの島のどちらかが良いだろうか。

マジョルカ島であれば、フローニンゲン空港からでも直通があることを随分と昔に知り、何か縁があるかもしれないと思う。また、オランダ人の友人たちは大抵シチリア島に行ったことがある人が多く、以前から彼らの話を伺っていたので気になっていた島である。また時間を作って、マジョルカ島やシチリア島について調べてみようと思う。フローニンゲン:2020/6/1(月)19:26

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