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2958. 自らの役割


時刻が午後の三時半を回った時、突然雷が鳴り始めた。最初の雷の音が聞こえてきてからしばらくすると、突然雨が降り始めた。

天気予報の通り、今日は雨となった。この雨はこれから長い時間降り続けるようだ。

改めてもう一度天気予報を確認すると、今降り始めた雨は就寝時まで降り続けるようだ。また、明日の最高気温は20度、最低気温は11度と極めて低いことがわかった。明日と明後日は低い気温であるため、体調には気をつけようと思う。

今日はこれからGREの数学セクションの模擬試験の問題を解く。これは完全に気晴らしである。

日々の生活の中で、日記、作曲、デッサン、読書など、複数の実践領域に従事していると、実践を変えるたびに良い意味で気分が変わる。毎日多くのことに自然と従事することができているのはおそらく、複数の実践領域を持ち、それらの領域を行き来しているからかもしれない。

辺りに白い閃光が走った。近くに雷が落ちたようだ。雨脚がどんどん強くなっている。もう暫く雨の勢いは衰えることはないだろう。

早朝にぼんやりと考えていたのだが、現代人の多くは自分が何者であるか、この人生において何をなすかということを問うことなしに生きているのではないだろうか。そうした問いから目を背ける何かが存在しているにちがいない。

人々はそうした問いと向き合う代わりに、金銭を獲得するためだけの労働に勤しんでいる。果たして私たちの人生はそうしたことに時間を費やすために存在しているのだろうか。

現代社会は、時間的・金銭的な意味での搾取が横行しているだけではなく、この社会は私たちの人生にとって大切な問いすらも搾取している。そうした状況に人々が気づかないのはなぜなのだろうか。

自分の時間が搾取され、大した金銭も得られぬ望まない労働に従事し、人生にとっての大切な問いと向き合う機会が奪われていることに無関心でいられるのはどうしてなのだろうか。こうした無関心は形を変えて現代社会の隅々に蔓延っている。

無関心であるという状況を生み出す要因は複数のものが考えられるが、無関心そのものが身体的・感覚的なものであることを考えると、人々は自らの人生にとって何が大切なのかを捉える感覚が鈍化してしまっているのかもしれない。

こうした感覚の喪失に対して芸術教育や霊性教育に何がなしうるのかを考えていく。それら二つの教育の中に現代社会に蔓延する種々の問題の解決に向けた洞察が隠れているように思う。そうした前提のもとに、今私は芸術教育と霊性教育の探究に乗り出している。

来週の頭には昨日注文したシュタイナー教育の書籍が届くだろう。シュタイナー教育における芸術性と霊性に関する教育思想と実践を学び、それを現代を生きる子どもたちのみならず、成人の発達に関連付けていく試みを始めたい。

これまで学んできたこととこれから学ぶことがどんどん繋がっていく。私の役割はおそらくこれなのだろう。

芸術教育と霊性教育。ここに自らの役割を見出だし、それが自らのライフワークと密接に繋がっていることに気づき始めた。フローニンゲン:2018/8/9(木)16:02 

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