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2951. 「絶え間ない自己教育」について


シュタイナーが述べていた「絶え間ない自己教育」という言葉について引き続き考えている。雨脚が強くなり、少しばかり開けている書斎の窓から、雨の降る音が鮮明に聞こえて来る。

もうしばらく雨は降り続け、午前中に一旦止むようだ。ここ最近の日記でも言及していたが、私は日々自らにシュタイナー教育を施しているかのように思える。

シュタイナー教育は高校の過程まででプログラムは終わりだが、実は成人期以降にも継続してシュタイナー教育の真髄を自己に与えて続けていくことが大切なのではないかと思う。シュタイナー教育の思想と実践を突き詰めていけば、そこには解放があり、真の自由があるように思えてくる。

シュタイナー自身が執筆した書籍については以前に何冊か購入し、それらを読み進めてきたが、シュタイナー教育に関する一般的な書籍をまだ一冊も読んでいないことに昨夜気付いた。早速調べてみると、いくつかの興味深い書籍を発見した。

それらの書籍については今日中に購入をしておきたいと思う。シュタイナー教育への関心が日増しに強まり、この教育システムにおける芸術教育と霊性教育はどのような思想のもとに、どのように行われているのかということに関心がある。

シュタイナー教育の教育思想と教育実践の具体的な内容を掴むことができるような書籍に出会ったため、九月以降はそれらの書籍を丹念に読むことに多くの時間を充てたいと思う。

絶え間ない自己教育について。今私は、自らに芸術教育と霊性教育、そして投資教育を施している。

霊性教育に関して言えば、これまで意識せずともそれを自分に施していたようだ。とりわけ、ジョン・エフ・ケネディ大学の大学院に留学して以降から、自己に対する霊性教育を積極的に行うようになったと思う。

芸術教育については、本当に欧州に来てから、しかも欧州での一年目の生活の後半にその重要性に気付かされた。確かに、これまでも芸術を愛でる心を持っていたことは幸運であったが、本格的に芸術を探究し、自らが創造活動に従事するとは思ってもいなかったことである。

そして最後に挙げた投資教育であるが、これは広く金融教育を指す。実は大学時代に最も関心があった領域は会計及び金融であり、大学で過ごした四年間で履修した授業の多くは会計と金融で占められていた。

当時はそれらの領域を学術的に学ぶことが求められていたが、今はむしろ実践を通じて学ぶことを行っている。しかも領域は投資に絞り、実践を通じた学びを深めている。

精神的な次元をないがしろにする人は、心が困窮した状態で人生を過ごす。一方、物質的な次元をないがしろにする人は、物質的に困窮した状態で人生を過ごす。

これまでどちらかに該当する人たちを嫌ほど見てきた。そのたびに、なぜ双方の次元を大切にしないのだろかと疑問に思い続けていた。

結局そこには、包括的な教育の欠如、つまり芸術・霊性・投資教育を人は受けていないことが問題として挙げられるように思う。少なくともそれら三つの教育を自己に施し続けてみようと思う。その結果、自らの人生がどのようなものになっていくのかは今後明らかになっていくだろう。

おそらく、それら三つの教育は人生を通じて緩やかに進められていくものであるが、投資教育を自己に施す割合は徐々に減っていき、最終的には芸術教育と霊性教育が残るであろう。物質的な次元での豊かさはあるところで天井を迎え、精神的な豊かさは無限に深くなっていくものだろう。そこに量的な世界と質的な世界の究極的な違いがある。フローニンゲン:2018/8/8(水)07:03 

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