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2447. 【中欧旅行記】ドナウ川沿いにたたずむハンガリー国立美術館を訪れて


ブダペスト滞在の最終日も素晴らしい天気に恵まれた。もう長袖では暑いぐらいであり、実際に街中には半袖の人で溢れかえっていた。25度を越す気温となり、ブダペストの街は初夏の様相を呈していた。

ふとフローニンゲンの天気を確認したところ、今日はなんと29度を記録しており、異常な暑さとなっている。フローニンゲンは夏でも20度前後の気温であるため、この時期に30度近くまで気温が上がったのは異常だと言える。

明日はいよいよフローニンゲンに戻るが、明日の最高気温は17度であり、月曜日からは再び15度を下回る天気になるようだ。幸いにも今回の中欧旅行では一回も折り畳み傘を開くことがなかった。旅行中の私はいつも以上に天気に恵まれるという運を持っているようだ。

今日はドナウ川を超えたところにあるハンガリー国立美術館に足を運んだ。ここはハンガリーを代表する美術館ともあって、外観が立派なだけではなく、所蔵作品も実に豊富だった。

思わず足を止め、その場で見入ってしまう作品がいくつもあった。だが、昨夜のオルガンコンサートの体験があまりにも強烈であったため、絵画的な刺激を今日はあまり受け付けなかったように思う。

もちろん絵画が表現する美は固有の価値を持っており、それは素晴らしいと思うのだが、私はやはり音楽が表現する美の方を好む傾向にあるようだ。不思議なもので、私は学術研究をする際には常に視覚に訴えるものを好み、日々書籍や論文の文字を大量に読むことを行っている。

一方で、その対極を志向する力が内側に働いているためか、芸術に関しては視覚よりも聴覚などの他の感覚を用いて接することを好むようだ。そのようなことを考えてみると、日々私は異なる領域において異なる感覚を活性化させながら自分のライフワークに取り組んでいることが分かる。

今この瞬間に、ハンガリー国立美術館で鑑賞した作品については細かく書き留めない。本日自分の内側に大きな刺激を与えたいくつかの作品については、いつか様々な観点から直接的・観察的に言及することになるだろう。

美術館を後にした私は、美術館が面しているドナウ川をぼんやりと眺めていた。お世辞にも綺麗とは言えない川なのだが、実に雄大な流れを持った川であり、向こう岸に見える街の中心部とのコントラストには思わず見入ってしまうものがあった。

ドナウ川を眺めていると、昨日の朝に見舞われた実存的な抑鬱状態が完全に溶解していくかのようであった。あの重々しく、「実存的重荷」と形容してもいいほどの感覚はもはや完全に自分の内側からなくなっている。

今自分の内側にあるのは、ドナウ川の上に広がる大空のような広大な空間であり、同時に、昨夜の聖イシュトヴァーン大聖堂でのオルガンコンサートがもたらした光だ。

内側に広がるこの広大な感覚と内面の光さえあれば、明日からまたフローニンゲンで充実した日々を送ることができるだろうと確信している。ブダペストを訪れることができて本当に幸運だった。ブダペスト:2018/4/20(金)15:40 

No.983:Former Lugubriousness

I was thinking back that I had lugubriousness before, and it is still flowing inside of myself as underground water.

The groundwater seems to be connected to collective sorrow. Groningen, 08:17, Saturday, 5/12/2018

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