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2453. フローニンゲンでの安息


フローニンゲンに戻ってきてからの最初の朝を迎えた。旅が終わり、心身を深く休息させるためか、今日は昨日よりも一時間ほど長く眠っていた。

六時半過ぎに目を覚ました時、小鳥の鳴き声が辺りにこだましていた。小鳥の鳴き声を聞いた時、フローニンゲンに戻ってきたのだという確かな感覚と安心感があった。

小鳥たちのこの鳴き声を聞く時、自分の街はここであり、本当の安らぎがここにあることを知る。それほどまでにフローニンゲンは私にとって大切な場所になったのだ。

起床直後、寝室の窓から朝焼けが見えた。そこには静かな美しさがあった。ブダペストの聖イシュトヴァーン大聖堂で聴いたパイプオルガンの音色のような美とはまた違う美がこの朝焼けにはある。

パイプオルガンの音の大伽藍とは対照的な静かな美。静かに深く染み渡ってくる美が、早朝のフローニンゲンの空に顕現している。

時刻は七時を迎えた。わずか八日間ほどフローニンゲンを離れていただけなのに、随分と長くこの場所にいなかったような感じがする。自分の内側の時間感覚がますます変容しているのが分かる。

一日が一週間ほどの長さを持つような感覚、それぐらいに密度の濃い時間が自分の内側に流れている。本当に数ヶ月ほどフローニンゲンを離れていたかのような感じがする。

わずか八日間ほどフローニンゲンを離れて戻ってくると、随分と景色が変わっていることに気づかされた。特に、書斎の窓から見える景色は様変わりしている。

確かに、すぐ目の前に見える街路樹はまだ裸なのだが、そこにはつぼみが付いているのが見える。また、赤レンガの家の前の街路樹は、青々とした立派な葉を茂らしている。

今この瞬間、朝の爽やかなそよ風に、それらの葉の一枚一枚が軽やかなダンスを踊っている。こうした景色を眺めていると、本当に自分の芯から心が休まっていく。

いや、心だけではなく、魂さえもが深く休まっていくのが分かる。今このようにしてフローニンゲンに戻ってこられて本当に幸せだ。

いつも旅をして思うのは、旅から帰ってきた時にフローニンゲンという街がいかに自分の存在をくつろがせてくれるかということである。もしかすると私は、フローニンゲンの大切さを確認しに旅に出かけているのではないかと思うほどである。

書斎の窓を開けると、春の朝の爽やかな空気が部屋の中に入ってきた。そして、小鳥たちの鳴き声がさらにはっきりと聞こえて来る。

今日から早朝のこの時間帯には音楽をかけないことにした。その代わりに、自然の音に耳を傾けたいと思う。それは過去の偉大な作曲家が産み出した音楽と同じほどの美しさがある。

無音世界の中に時折聞こえて来る小鳥の鳴き声や、そこにあるであろう音が聞こえてきそうな風の動き。それらの音を聞きながら、今私はぼんやりと常に変化する景色を書斎の窓から眺めている。

この静かで美しい景色があれば、欧州での三年目の生活もなんとかやっていけるだろし、この景色の励ましを受けながら自分の仕事を前に進めていけるだろうと確認している。今日からまたこの街での新たな日々が始まる。フローニンゲン:2018/4/22(日)07:23 

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