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3681. 社会に規定された人生を送る人:今朝方の夢の続き


時刻は午前七時に近づきつつある。つい先ほど、一日分のコーヒーを作り始めた。

コーヒーメーカーが働いている音を聞きながら、窓の外をぼんやりと眺めている。どうやら、小雨が降り出したようだ。

この時間帯はまだ真っ暗だが、小雨が降っている様子はわかる。窓ガラスに少しずつ雨滴が付着していく。

今日もまた、探究活動と創造活動に励む一日になるだろう。今日は協働プロジェクト関係の仕事もないため、一日中自分が従事したいと思う活動だけに取り組むことができる。

ここ数日間に引き続き、読書に関しては、12音技法に関する書籍、辻邦生先生の日記、そしてゴッホの手紙を読み進めていきたい。午前中は特に、辻先生の日記とゴッホの手紙を読み進めていこうと思っている。

それに並行して、作曲実践を行っていく。今日は昼食前に、12音技法を活用した短い曲をまた一曲作ってみようと思う。

その際には、書籍に掲載されている音列を活用し、さらには、掲載されている譜例を参考にしていく。とにかく実践を通じて新たな学びを絶えず得ていくようにする。

昨夜はふと、「多くの人はあまりに天才である。自分の限界を自ら作ることに関して」という言葉がふと脳裏に浮かんだ。

人は思い込みをする生き物なのだが、なぜ多くの人は、自分に限界を設けるような思い込みをしがちなのかについて考えていた。新たなことを学ぶことや新たな実践を始めることに対して、人はあまりにも腰が重いのは、どこか自らが勝手に作った限界に縛られているからなのではないかと思う。

また、往々にして、こうした限界は社会がこしらえたものであるから、多くの人は結局、社会が自分の限界を決めることを許してしまっていると言えるだろう。社会的にプログラミングされた人生を送ることに対して、何も疑問を抱かないというのはどういうことなのだろうか?自らの人生が社会によって規定されていることに何の疑いも持たない多くの人たちについて、昨夜は改めて考えを巡らせていた。

昨夜の自分について思い出していると、一日分のコーヒーが出来上がったようだ。これからゆっくりと、今日一日の活動を始めていこう。

今朝は目覚めの瞬間から、心身の調子が非常に良いことがわかった。確かに、今日も曇りがちな一日であり、雨も降るような日であるが、自分のライフワークに存分に取り組めることを思うと、自然と気持ちが明るくなる。

そういえば、先ほど書き留めていた今朝方の夢意外にも、まだ別の夢の場面があったことを思い出す。覚えているのはごくわずかだが、それも書き留めておきたい。

夢の中で私は、宿泊していた旅館の地下にいた。旅館の下には暗く、小さな通路が張り巡らされており、時々地下室のような広い場所に行き着くような構造になっていた。

私と友人の何人かは、その狭い通路を一人一人がほふく前進しながら進み、時々行き着く広い場所で何かを探しているようだった。どうやら、私たちはお宝を探していたようだった。

縦横無尽に張り巡らされた通路をしばらくウロウロしていると、黄金色に輝く地下室に行き着いた。見るからにして、そこにはお宝が眠っているような雰囲気があった。

友人と私は、そこに辿り着いたことをとても喜んだ。すると、後ろから誰か人の気配がした。

どうやら、一人の見知らぬ男が私たちの後をつけており、私たちが見つけた宝を奪おうとしているらしいことがわかった。男が後ろから迫っていることに気づいた私は、その部屋の天井に飾られていたシャンデリアに備え付けられていた押しボタンを押した。

すると、その部屋の形がみるみるうちに変形していき、そこで夢から覚めた。フローニンゲン:2019/1/15(火)07:13

No.1576: A Morning Doze

It sounds as if I had a calm morning doze.

Our life should be always relaxing. Groningen, 09:27, Wednesday, 1/16/2019

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