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2570. 光の波と色彩の変化


相変わらず今日も早朝からバッハを聴き続けている。バッハの音楽と深く共鳴する自分がいることは疑いようのないことである。

では、バッハの音楽の一体何に自分は共鳴しているのだろうか?という問いに対する明確な答えは今のところない。想起される回答はどれも自分の表面をなぞるようなものばかりであり、自分の肚に落ちてくるような回答は今のところ何一つとしてない。

今日は昨日よりも風がある。少しばかり強いそよ風が吹いていると言っていいだろう。

今改めて書斎の窓から街路樹を眺めてみたところ、鮮やかな黄緑色をした葉っぱが街路樹から誕生していることに驚かされた。ほんの少し前はまだつぼみの状態であり、ようやく少し緑がかった葉っぱが見えていたぐらいだったのだが、今はこのように、太陽の黄色い光の通り道であるかのような鮮やかな葉の色を生み出している。

家の手前の道からさらに一本奥に入った道には、また別の種類の木が植えられている。その木に生い茂っているのはより深い緑色の葉っぱであり、ところどころに薄桃色の花が咲いている。

その背後に赤レンガの家々が立ち並んでいる。こうした景色を眺めるのは本当に飽きがこない。それどこか、こうした景色を眺めれば眺めるだけ、この景色が持つ美の深さに気付き、その美的世界の奥へ奥へと自分が向かっていくのがわかる。

風に揺れる木々の葉を眺めていると、バッハの音楽が光の波のように知覚されてくる。この光の波に揺られながら、午後からの仕事に取り掛かりたい。

今朝方、喜びの感覚は連続的な流れを持っていながらも、非連続的な飛躍を経験するということに気づいた。喜びという一つの感覚の流れの中にいながらも、その喜びの濃淡に気付き、喜びの質が深まったように感じるのは、まさにその瞬間に非連続的な現象がそこで起こっているからに違いない。

また、ここ最近自分の中の喜びを表す色が変化していることにも気づく。ちょうど今朝、起床してすぐに内的感覚をデッサンとして形にした。

そこで現れた形も興味深いことには違いないが、その形を現した色を眺めていると、幾つかの種類を持っていた。以前は、自分の中で喜びを表す主な色はオレンジと黄緑であったが、今朝描いたデッサンを眺めてみると、濃い青が含まれつつあることに気づく。

喜びという感情の質的変化は、このように色に如実に現れてくることを観察した。突如として深い青色が加わったことは、非線形的な飛躍が自分の内側で起こったからだろう。

内的感覚を色の伴う形として表現し、それを観察することによって、自己に対する新たな仮説が次々と芽生えてくる。そして、そうした仮説を検証する場がまさに日々の実践活動に他ならない。フローニンゲン:2018/5/16(水)12:21

No.1019: Time To Bloom

Though it is a little bit chilly now, it will be sunny all day.

I’ll visit the Martini church at the center of Groningen to participate in a lunch concert for a pipe organ.

I’ll be able to see many full-blown flowers on the way to the church. Groningen, 08:46, Friday, 6/15/2018

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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