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3616. 懸命に生きてきたこと


2019年最初の日が終わりに近づいている。今日も本当に普段と全く変わらない過ごし方をした一日だった。

一切特別なことはしておらず、逆に、特別なことをしない日々が毎日特別に思える。そんな感覚を持ちながら毎日を生きている。

昨夜は年越しの花火が派手に打ち上げられていたが、今夜はもう落ち着いている。とはいえ、先ほどまでは時折誰かが花火を上げていた。今夜は静かに眠りの世界の中に落ちていくことができるだろう。

夕方、窓際に近寄って外を眺めていたところ、向こう側の窓ガラスに一匹のアブが付着していることに気づいた。こちら側の窓ガラスをノックしてみても、びくともしない。

そのため、私はそのアブの体をじっくりと観察することにした。眺めれば眺めるほど、一匹のアブがとても愛らしい存在に思えてきた。

進化の過程において、このような生命が誕生したことが本当に奇跡のように思える。そして、自分のような人類が生まれたということには本当に驚く。

アブの手先には白い吸盤のようなものがあって、それが窓にピタリとひっつく秘訣のようだった。

先ほど、本日最後の作曲実践を終えた。曲を作っている最中に、なぜだから文章の執筆に関することを考えている自分がいた。

自分が大切だと思ったこと、重要だと思ったこと、面白いと思ったことは、全て文章として書き残しておく。文章の形になろうとしたものは残さず全て言葉として書き残しておく。

そうしなければ、新たなものは何も見い出せず、新たなものは何も開かれてこない。もうそれを知ってしまっている自分がいることについて思いを馳せていた。

この一年のみならず、欧州で過ごすこの三年の間、自分はどんな時にも、どんな場所でも文章を書いてきた。いついかなる時も、自分とこの世界の双方に向き合って文章を書いてきたこと。それが自分を根底から支えるものになっている。

この三年間において、この世界に対して何か意味のあることを自分はしたのだろうか。答えは否だろう。そのようなことは一切していない。

ただ、一人の人間として懸命に生きてきたという事実だけがそこにある。私たちはそれ以外に何かをなす必要があるのだろうか。

それ以外のことは、小さな自己から生まれた偽善的なものに過ぎないのではないだろうか。一つの生を懸命に生きることは、それだけで尊い何かをを含んでいるのではないだろうか。

自分にできることは本当に少ない。日々をただ懸命に生きること。その証として日記を書き、作曲をすること。自分にできるのはそれだけのように思えてくる。

明日もこの一年も、これからの人生も、この世界のいかなる場所でいかなる状況に置かれていたとしても、私は日記を絶えず書き、絶えず曲を作って毎日を懸命に生きて行く。フローニンゲン:2019/1/1(火)21:29

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