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2523. ある日曜日の朝に


今朝方、とても感動的な夢を見ていたことを思い出す。起床直後には、その感動の余韻がとりわけ強く残っていた。

今も確かに感動の粒子が自己の内側に残っているのがわかるが、その夢がどのような内容であったかは忘れてしまっている。一方で、その夢の続きであれば記憶に新しい。

夢の中で私は、小綺麗なホテルのダイニングルームにいた。ちょうど朝食を摂る時間であり、私は幾つかの食べ物を取りに席を立った。

どうやらここはフランスであることがわかった。というのも、フランスのリヨンの街にあるサッカーチームの選手たちがそこにいたからである。

彼らがフランス国内の他の場所で試合を行うためにここにいるのか、それともこの場所はリヨンであるかのどちらかだと判断した。偶然にも、私の友人が二人ほどその中にいた。

私は、目の前に並べられたパンを眺めながら、彼らにクロワッサンを届けようと思った。二人に挨拶をし、クロワッサンを渡したところ、彼らはとても喜んでいた。

どうやらこれから試合があるらしく、試合前の最後の食事をここで摂っているとのことだ。今日の試合はリヨンのホームグラウンドで行われるらしく、私は幸運にも二人に試合に招待をしてもらった。

朝食を摂り終えるか否かのところで、辺りが突然グランドになった。すでにホームのリヨンサポーターがゴール裏に陣取り、大きなチームフラッグを振っている。

試合が始まる前から、すごい熱気である。同時に、その熱気にはどこか品があったのは面白い。

私は、監督や選手が座るベンチで試合を観戦する機会に恵まれた。試合が始まるまで、ピッチ沿いの芝の上を歩きながら、スタジアム全体の雰囲気を感じていた。試合が始まるか否かのところで夢の場面が変わった。

今朝方の夢に関して記憶に残っているのはそれぐらいだ。その前に見た夢がとても感動的だったのだが、その夢について何も思い出すことができない。

感動的だったことだけが明白な夢。対象の形は見えないのだが、対象がもたらす感動だけがそこにあるというのはとても不思議だ。

人はもしかすると、対象が明確に見えなくても、何らかの固有の感情を持ちうるのかもしれない。見えないものを知覚し、そこからある感情を引き出しうるという力には驚かされる。

それをあえて神秘的と表現しなかったのは、きっとここにも何かしらのメカニズムが存在しているからだ。日々、神秘的だと思って疑わない事柄を脱神秘化することに向かって尽力し、それでも神秘として残り続けるものを発見しようとする自分に気づく。今日も真の神秘に向かっていく日になるだろう。

赤レンガの家々に照らされる朝日の存在感が増してきた。目の前に立ち並ぶ赤レンガの大半が朝日に照らされるようになった。

また新たな一日が静かに始まりを告げている。今日もまた、完全に新しく、完全に充実した日であることを予感させてくれる、そんな日曜日の朝だ。フローニンゲン:2018/5/6(日)06:37

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