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3781. 充実感との一体化としての死:夢の続き


気がつけば、午前八時に近づいており、夜が白々と明けていることに気づいた。今日は昨日とは異なり、一日中雨となるようだ。実際に今この瞬間も、すでに小雨が降っており、窓に小さな雨滴が付着している。

よくわからないが、今日も自分の人生のある一日が始まった。そして、よくわからないが、今日もまたそれは充実した一日になるだろうという予感がする。

本当に奇妙なほどに、この充実感が一歩一歩意志を持って歩いているかのように感じられる。しかもそれは、深まりに向かって歩いている。

さらには、充実感そのものが、人生の最後の日に向かって歩いていることにも気づく。死への関心の高まりは、日々の充実感の高まりとどうやら関係がありそうだ。

死というのはもしかすると、究極的な充実感との一体化であり、究極的な充実感の中に溶け出していくことなのかもしれない。あるいは、究極的な充実感の中に溶け出すことによって、充実感の根源に還っていくことが、死という現象なのかもしれない。

いずれにせよ、全ての人間と同様に、私がそこに向かっていることは確かだ。万民に共通し、人間存在の根底に横たわる死に関する探究に乗り出していく日が近づいているように思う。

たった今、一日分のコーヒーが出来上がった。実は今朝方は、先ほど書き留めていた以外にも夢を見ていたので、それらについても書き留めておく。

夢の中で私は、学校の体育館のような場所で、ダンスの練習をしていた。ダンスの練習をした後に、体育館の中でフットサルの練習を始めたのだが、どうも私はそれらを全て一人で行っていたようだ。

しばらく一人で練習をしていると、二人の友人が体育館に姿を見せた。私は彼らを誘い、一緒に練習をしようと呼びかけた。

すると彼らは、自分たちは練習をしに来たのではなく、私のマッサージをするために来たのだと言う。私は彼らの発言に一瞬戸惑ったが、マッサージをしてもらえるのは有り難いと思い、その場でマッサージをしてもらうことにした。

彼らはヨガマットのようなものを持参しており、それを体育館のフロアに広げて、私をその上に寝かせた。そこから背中や足を中心にマッサージをしてもらった。

マッサージの最中、自分の身体が解きほぐされていくような感覚があり、とても心地よかった。一つ私が申し訳なく思っていたのは、その時の私はダンスを行い、さらにはフットサルの練習をした後だったので、シャワーで汗を流してからマッサージをしてもらえば良かったと思った。

だが、彼らは特に何も気にしていないようだったので、その点については私もそれ以上考えることをやめ、マッサージの心地よさの中に再び入っていった。そこで夢の場面が変わり、私は一台のバスの中にいた。

学校の修学旅行の一環として、そのバスに乗ってどこかに向かっているようだった。バスの中には、いろいろな人がいたが、自分よりも後ろの席に座っている人たちがどのような人だったかは思い出すことができない。

私は一番前の右の列の窓際に座っており、それは運転手席の後ろだった。このバスが右ハンドルだということを考えると、そして何より、窓から見える景色から、そこは日本だとわかった。

バスの後ろの方の席は空いているはずなのだが、なぜか運転手席の横に二人の男女が立っていた。二人とも私の知り合いではなく、女性の方は寡黙そうな白人だった。

ふとしたきっかけで、私は席を立ち、二人に話しかけてみた。日本人の男性の方は比較的よく喋るが、やはり女性の方は静かなままだった。

ただし、私が何か問いかけをすると、少し笑顔を見せて、的確な答えを返していた。そのようなやり取りを二人としていると、後ろから、一人の日本人女性が声をかけてきた。

後ろには席があるはずだったのだが、どうやら空いている席がないとのことであった。そこで私は再び自分の席に戻り、その隣が空いているので、そこを彼女に勧めた。

彼女は座ることを諦めていたようであったから、嬉しそうに私にお礼を述べた。そこで夢から覚めた。フローニンゲン:2019/2/6(水)08:08

No.1652: An Outpouring Taste of Winter

Any season has an intrinsic taste.

Let’s enjoy the taste of winter at the maximum. Groningen, 15:44, Thursday, 2/7/2019

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