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5744-5747: アートの国オランダからの便り 2020年4月18日(土)


No.93 心羽_Heart Feathers

本日の言葉

Life at each moment permeates the entire realm of phenomena and is revealed in all phenomena. Nichiren Daishonin

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本日生まれた13曲

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タイトル一覧

5744. 絵画の創作に伴う知覚力の高まり及び心的ビジョンの鮮明化

5745. 今朝方の夢

5746. 白馬のシンボルが象徴することと狂人について

5747. 速やかに就寝することの効能:創作活動のためのAIの開発に向けて

5744. 絵画の創作に伴う知覚力の高まり及び心的ビジョンの鮮明化

時刻はちょうど今午前5時を迎えた。今朝の起床は午前4時過ぎだった。

小鳥たちが鳴き声を上げ始めるのはもう少し後であり、今はパソコンを通じて波の音を聞いている。早朝のこの時間帯から昼頃までは延々と波の音を流しており、それを聞きながらくつろいだ状態で創作活動に従事している。午後からは小川のせせらぎと小鳥たちの鳴き声が混じった音を流しており、そうした環境音のおかげで絶えず寛ぎと集中した状態の中で活動に取り組めている。

昨夜は、「集中力」という言葉についてふと改めて考えていた。心の中に力を集めること。文字通り、それが集中力という言葉の意味なのだろう。

そもそも心の中に集めるだけのエネルギーが必要である。幸いにも、今の自分はそうしたエネルギーで満ち満ちている。あとはより巧みにそれを心的空間内の1箇所に集め、凝集されたエネルギーを持って活動に取り組むかである、ということを考えていた。

これまで学んできた多様な領域と取り組んできた多様な実践が相互作用し、今は内側にエネルギーが満ち溢れているだけではなく、それを集中力に変換して発揮することがうまくなりつつある。学習にせよ実践にせよ、集中力を持って取り組むことの大切さを改めてここで述べる必要もないと思われるが、集中力として発揮されるエネルギーの質と量、そしてそれをいかに一点に集めていくかということ、それらの点については今後も探求を続けていく。

油絵を描き始めてちょうど10日ほど経った。絵を描き始めたことの変化をもうすでに感じている。その一つには、心的空間内での知覚力が高まり、心的空間内で生起するビジョンがより鮮明かつ色鮮やかになっていることが挙げられる。

就寝前に目をつぶった時や、起床直後に呼吸法と瞑想を兼ねた実践をしている最中には、心的空間内で様々なビジョンが立ち現れ、それらを眺めることを行っている。それらの心的ビジョンは創造の源であり、それらがこのように鮮明に知覚され始めているというのは喜ばしいことである。今後はより一層知覚力を高め、心的ビジョンをより色鮮やかかつ鮮明なものにしていき、それを題材にして曲や絵画を創っていこうと思う。

昨夜の就寝前に、心の内側の、すなわち内面世界のメモを取るかのように絵を描いていこうと改めて思った。それは曲に対しても当てはまる。

自分が日々生み出している絵も曲も、内面世界でその瞬間に生起している感覚やシンボルを表すスケッチなのだ。イメージと音を通じたそうした描写を絶えず行っていく。

言葉で日記を綴るかのように、イメージと音で日記を綴っていく。それらは短いもので構わない。その瞬間の自分の内的ビジョンと感覚を表していればそれでいいのだ。

作曲に関していえば、確かに内的ビジョンを音の形にするというのも間違ってはないと思うが、ひょっとすると「内的音」という言葉を当てた方が正確かもしれない。これからは、内的音·内的ビジョン·内的感覚という3つの言葉を分けて活用することも検討する。

今朝は午前4時過ぎに起きたこともあり、今日もまた充実した創作活動が実現されるだろう。とりわけ午前中の創作に適した時間帯を有効に活用する。

創作を常に楽しむ気持ちを持ち、新たな発見を喜ぶ気持ちを絶えず持つ。そして、そうした楽しさや喜びを感じられることに対する感謝の念を絶えず持って創作活動に従事する。フローニンゲン:2020/4/18(土)05:16

5745. 今朝方の夢

午前5時半を迎えるまで、もう少し時間がある。それくらいの時間になれば、小鳥たちのうちの誰かが鳴き声を上げ始めるだろう。

小鳥たちが鳴き声を上げ始める時、今日という日もまた産声を上げ始める。そうした産声に毎朝立ち会うこと。それが日課になっている。

それでは自分の1日はいつから始まっているのだろうか、どのタイミングでその日が新たに始まっているのだろうかと考えた。そのような始まりはないと言える。毎瞬毎瞬が新たな始まりであり、毎瞬毎瞬に産声を聞くことができる。

自分は絶えず新たな始まりの中で生きており、絶え間ない始まりの目撃者である。始まりにはイメージだけではなく、音が内包されているのだから、見る者かつ聴く者であると言える。絶えず始まりの音を聞きながらにして目撃すること。絶え間ない始まりに感謝しつつ今日も生きよう。

今朝方もまた夢を見ていた。いつものようにそれらの振り返りを行い、それに触発される形で絵を何枚か描いてから早朝の作曲実践に取り掛かりたい。

夢の中で私は、大学時代のクラスメートとサークル仲間とキャンパス内で話をしていた。ちょうど学園祭が終わった後のようであり、これから打ち上げがあるようだった。しかし、サークルの打ち上げとクラスの打ち上げの日時が重なってしまっているようであり、私はどちらか一方にしか参加できなさそうだった。それを2人に伝えると、2人は残念そうな表情を浮かべていた。

今のところ、サークルではなくクラスの方の打ち上げに参加すると2人に伝えたところ、サークルの友人がその打ち上げの詳細がわかる情報を見せて欲しいと言ってきた。というのも、当初は2つの打ち上げは重なっておらず、両方に参加する予定であり、その友人は本当に2つの打ち上げが重なっているのかを確認したかったようだ。

いや、実際のところは、私は打ち上げや飲み会の類にはことごとく顔を出さないので、友人は私が嘘をつき、打ち上げに参加するのをめんどくさがって日程が重なったと述べているのではないかと思っているようだった。だが今回は本当に日程が変更になり、2つの打ち上げが重なってしまっていた。

それを証明するために、先日幹事役から送られてきたメールを彼に見せたところ、彼は送り主とメールの文面を念入りに確認し、ようやく納得したようだった。実際のところ、彼が心の中で思っていることは正しく、一応クラスの打ち上げには参加すると意思表示をしたが、打ち上げに参加するのは相当面倒であり、心の中では、どちらにも参加しないと決めていた。

次の夢の場面では、私は見慣れない建物の中のエレベーターの中にいた。そのエレベーターの中には、大学時代に知り合った友人がいて、彼と談笑を楽しんでいた。私はふと、彼がエレベーターに乗るときにはいつも、エレベーターに備え付けのミネラルウォーターのタンクの水が切れていると笑いながら述べた。すると彼は、そんなことないと笑いながら述べたが、その時もタンクの中の水が空っぽだった。

普通に考えれば、そもそもミネラルウォーターのタンクがエレベーターに備え付けられていることは珍しいことなのだが、私たちはそれを当たり前と思っているようだった。

彼の近況について尋ねてみると、彼はモデルの仕事に応募しようと思っているとのことだった。正直なところ、それは少々実現性が低いと私は思っており、とりあえずどのような写真を応募書類に添付したのかを聞いてみた。

すると、手持ちの写真がほとんどなかったそうであり、先日父と旅行に行った際に撮影した写真を添付したとのことだった。どのような写真かをさらに詳しく聞いてみたところ、山形か長野かに訪れた際に、高速道路のあるサービスエリアで撮影したものとのことだった。

その瞬間に、私たちの脳内に写真が共有され、そこには彼の父も写っており、彼の父が「ここは山形ではなく長野だぞ」と述べていた。肝心のその写真であるが、サービスエリアの露天風呂で2人が素っ裸の状態で、大事な箇所にタオルを巻き、露天風呂の上に取り付けられているサービスエリアの看板を笑顔で指差しているものだった。その写真を見て、私は大いに笑い、彼がモデルの仕事を得ることはないと思った。

気がつくと、エレベーターが1階に到着していた。エレベーターの扉を開けると、そこは中世の宮殿の中のようであり、なぜか1階は浸水していた。

遠くに階段が見えており、その前が特に浸水が激しく、肩まで水に浸かってしまうほどだった。困ったことになったなと思って彼にアイデアを聞こうと思ったところ、彼はもうそこにはおらず、その代わりに見知らぬ若い女性がいた。

その女性と私は初対面のはずなのだが、どこかそのような感じがせず、私たち2人は良きパートナーのようだった。これからその女性と一緒に浸水地帯から脱出しようと思っていたところ、その女性はなんと馬に変わった。白く美しい毛並みを持った馬に変わったのである。

その馬は人間の言葉を話せるようだったが、それは実際の声を発するのではなく、心のなかで声を発せるようだった。お互いに心を通じて意思疎通をしたところ、その馬は私を背中に乗せてくれ、その状態で浸水地帯を越えていこうと持ちかけてくれた。

しかし私は、その馬の背中に乗るのではなく、2人一緒に歩いてその浸水地帯を越えていこうと提案した。気がつくと、私たちは浸水地帯から脱出しており、宮殿の入り口の外にいた。そこはタクシー乗り場になっていて、どうやら私たちはこれから、クライアント先のある大企業に訪問することになっていたようだった。

電車でそこに向かうことも可能ではあったが、タクシーを使ってくつろぎながらそこに向かおうと私は提案し、タクシー乗り場でタクシーを捕まえようとした。すると、タクシー乗り場の係員らしき男性が、「あちらの場所の方がタクシーが捕まえやすいですよ」と親切に教えてくれ、その場所に向かった。

そこに向かう最中にもタクシーと何台かすれ違い、それらは全て高級外車であり、それらを珍しそうに眺めている自分がいた。係員の男性に教えてもらった場所に到着すると、すでにそこにはタクシーが何台か停まっていたが、運転手の人相があまり良くなく、それらに乗ることはやめにして、別のタクシーが乗り場に到着するのを待つことにした。そこで夢から覚めた。

実際には、今日はその他にも夢を見ていたのを覚えている。小中高時代から付き合いのある女性友達(YY)が現れ、彼女と勉強方法について話をしていたことを覚えている。また、飲み水に関しても意見交換をしていたように思う。フローニンゲン:2020/4/18(土)05:51

5746. 白馬のシンボルが象徴することと狂人について

後1時間ほどで正午を迎える。本日は土曜日であり、とても穏やかな雰囲気がフローニンゲンの街を包んでいる。

改めて、コーヒーブレイクがてら日記を綴ることにした。今朝方見た白い馬について、夢辞典でそのシンボルについて調べてみたところ、大変興味深い記述があった。

記述を訳してみると、何やら白い馬は純潔さや繁栄、さらには幸運を表しているとのことだった。そして最も興味深いのは、仮に白い馬と話をしているのであれば、それは高次元の知識、つまり叡智を示唆しているとのことだった。

まさに私は、夢の中で白い毛並みの馬と話をしており、その馬から叡智を授かっていたのかもしれない。元々その馬は人間の女性であったことを思い出す。その女性の顔は思い出せず、見知らぬ女性であった。

一体その女性は本当に実在しているのだろうか。そのようなことが気になる。

また、辞典曰く、その馬がなんと言ったかに着目することが大切とのことだが、夢の中のその馬は、「私の背中に乗ってください」としか言っていなかった。それが意味することについても考えを巡らせてみよう。

早朝、シベリウスの曲を参考にして曲を作った。シベリウスの曲には自然の躍動や力強さを感じる。自然の力を曲として形にする際に、シベリウスの曲はとても参考になる。

トイレ休憩の際に、絶えず新しいことを試しながら、小さな作品を膨大に作る過程を通じて、神経回路及び知性回路を開拓·開発していくことについて考えていた。作曲にせよ、絵画の創作にせよ、作品を作る過程の中では常に何かしらのフィードバックがあるため、そうしたフィードバックを得ながら実践を深めていくことができる。フィードバックと新たな実験及び実践の循環が、神経回路と知性回路を徐々に開いていく。

午後からも引き続き、作曲実践と絵画の創作を続けていく。作曲に関しては、棋譜並べをするかのように、そして写経をするかのように譜例を参考にしていこう。プロ棋士の学習方法のみならず、作曲とプログラミングはとても似たところがあるため、プログラマーの学習方法も参考になる。

その他に考えていた雑多なこととしては、狂人について考えていた。人は、何かに没頭して日々を過ごしている人間を狂人と呼ぶかもしれないが、何かに没頭して日々を過ごしていない人、つまり人生を無為に過ごしている人の方が狂人なのではないかと思う。

この人生の中で自分が打ち込むべき対象が何なのか、それが分からないままに漠然と生きている人の方が私には遥かに狂人に思える。こうした見方はおかしなことだろうか。

正常な人間が狂人として扱われ、狂人が正常な人間として扱われる歪んだ社会の中で私たちは生きているとつくづく思う。フローニンゲン:2020/4/18(土)11:17

5747. 速やかに就寝することの効能:創作活動のためのAIの開発に向けて

時刻は午後7時を迎えた。今日もフローニンゲンは晴天であり、とても穏やかな1日だった。

週末の土曜日が、ゆっくりと終わりに向かっていく。振り返ってみると、今日も高い集中力を持って創作活動に打ち込む1日だった。

一つ一つの取り組みに集中して取り組むこと。自分のエネルギーを込めて創作にあたること。それをこれからも続けていく。

創作物の中にわずかばかりでもいいので、治癒と変容が実現されるようなエネルギーを込めていきたいと思う。おそらく、エネルギワークの観点からすれば、それは十分に可能かと思う。

創作物にそうしたエネルギーを込めるためには、何よりも自分自身が創作活動に対して集中している必要がある。それができて初めて、作品に力が凝集されていく。

この社会には、集中力を奪うような仕組みが無数に蔓延っているため、それらには本当に注意が必要である。うっかりしていると、集中力がどんどん奪われていくような仕組みがこの社会にはある。

ここ最近特に意識しているのは、1日の活動を十分にやり切ったら、速やかに就寝するということである。つまり、ダラダラと起きておかないようにしているということだ。

納得のいくところまで活動ができたら、夜は速やかに就寝し、明日に備えるようにしている。それが早起きを実現させ、朝から夜までの創作活動の充実につながっているようだ。

一般的に、夜の時間帯に集中力が落ちた状態で無理に活動に従事したり、無駄に起きてしまっていることが多いのではないかと思うが、私は逆に速やかに寝るようにしている。今日も早めに就寝し、明日以降もまたそうした形で1日を終えていく。

それが本当に日中の活動の充実につながっている。あふれんばかりの活動エネルギーの源の1つは、そうした生活習慣にあるように思う。

午後、仮眠をしようと思ってベッドの上に横になると、驚くほど早く深い意識状態に入り、即座に眠りの世界に入った。ふと立ち止まって考えてみると、日中の仮眠は余程その前に考え事でもしていない限り、速やかに眠りの世界に入る。

それは夜の睡眠も全く同じであり、ベッドの上で仰向けになり、シャバーサナのポーズを取ってしばらく瞑想のような実践をした後に横向きになると、そこから数分以内で入眠に至る。しかも目覚めはいつもすこぶる良い。

日々の食生活、日光浴、日中の充実した活動ぶりが複合的に作用してそうした快眠をもたらしているのだろう。今日も即座にぐっすりと眠れそうである。

そういえば午前中に、絵を描くことが習慣になったら、自分の創作物をデータにし、そこから創作活動上の新たな洞察を得るために、AIを独自に作ってみようかと思った。創作活動にAIを活用することについては以前にも書き留めていたが、そもそも簡単なAIを自分で作ってみようかと思ったのである。

調べてみると、AIを自分で作ることはそれほど難しいことではないということがわかり、AI開発用のプログラミング言語を調べ、今のところはPythonがいいかと思ったので、その学習をどこかのタイミングで始めようかと思う。

もちろん、単純にデータ解析をするためだけなら、これまで研究で活用していたRというプログラミング言語を用いればいいのだが、機械学習を活用して、そこから創作活動上の——とりわけ作曲上の——様々なフィードバックを得たいと思っているために、小さなAIを開発するのが良さそうだ。

また、作曲関係のゲームを自分で作ってみたいとも考えており、Pythonは機械学習以外にも、ゲーム開発にも活用できるとのことであるから、Pythonを学んでみようかと思う。CourseraなどのMOOCを活用すれば、無料で基礎的な事柄を学ぶことができる。Python以外にも、ゲームプログラミングができるUnityにも引き続き関心を持っておこう。

AIを活用する際には、何の目的でどのようにそれを活用したいのか、仮に作曲ゲームを作ろうと思うのであれば、どのようなゲームを作りたいのかに関する構想を練っていくことが先決になるかと思われる。プログラミングの学習範囲は広範囲に及ぶため、そうした目的がはっきりしていなければど壺にはまってしまうだろう。フローニンゲン:2020/4/18(土)19:25

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