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3678. 固有の時空間の12音技法


時刻は午後四時半を過ぎ、五時に向かっている。辺りはうっすらと暗くなっており、夕日を眺めることはできず、空は寒々とした様子だ。

今日も気がつけばこの時間帯を迎えており、午前中に協働者の方とのオンラインミーティングを行った以外は、全て自分の探究活動と創造活動に従事していた。

日記の編集も毎日着実に進んでいる。ようやく、昨年の今頃に執筆した日記を最近編集し始めている。

過去の日記を改めて読みながら思うのは、最終的には自分に救いをもたらすのは自分が書いた日記なのだということだった。自分が日々を懸命に生きていたことが今を生きることの支えになる。そのようなことを思わずにはいられない。

過去の日記を読みながら、昨年の自分と今の自分を比べると、確かに両者の間に変化を認めることができる。こうした変化に気付けるのは、何よりも日記を書いてきたからであろうし、そもそも、そうした変化が起きたのは、日記を絶えず綴っていたからだと思う。

明日もまた、過去の日記を編集する中で、当時の自分がら学びを得、それと同時に、当時の自分と今の自分の間にある差異に気付くであろう。

この日記を書き始めてわずか数分しか経っていないのだが、その間にも辺りの暗さは増した。今日もまた、冷たく暗い闇夜がやってくる。

すでに師走は過ぎたが、人生は常に師走のような形で過ぎていくのかもしれない、ということを先ほど思っていた。それを象徴するように、今日の時間もあっという間に過ぎていった。

風のように早い日々の時間の流れ。あるいは、光ほどに早い時間の流れを実感する。このようにして冬が終わり、春がやってくるのだろう。

今日はこれから夕食までの時間を使って、12音技法に関する専門書の続きを読み進めていきたい。昨日も考えていたが、12音技法というのは、やはり特殊な音楽空間を持っているようであり、そうであるならば、特殊な音楽時間をそこに表現できるだろう。

12音技法でしか表現し得ないような時空間を掴んでいきたいと思う。ここでも大事になってくるのは、やはり時空間という現象なのだ。

それに関する哲学書を今後も継続的に読み進めていき、時空間に関する自分なりの考えと感覚を養っていく。それが実現されるようになってきて初めて、自分の曲の中に、固有の時空間の概念が滲み出していくだろう。

昨夜、12音技法が用いられた曲を聴いている時に、そこで表現されている時空間が、やはり調性のある音楽の時空間とは異なるものであることに気づいた。無調の曲は、どうやら時空間を変質させる力を持っているようだ。

逆に言えば、調性のある曲は、独自の方法で時空間を変質させていると捉えることもできる。いずれにせよ、仮に私たちが普段調性のある曲に慣らされているのであれば、それは調性のある曲に固有の時空間に慣らされていることを意味する。

ようやく、12音技法で作られた曲の中に、いくつか美しいと思えるものが見つかり始めている。これは自分にとって大きな前進である。

その美の出処に着目し、それを育てていく必要がある。また、実験的に12音技法の曲を少しずつ作っていくことによって、未だ開けられることのない時空間の感覚を開いていきたいと思う。フローニンゲン:2019/1/14(月)16:57

No.1574: A Misty Rain at Dusk

I’m looking at a misty rain at dusk.

The more I look at it, the subtler my sense becomes. Groningen, 16:37, Tuesday, 1/15/2019

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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