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5321-5324:フローニンゲンからの便り 2019年12月10日(火)


本日生まれた10曲

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タイトル一覧

5321. 月夜のキャンバス〜一瞬一瞬という芸術作品

5322. プルースト的な回顧を通じて

5323. 今朝方の夢

5324. かかりつけの美容師のメルヴィンとの対話より

5321. 月夜のキャンバス〜一瞬一瞬という芸術作品

真っ暗な闇のキャンバスに白銀色に輝く満月が見える。満月の下には時折うっすらとした雲が散歩している。雲は満月に挨拶をするかのように満月の前を横切っていき、向かうべき場所にゆっくりと向かっている。

時刻は午前4時を迎えようとしているのだが、早朝にこのように満月を眺めることのできる幸せを感じる。ルドルフ·オットーの言葉を借りれば、ヌミノーゼ、つまり聖なるものを敬い、それに対して畏怖の心が生じている。

確か昨日の日記に書き留めていたように、ここでもまた黒の持つ偉大な力とその恩恵について考えさせられてしまう。宇宙空間という全き闇のおかげで、満月がこのように輝きを持つものとして認識することができる。

闇夜というキャンバスに描かれているのは満月だけではない。そこには、満月を眺めている自分の心の有り様もまた描き出されている。

黒の力のなんという偉大さ。今日の満月は、書斎の窓からではなく、食卓の窓の方から眺めることができる。

食卓の窓は書斎の窓と違い、正方形のものであり、サイズも少し小さい。その窓枠が額縁となり、窓を通じて、闇夜と月が織りなす幻想的な生きた絵画がそこにある。ゆっくりと行進するうっすらとした雲を含め、この生きた絵画は少しずつその表情を変える。見ていて全く飽きを感じさせない素晴らしい作品だ。

この世界で起こる一瞬一瞬は、それぞれ尊い芸術作品であったか。もうそうなってくると、一瞬一瞬は芸術に他ならないないのだと思われてくる。そうであれば、一瞬一瞬の総体としての人生を生きるというのは、芸術を生きることに他ならないのだと思う。

昨日に考えていた雑多なことを少しばかり思い出す。祈りと行為を分けてはならないのだという気づきがそういえばあった。祈りながら行為をなし、行為をなしながら祈る。祈りと行為は密接不可分な関係にあって、そのどちらか一方を通じて生きるのではなく、絶えず祈りながら行動し、絶えず行動しながら祈るという生き方をしていこう、というようなことを昨日考えていた。

作曲実践に関して言えば、12音技法に対して再度関心が高まっている。この技法の二つの最大の特徴である、表現の奥行きと簡潔さは、日本的感性と親和性があるかもしれない、という気づきが芽生えていた。

しばらくこの技法から離れていたが、毎日少しずつ実践を通じた探究をしていきたい。12個の音を選び出すことは、どこか12人の使徒を召喚する感じであり、12個の音を通じて、彼らと共にその瞬間の内的感覚の彫刻を彫っていく。

そうした彫刻作品を作るに際して、改めてリズムを学んでみたいと思った。特に、インドの音楽や日本の音楽に独特のリズムを調べてみようという考えが芽生え、いくつか参考文献になりそうなものを見つけた。それらの書籍についても近々購入するかもしれない。

それともう一つ、内側で音の形になることを待つものを統一的なものとしてまとめ上げていく一つの力として調性があるのであって、調性が絶対的に先に存在しているわけではない、という気づきも芽生えていた。つまり、調性というものは絶対的に従わなければならないものではなく、それは内的感覚や音楽的観念を一つの形にしていくための統一的な力、すなわち一つの手段に過ぎないのだ。

そこから発想を少し変えると、調性に代わる統一力を持つ手段を用いれば、内的感覚をまとまりのある音にしていくことが可能だということになるだろう。12音技法はまさにその一つの手段である。

ハーモニーはひょっとすると、また別種の統一力を持つと考えた方がいいかもしれず、この点についてはまた改めて考えたい。垂直的な統一力、水平的な統一力、さらに曲としての総体を作り上げていく統一力など、様々な統一力が考えられそうであり、それぞれの力を生み出しているものが何であり、それを生み出す手段について考えていこう。だがあくまでも、それらは音をまとめていく力に過ぎないのであるから、作曲において重要なことは、出発点として兎にも角にも角にも主題となる内側の感覚や音楽的観念があるかどうかなのだと思う。フローニンゲン:2019/12/10(火)04:14

5322. プルースト的な回顧を通じて

今朝の起床は午前3時であり、起床から気づけば1時間半が経った。14日間の断食を行った効果か、身体が生まれ変わり、そしてそれに応じて睡眠の質も変化したように思う。端的には、以前よりも良質な睡眠が取れるようになり、その時間も短縮されるということが自然と実現された。

毎日10時前には就寝するため、大体5時間ぐらい眠っている形になるだろう。今の自分にとってはそれくらいの睡眠が最適のようであり、午前3時あたりに起床することで、正午までの午前中に、創造的な活動に従事するための時間を多く確保できることはこの上ない喜びである。

目が覚めた瞬間に午前3時であると、もう嬉しくなってしまう。そこから創造活動に没頭できることを思うだけで、もうたまらなく嬉しくなってしまうのである。

こうした嬉しさは今朝も感じたのだが、今朝はそれとは別に、びっくりしてしまうことがあった。それは、今ここにこうしてあるということに対しての驚きだった。

瞑想的な意識の中でヨガをしている最中、東京で過ごしていた幼少時代のことが自ずと思い出され、あの時の自分が今ここでこのように生きているということに心底驚いてしまったのである。

時系列上、幼少時代のその時を一つの点とみなし、そこから現在をまた一つの点として人生を眺めてみたときに、それらの距離と歩みに対して、本当に驚嘆してしまったのである。人生はそのままで奇跡だと言われるが、本当にその通りである。

誰があの時の自分が今このような自分になっていると思うだろうか。自分自身も、東京で過ごしていたあの幼い子供が、今こうして北欧にほど近いオランダの街で生活をしている姿など想像していなかったはずなのだ。

人生は本当に、一つ一つの奇跡の集積なのだと思う。そして、人生という一つの総体もまた奇跡的な産物なのだろう。

過去に対するプルースト的な回顧が続く日々。私はひょっとすると、プルーストが『失われた時を求めて』で行っていたことを、全く違う形で同じく行っているのではないかと思わされた。それが日記の執筆であり、作曲なのだろう。それらは自分にとってプルースト的な営みであり、人生の一瞬一瞬という奇跡に対する返礼行為だったのだ。

過去の回顧を通じて自らを知り、自らを開いていくということなどは二の次であり、それらは単なる副産物だ。何よりも、感謝と祈りが先である。

人生の一瞬一瞬に対して、感謝の念を持ち、祈りを捧げられるかどうか。そしてそれをもとにして、自分の使命的な行為に没頭できるかどうか。私は感謝し、祈り、没頭しながら毎日を生きていく。フローニンゲン:2019/12/10(火)04:37

5323. 今朝方の夢

静けさの中に佇む自己。それを今感じている。

今朝はまだ夢についての振り返りをしていなかったので、それについて振り返り、その後に早速早朝の作曲実践に入っていきたいと思う。夢の中で私は、周りには何もない線路の上にいた。厳密には、乗っていた列車が突如姿を消し、線路の上に投げ出される格好になった。「投げ出される」と言っても、列車から外に放り出されたわけではなく、気がつけば体が線路の上にあったのである。

線路の周りは広々とした荒野で覆われていた。自分の近くに視線を向けると、そこには同じく列車から放り出された人たちがたくさんいた。その中に、小中学校時代の友人(MS)がいた。彼は、私が東京から山口に引っ越した際に、山口弁を教えてくれた大切な友人である。

中学校を卒業して以来、彼に会うことはなかったので、彼の姿をみたときは嬉しくなり、彼に声を掛けた。すると、一刻も早くここから立ち去る必要性を彼は説いた。その理由は定かではないが、単純に次の列車が来るから危ないというものではないことだけはわかった。

「一刻も早く」と述べていながら、列車を放り出された私たちは、線路上に落ちている物を拾う必要があった。その大半はゴミなのだが、中にはゴミではない物も混じっていた。私はその中で、書籍を拾い集めることにした。

とは言え、あまり大量の書籍を持つことができず、さらには急いでその作業に取り掛かる必要があったから、私は一冊を手にしたところですぐに線路から離れた。線路から離れ、荒野の方に向かって行く際に、その友人の方を見ると、彼は小麦を拾っていた。何やらそれを拾って食糧にするとのことであった。

彼が拾ったものを見て、こうした状況において何を拾うかは、その人が大切にしている価値観や考え方が反映されるのだと思った。言い換えると、そこに生き方や人生そのものを見て取ったのである。そこで夢の場面が変わった。

次の夢の場面では、ジュンク堂が舞台となっていた。厳密には、ジュンク堂大阪本店がその舞台となっており、私はジュンク堂のあるフロアにいた。

そこで何の書籍を探していたのかはわからない。いや、むしろ私は書籍を探していたというよりも、人を探していたようにすら思える。ここでもまた、私は誰を探していたのかは不明である。

フロアを歩いていると、そこに小中学校時代の友人(TS)がいた。彼は野球部に所属しており、彼は野球部の友人と一緒に書店を訪れていたそうなのだが、彼らとはぐれてしまったようだった。その点において、彼もまた誰かを探す身であった。

私は彼とその場で少し立ち話をした後、自分が探すべき人を探すために再び歩き始めた。すると、あるコーナーの棚に差し掛かった時、何人かの人たちが、まるでこれから二人三脚でもするかのように、お互いの足を紐のようなもので結んでいる姿が目に入った。

「いったい彼らは何をしているのだろうか?」そのようなことを思いながら彼らの方を見ていると、ゾロゾロと多くの人たちが彼らのところに集まってきて、彼らもまたお互いの足を紐で結びつけて、大きな列を作ろうとしていた。

その列の先頭に偶然ながら、先ほどの友人とは異なる友人がいて、彼に話を聞いてみると、「こうすればお互いにはぐれることはない」ということを述べていた。さらに彼は続けて、「こうやって人と人とが足を結びつけていれば、安心感があるんだよ」と述べていた。

確かに、お互いの足が紐で括られた彼らの表情を見ていると、その安心感からか笑顔が見られた。しかし、しばらくすると、お互いに読みたい本が異なるため、棚の移動が困難であり、不協和がそこに生まれ始めた。「足の引っ張り合いというのは、こういうことを言うのだろか」と私は思った。

そうした光景を見た後に、私はエスカレーターの方に行き、下の階に降りることにした。するとそこはもう1階であり、結局探していた人が見つからなかったので、私は店を後にしようとした。

すると、向こうから友人がやってきて、私に声を掛けてきた。そこで立ち話をし始めてすぐに、その場所がジュンク堂の大阪本店ではなく、丸善丸の内店だということに気づいたのである。その気づきが芽生えた時、なぜか私は両親の顔を思い浮かべた。そのような夢を今朝方見ていた。

書店の場所が思っていた場所と違うことに気づいた瞬間に、両親の顔を思い浮かべたのがなぜなのかはよくわからない。ある気づきが別の気づきを呼び込むという連鎖がそこにあった。それは一見すると飛躍しているのだが、同時に何かしらの関係がそこにあるのだと思う。

夢をメモした紙を眺めてみると、「両親とジュンク堂に行った思い出?」と書かれていたが、2人とジュンク堂に行ったことはないように思われる。

上記で書き出された夢を改めて眺めてみると、書籍を探すというのは、人を探すことなのかもしれないと思わされた。そこから私は、書籍との出会いは、まさしく人との出会いなのだということに気付かされた。

また、書籍の中でお互いの足を紐で結びつけている人についても改めて振り返ると、確かにそうした形で一種のつながりが生まれ、それに対して安心感を覚えるというのはよくわかる。だが、彼らが読みたい本が各々異なっており、各人が行きたい場所があることからわかるように、そうしたつながりは単なる拘束でしかなく、逆に生きづらさを生んでいるのだと思わされた。

夢の舞台が日本だったからか、外国人はそこにいなかった。仮に欧米人があのような形でお互いの足を紐で結ばれたら、あのような安心感が滲み出す表情を浮かべていたとは思われない。最初から不自由さと嫌悪の感覚があるのではないかと思われる。

夢の中の私が感じていたように、やはりそこには、1人の人間としてこの世界に立つという自律的精神が弱く、お互いに足の引っ張り合いをする日本人の原型的イメージが投影されていたように思われる。フローニンゲン:2019/12/10(火)05:11

5324. かかりつけの美容師のメルヴィンとの対話より

時刻は午後8時を迎えようとしている。つい先ほど小雨が突然降ったが、今はもう雨が止んでいる。

先ほどの小雨を除けば、今日は本当に天気に恵まれた。朝から太陽の優しい光が地上に降り注いでおり、天日干しにしていた椎茸も喜んでいるかのようであった。太陽の光の恵みを存分に受けた椎茸を先ほどの夕食でいただき、私もその恩恵を十分に授かった。

今日は午後3時から、かかりつけの美容師のメルヴィンの店に行き、髪の毛を切ってもらった。店に到着すると、まだ前の客の対応をしている最中であり、いつものようにメルヴィンは、私にコーヒーを勧めてくれ、いつものようにダブルエスプレッソをもらった。しばらくそれを飲みながらリラックスしていると、私の番となり、今日も1時間の間ずっと対話を楽しんでいた。

メルヴィンとの対話はいつも新鮮であり、毎回多くの気づきや発見を得させてもらっている。今日もたくさんそうした気づきや発見があり、店から帰る最中もそれらのことを反芻しながら、自分なりの考えを育んでいた。メルヴィンは、やはり活動する思想家であり、思想する活動家なのだということを改めて思った。

本日の会話の中で、メルヴィンから来週の月曜日にユトレヒトのボルダリングジムに一緒に行こうと誘われたのだが、あいにくその日は協働プロジェクト関係の仕事が入っており、残念ながら断らざるを得なかった。だが、ちょうど私が年明けのミラノ旅行から帰ってきて、メルヴィンも冬の休暇を終えた後頃に、メルヴィンの家で夕食を共にしながらゆっくりと話すことになった。メルヴィンと私にはいくつか共通した実践があり、今回はそのうちの一つの実践を共に行ってみようということになった。

彼のパートナーのスシは近々会社を辞めて独立しようと考えているらしく、今準備を進めている最中とのことであり、年明けのその日に一緒に過ごすことは難しそうだが、メルヴィンの弟を呼んで、3人で色々と話をしようということになった。メルヴィンの家に行くのは1月末か2月初旬ともう少し先のことだが、今からその日が楽しみである。

メルヴィンとの会話の中で、オランダの企業社会の様子や教育の話になった。メルヴィンのパートナーのスシは、現在銀行で働いており、そこで様々な種類の、そして様々な質のコミュケーション上の問題を目の当たりにし、そうしたコミュニケーションの問題に対して、まさにインテグラル理論的な観点で取り組もうとしている。彼女のアイデアについてメルヴィンから話を伺っていると、とても共感する内容であった。

メルヴィンの話を聞いていると、対人、対物、対社会、対自然に関するコミュニケーションの問題の本質は、日本とオランダでさほど変わりはないのだなと改めて思った次第である。しばらくオランダの企業社会の問題について、特にコミュニケーションの問題について話し合い、そこからオランダの教育に話が移った。

一昨年あたりから、シュタイナー教育とシュタイナーの思想及び種々の領域における実践活動について探究をしており、シュタイナー教育を含め、オランダに馴染みの深い幾つかの教育手法についてメルヴィンに話を聞いた。メルヴィン自身はドルトンスクールに通っていたそうであり、まずはその教育手法について話を聞き、そこからモンテッソーリ教育、イエナプラン教育、そしてシュタイナー教育について意見交換をした。

そうした形で話をしていると、あっという間に1時間が経った。お互いの間で沈黙の時間はなく、絶えずどちらかが話をし、どちらかが問いを投げかけるという形で時間が過ぎていくのは今日も同じであった。

帰り際、そういえばメルヴィンとスシが交際を始めてから4周年の記念日が近々あるということを思い出し——社会的な慣習ではなく、お互いの意思を尊重する形で交際のあり方を考えていくオランダ人のカップルらしく、結婚をしない形で今後も一緒に生活をしていくそうだ——、何か贈り物を送ろうかと思った。2人はコーヒーが好きだから、今度街の中心部にあるお茶·コーヒー専門店で、オーガニックのコーヒー豆でもプレゼントしようかと思う。フローニンゲン:2019/12/10(火)20:09

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