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2573. 内的感覚のデッサンとプラトン全集


今朝は起床直後に内的感覚をデッサンし、そこからプラトン全集の素読に入った。まずデッサンに関しては、日々の日記と同様に、毎日描き出されるシンボルが異なることが興味深い。

形も色も固有のものであり、毎日が本当に新ただということをここからも実感する。毎朝、起床直後の内的感覚を絵として表現してみると、それはことごとく異なるのだ。

朝だけではなく、いついかなる時に絵を描いたとしても、それは異なるだろう。ヘラクレイトスが述べていたように、本当に同じ川を二度と渡ることはできないのだということを知る。

今このようにして書き留めている日記についても同様だ。二度と同じ日記を書くことはないであろうし、それは不可能だろう。

本当に自分という人間存在が絶え間ない変化の流れの中にいることに気づく。いやそもそも以前にも指摘したように、自己という存在は流れの中にいるというよりも、流れそのものなのだろう。

早朝に読み始めたプラトン全集に関しても、いつも得ることがある。それは小さな気づきや発見として現れる。

プラトン全集に関しては何かを得ようと思って読み始めたわけではなく、内側からの促しがあったためにそれを読み始めたにすぎなかった。だが、実際に読み始めてみると、小さな気づきや発見が静かに自分の内側に流れ込んでくるかのようだ。

おそらくこうした現象をもたらしてくれたのが内側からの促しに他ならない。大きな気づきや発見ではなく、小さな気づきや発見を見出し、それを育んでいくこと。プラトン全集はそれを私が行うことを促している。

ここ最近再び意識の形而上学に関心を示し、美学の探究を本格的に始めたことを述べた。それは内的な要求がやってきたから開始したにすぎない。

そして、そうした内的要求がどれほど自分を変化させてくれるだろうか。内的要求に従って、ある特定領域の探究に没頭することによって初めて見えてくる自己の側面と世界の側面がある。

両者に関する新たな側面が見えてくれば見えてくるほどに、まずは自己が深まっていき、そこからこの世界への新たな関与が始まる。関与の種類も質も以前とは異ったものになるだろう。

内側の要求に従った探究活動にはそのような意義と役割がある。意識の形而上学については、これまで敢えて光を当てていなかった思想家に注目をしていく。

彼らの思想から汲み取れるだけのものを汲み取る。また、これまで親しんできた思想家にもう一度立ち返ることも行いたい。

書斎の中にある過去に読んだ書籍や論文を引っ張り出し、現在の自分の眼で彼らの思想を捉え直したいと思う。この数年の間に自己が深まっていたのであれば、きっとそこで汲み取れるものも以前とは異なっているはずだ。

美学に関しては、ここから本格的に探究を始める。自分の内側にかなりの熱気が漂っていることに気づく。昨日、行きつけの古書店に立ち寄った時、店主から「とても情熱的だ。探究にかける熱意が伝わって来る」という言葉をいただいた。

まさしく、美学に関しては何としてでも理解を深めていきたい。美に関して考えてみたい事柄と考えを深めてみたい事柄が無数にある。

美に対する関心は、とりわけ欧州での生活を始めて以降に強くなった。美学について深く学びたいがゆえに、美学を学べる専門課程を探したりもした。

今のところ大学院に所属する形で美学を探究するのではなく、一人でその探究を旺盛に進めていくことにした。自ら探究していくという熱意が店主に伝わったのかもしれない。

そのおかげもあってか、有り難いことに、昨日店主のテオさんは割引価格で16冊の古書を私に譲ってくれた。その厚意に応える唯一の方法は、譲っていただいた古書を何度も繰り返し読み、美学に関する思想体系を自らの内側に構築し、それを通じてこの世界を深く生きることにあるだろう。フローニンゲン:2018/5/17(木)07:11

No.1022: Sparkle and Sentimentality

Today is also cloudy in Groningen. Even so, I’ll continue my daily practice. Groningen, 13:32, Sunday, 6/17/2018

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