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5059-5061:フローニンゲンからの便り 2019年10月19日(土)


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タイトル一覧

5059. 闇の深さと味わい深さ

5060. 優しい居住空間と食育:船舶での旅に思いを馳せて

5061. 今朝方の二つの夢

5059. 闇の深さと味わい深さ

闇の深さと味わい深さよ。そんなことを早朝の4時半に思う。

オランダに戻ってきてからの二日目が静かに産声を上げた。人生のある一日が産声を上げたのだが、辺りはとことんまで静寂である。

絶対的な無音世界が外に広がっていて、どこか宇宙空間に放り出されたかのような感覚になる。私はこうした環境を望んでいるのだから、それを有り難く思わなければならない。

それにいずれにせよ、もうしばらくしたら人々が活動を始め、外の世界に音という彩りがもたらされるのだから。あるいは、こうした無音世界にさえ色が存在するとみなせば、その色を是非とも知覚しよう。

日本に一時帰国して変化したことの一つは、こうした無音世界をより楽しめるようになったことかと思う。これまでの私は、起床してオイルプリングやヨガを行い、書斎に到着するや否や、ピアノ曲をパソコンからかけていた。

しかし、日本に一時帰国中にそれをするのをやめてみたところ、朝の静寂さを味わうことの方がより自分を落ち着かせてくれることに気づいたのである。また日中も、できるだけ音楽をかけないようにし始めたことも大きな変化の一つである。

これまでは本当に、一日に15時間ほどクラシック音楽をかけっぱなしにして、音に包まれているような生活を送っていた。これからは食生活上の断食や情報の断食のみならず、音の断食も行っていこうかと思う。それによって、音に対する自分の感覚が今よりも鋭敏なものとなり、音に対する感性が磨かれていくのではないかと思う。

昨日、浴槽に浸かっている時や夕食を食べている時にピアノ曲を聞くことをやめてみると、浴槽に浸かることや食べることそのものが瞑想実践に変わったように思った。意識的に音楽を断ち、無の状態に近い形で浴槽に浸かってみると、脳のみならず、心身がより深い休息状態に入っていった。

また食事に関しても、夕食の際に音楽をかけずに、食卓の窓からぼんやりと外を眺めてみると、それそのものが瞑想実践のようであり、さらには深い休息がもたらされていることに気づいた。

昨夜の夕食時には、時折目をつぶってみることをしてみた。すると、視覚優位な状態から、味覚と嗅覚が優位な状態になり、食べ物の味やそれを受け取る自分の心に変化が生じたように思ったのである。

今日もまた、ただ食べることだけに集中することや、ただ浴槽に浸かることだけを大切にしたい。

今書斎の窓から見える闇は深く、それでいて圧倒的な静けさを持っている。実家に滞在していた時には、闇の世界の向こうから平穏な瀬戸内海の波の音が聞こえていたが、今は何も聞こえてこない。

擬似的な宇宙空間のようなこの環境の中で、今日も静寂さを味わいながら自らの取り組みを進めていこうと思う。フローニンゲン:2019/10/19(土)04:42

5060. 優しい居住空間と食育:船舶での旅に思いを馳せて

時刻は午前5時を迎えようとしているが、相変わらず辺りは闇と静寂さに包まれている。この時間帯に活動している人間は、自分だけなのではないかという錯覚が起きてしまいそうな静かさがある。

先ほど小麦若葉ドリンクを飲み終えそうになった時、ヘルシンキからアムステルダムに向かう機内の中で読んだ機内誌の記事について思い出した。そこでは、尖った部分のない木でできた優しい居住空間を持つ家が特集されていた。

居住空間の中に角張った部分がないというのは大変面白く、居住空間がどのような形を持っているかによって、それは私たちの心身に必ずや何かしらの影響を及ぼす。よく、「あの人は刺々(とげとげ)しい」や「あの人は丸くて穏やかである」という言葉を聞くように、形と私たちの心や身体は密接なつながりがあるのだろう。

今後生活する家の居住空間の形について思いを馳せ、今の家の形に意識を向けている。現在住んでいる家も、幸いにもそれほど尖った部分はないのだが、そうした箇所に丸みを持たせるような何かしらの工夫をしてみると良いかもしれない。

それともう一つ別の特集記事についても思い出していた。それは何かというと、親が子供に食べ物の選び方と食べ方を見せることの大切さを紹介している記事だった。

特集されている人物はフィンランド人であり、両親共に食に対する意識が高く、どのような食べ物が私たちの心身の健康にとって良いのか、またそうした食べ物をどのように食べるのが理想なのかについて子供たちに教えていくことは、親の大切な役割の一つであると述べていた。

まさに親から子供に対してなされる食育は極めて重要である。その記事を読みながら、今後は食に関する教育格差もより顕在化していくのではないかと考えていた。今もすでにそれは現れ始めている。

親が子供に食育を施そうにも、親が食に関するリテラシーを持っていないのであれば、そうした食育は実現されない。機内誌を眺めながら、親と子供に対する食育について何か自分にできることはないかと考えていた。その領域で自分がしたいことは何かないかとぼんやりと考えていた。

やはり日本からオランダに戻ってくる際には、それほど疲れもなく、時差ボケの調整に苦労することもない。地球をどちら側に移動するかによって、このような違いが生まれることは興味深い。

日本からオランダに戻ってくることがそれほど大変ではなかったとはいえ、やはり長距離移動には負担がつきものである。正直なところ、日本に一時帰国するには随分と体力がいる。

自宅から空港への時間と距離を短くすること、5時間を越すようなフライトはできるだけビジネスクラスに乗ること、目的の空港に到着したら、そこからまた長い移動をするのではなく、空港近くのホテルに一泊すること、そうしたことを今後は徹底させていく必要があるかもしれない。

端的には、以前から薄々気づいていたが、日本に一時帰国するのは命を縮めたり、下手をすると死を招く可能性すらあると改めて考えていた。事実、私の敬愛するイスラエル人のある画家の方は、85歳ぐらいの時に日本に足を運び、日本から戻ってきた時に病気を患ってしまい、その後お亡くなりになられてしまった。

人間は元々空を長時間飛ぶように作られた生き物ではなく、長時間のフライトで無理をしてしまうと、免疫力などが下がり、病気を患ってしまうリスクが上がり、それが最悪命を落としてしまうことにもつながりかねないのだろう。

そこでふと、釣り好きの父が先日述べていたことを思い出した。父は近々二級小型船舶操縦士免許を取得し、今後は一級小型船舶操縦士免許を取得しようと考えているようだった。この免許については、実は小さい頃からよく話を聞いていたのだが、今回の一時帰国の時にも話題に挙がっていたため、とりわけ印象強く記憶に残っている。

二級小型船舶操縦士免許は、岸から5海里(9260メートル)まで航行が可能なのだが、それは内洋に限られる。だが、一級小型船舶免許は遠洋区域の外洋まで航行が可能であり——二級の免許がいらず、いきなり一級を取得することも可能であり、試験がそれほど難しくないとのことである——、この免許を持って小型船を取得すれば、飛行機に乗らずしてゆっくりと旅をすることができるのではないかと改めて思った。

このアイデアは以前からあり、先月か先々月にふとフローニンゲンにある船の販売会社の前で立ち止まり、ガラス窓に貼られた船の広告を眺めていた際にも似たようなことを考えていた。

ゆとりを日々の生活の中だけではなく、こうした移動においても実現させたい。海賊が出没しそうな海域や荒れやすい海域を避けながら、いつか日本に船で戻ることを夢見ている自分がいる。フローニンゲン:2019/10/19(土)05:26

5061. 今朝方の二つの夢

昨夜ふと感じたが、フローニンゲンの気温はやはり寒くなっており、暖房をつけ始めるのも時間の問題だと思った。何より、就寝する際には湯たんぽがそろそろ必要かと思った。

先日大阪でセミナーを行った際に、有り難いことに、知人の方からシルクの腹巻をプレゼントしてもらい、それが活躍し始めるのもあと少しだと思う。暖房に関してはなるべく使わないように粘ってみるつもりであり、少なくともサマータイムが終了する今月末までは使わないようにしよう。

一方で、湯たんぽや腹巻は今日から使い始めてもいいぐらいだ。それぐらいに朝晩のフローニンゲンは冷えている。

それでは、今朝方の夢を振り返り、そこから早朝の作曲実践に入っていきたい。夢の中で私は、大学の段差のある教室にいて、数学の授業を受けていた。

そこは間違いなく大学であり、本来であれば大学数学を学んでいるはずなのだが、なぜだか教授は東大の入試問題を解説していた。しかもその女性教授は日本語が話せないようであり、英語で入試問題の解説を行なっていた。

しばらくすると、突然私は指名され、ベン図を活用した問題をその場で解かされることになった。文字通りその場で解答することが要求され、その問題は私にとって初見であった。

指名された時には少し驚いたが、それほど動揺することもなく、問題を一瞥し、ゆっくりとその題意を把握していけば必ず解けるだろうと思っていた。ところが実際に黒板の前に立って問題を解き始めてみると、意外と難しいことに気づいた。

三つの集合のうち、何がどれだけ重なっているのかがいまいちわからず、それを掴むのに時間がかかった。そのため、時間稼ぎとして、私は大きな声で英語で独り言を述べ始め、自らに解説をするかのように問題を解こうとした。

教授はそんな私を静かに見守っていた一方で、クラスに参加している他の生徒たちは私の英語が流暢であることに驚いているようだった。そこで1度目を覚まし、トイレに行ってから再び寝室に戻ると、今度は別の夢の世界の中に入っていった。

夢の中で私は、大学時代の友人と大学の校内で遭遇した。彼は経済学部に所属しており、何やら大学院に進学することが決まったようだった。

私が祝いの言葉を述べた時、いつの間にか彼がもう30歳を超えていることに気づいたのである。学部を28歳ぐらいの時に卒業し、その後空白の期間があって、30歳を過ぎて母校の修士課程に入学したようだった。

学生支援課の建物の一階で話をしていると、彼と付き合っている女性がやってきた。彼女もまた同じ大学に通っており、彼女が彼に述べた一言が印象的だった。

彼女:「大学院合格おめでとう。これで結婚ができるね」

:「ありがとう。これで無事に結婚だね」

:「えっ、どういうこと?」

彼女:「うちのお父さんは本当に厳しくて、婿は名門大学の大学院を卒業しているか、ユーチューバーのどちらかじゃないとダメだって言うのよ。『どんなに有名な会社でも、一般企業に就職するようなヤツには娘は渡せん』なんて言ってるのよ。面白いでしょう?」

:「それは面白いね。でもお父さんが言わんとしていることはよくわかる気がする」

そんなやり取りがあった後、学生支援課の建物を出ると、そこには午後の穏やかな太陽の光が降り注ぐ平穏な世界があった。フローニンゲン:2019/10/19(土)05:53

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