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2687. 迫るワールドカップの開幕


午後に大学の図書館に足を運び、街の中心部に向かっている最中に、ふと一軒の古書店を見つけた。この二年間お世話になっているテオさんの店以外にも古書店が近くにあるとは知らなかった。

オランダでは月曜日に閉まっている店が多く、この古書店も今日は閉まっていた。ちょうど今週の金曜日にこの古書店の近くの教会で行われるオルガンコンサートに参加する予定なので、その時にこの古書店を一度覗いてみようと思う。

「哲学関連の書籍や芸術関連の書籍を取り揃えている」という張り紙が店のガラス窓に貼られていた。どのような古書が置かれているのか今から少しばかり楽しみだ。

昨日Lutherse教会のアンサンブルコンサートに参加した際に、演奏者たちが長年に渡って積み重ねてきたものの尊さと価値について考えていた。彼らが今このような演奏ができるのは、本当に長大な時間をかけて鍛錬をしてきたからなのだ、ということに私はひどく感動していた。

この瞬間の演奏だけを見ていてはもしかするとそれらを見逃してしまいだろう。この瞬間になされている演奏は、彼らが様々なものを捧げながら演奏技術の修練に打ち込んだ賜物なのである。

私はその瞬間に奏でられる音に感動するだけではなく、演奏者一人一人の独自の物語とこれまでの長大な歩みの全てを垣間見ているような感覚に陥っていた。とにかく私も自らの表現活動の技術を高める鍛錬を続けていきたい。

それは兎にも角にも自らが用いる日本語と英語の彫琢を行い、日記を通じた表現手法と作曲技術の向上を図っていく必要がある。日々の生活はそれらの修練のためにある。そうした修練の過程そのものが日々の充実感と幸福感に直結しているのだ。

昨日参加したコンサートの演奏者たちについて思いを馳せていると、いよいよ四年に一度のワールドカップの開幕が迫ってきていることに気づいた。ここでも同様のことが言える。

一つ一つの試合で見せる選手一人一人の各プレーは、その選手の四年間の歩み、いやこれまでの人生の歩みが凝縮されている。日本代表の初戦と第三戦はフローニンゲンの自宅で観戦し、第二戦はロンドンのホテルで観戦する。

振り返ってみると、四年前のワールドカップの時はロサンゼルスで生活をしていた。あれから四年が過ぎたのだということを改めて思う。

結果がどうであれ、少なくとも日本代表の三試合は全て観戦したいと思う。代表選手の一人一人が長大な時間をかけて積み上げてきたもの、捧げてきたもの。一つのプレーの背景にあるそれらを感じながら、選手のプレーを見届けたいと思う。フローニンゲン:2018/6/11(月)18:20 

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