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3595. 年の終わりに向かって


時刻は午後七時半を過ぎ、今日も一日が終わりに向かっている。今日も探究活動と創造活動に打ち込む一日だった。

芸術教育哲学に関する探究、作曲理論の探究、日記の執筆と作曲実践、そして日本企業との協働プロジェクトなど、日々の取り組みは非常にシンプルだが、それらが着実に進行していく様子を眺めることができる。

今日は午後四時あたりに、行きつけのチーズ屋に足を運んだ。その時間帯でも辺りはすでに薄暗く、また、肌寒かった。

寒さもあったため、スポーツウェアを着て、ランニングがてら走ってチーズ屋に向かった。その道中、これまで気がつかなかったが、いつも通っている道沿いに一軒の家があり、部屋の様子が外から見えた。

その一室は四方が本棚に囲まれており、本棚の中には学術書がびっしりと並べられていた。それを見て、その家の住人は、もしかしたら在野の研究者なのかもしれないと思った。

その家の住人の姿は見えなかったが、そう思った時、どことなく共感の念が湧いてきた。

チーズ屋に到着すると、いつものようにナッツ類とチーズを購入した。ここ最近は店主の女性のみならず、一人の若い女性も店で働いている姿をよく見かけていた。

今日もその若い女性がいた。目当てのものを購入し、店を後にしようとした時に、二人から「良いお年を」と声をかけてもらった。

それに対して、私も同じ言葉を二人にかけた。対面で「良いお年を」と述べるのは、二人に対してが最初で最後だと思う。

チーズ屋からの帰り道、どこかで爆竹が鳴る音がした。実は数日前からこうした音が聞こえており、先ほどは花火の音がした。これはオランダの年越しの祝い方なのだろうか。

昨夜は近所の家の中から爆竹が聞こえたように思え、何かの爆発かと思ってしまった。それぐらいに強烈な音であり、心臓に悪いように思えた。

こうした光景は、静かなフローニンゲンには珍しい。一昨年や昨年の年末にはこうしたことはなかったように思う。

いやそういえば、過去二年の年末は日本に帰っていたから、厳密にはオランダの年越しの様子はわからない。今年は初めてオランダで年末年始を迎えることになったため、オランダ国民がどのように年越しと新年を祝うのかを観察してみたいと思う。

今日はこれからモーツァルトに範を求めて作曲実践を行う。継続的な模倣と模倣からの絶え間ない学びを続けていく。

過去の偉大な作曲家に範を求める際には、常に自分なりの一工夫を加え、それが自分の作曲語法の確立につながっていくようにする。作曲実践が早めに終わったら、そのまま音楽理論の学習を行う。

音楽についてより真剣に学びたいという思いが日増しに強くなる。引き続き音楽理論を学んでいき、日々ほんの少しでいいから新たな分析の観点を得て、それを作曲実践の中に活かしていくようにする。

いつも自分に言い聞かせているが、作曲に関しては実践が最も大事であり、それに劣らず理論を学習することが重要だ。実践を意識した理論の学習は、音楽的な感性を涵養し、作曲の幅と深さを広げてくれる。

今夜もそれを念頭に置いて作曲実践と理論の学習を行いたい。フローニンゲン:2018/12/28(金)19:56

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