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2437. 【中欧旅行記】聖イシュトヴァーン大聖堂でのパイプオルガンコンサートとの出会いと幼少時代の記憶


ブダペストに到着した初日のことを少しばかりまた思い出していた。空港から街の中心部に向かう景色は、どこか表現しにくいものがあったということを昨日書き留めていた。

中央ヨーロッパ独特の文化がこの国に堆積しており、それは私にとってやはりまだ未知な存在なのだろう。ホテルに到着し、ガラステーブルの上に置かれていた観光雑誌を何気なく手に取った。

部屋に入った瞬間に、その雑誌に目が止まり、荷物を置いてひと休憩したらそれを読もうと思っていた。雑誌の中身に目を通すと、そこに「教会オルガンコンサート」の広告があった。

以前実家に帰省した際に、「ヨーロッパには雰囲気の良い教会がたくさんあるから、そこでパイプオルガンのコンサートを聴いてみたら」と母から勧められたことを思い出した。私はその広告を見た瞬間に、「ぜひこの教会でパイプオルガンを聴こう」と迷わず決心した。

ウェブサイトを確認してみると、何やらこのパイプオルガンコンサートは、ブダペストで最も美しい教会の一つである聖イシュトヴァーン大聖堂で行われることが分かった。「新古典様式」という建築様式がどのようなものなのかは定かではないが、歴史のある教会でパイプオルガンの演奏をぜひとも聴いてみたいという思いが駆け抜けた。

私はこの機会を逃してはならないと思い、間髪入れずにコンサートのチケットを購入した。このコンサートに参加するのは明日であり、あと一日あるのだが、今から期待に胸が膨らむ。

私はこれまで一度も教会で本格的なパイプオルガンの音色を聴いたことがない。クラシック音楽の本場の欧州でこうした機会に恵まれたことに感謝をしなければならない。

このコンサートに参加することは当初の計画にはなく、本当に昨日に決めたことだ。その背景には母の言葉があり、母からの言葉がなければ、教会でパイプオルガンを聴くことなど一生なかったかもしれない。このコンサートについてはまた明日日記を書き留めておきたい。

旅行中の日記はどうしても散発的なものになりがちだということに気づく。もしかするとそれは普段からそうであるのかもしれないが、特にまとまりや関連のないことを立て続けに書き留める自分がいる。

旅によって内側の何かが刺激され、外に噴出してくる思考や感覚が無数に立ち現れてくる。昨日、宿泊先のホテルの近くにある大きな公園に立ち寄った。

そこでサッカーやバスケをしている子供たちの様子を眺めていたことを日記に書き留めていたように思う。そういえば幼少時代は、確かにそれらのスポーツを行うことも大好きだったのだが、それ以上に、ノートの上で擬似的にそれらのスポーツを行うことも好きだったことを思い出した。

よく授業中に、ノートの上にサッカーコートやバスケットコートの模式図を書き、黒い点で表現された選手を模式図上で動かすことがとても好きだった。これは小中高を通じて、授業中に暇さえあれば行っていたように思う。

今から振り返ってみると、それは今の科学研究に相通じるものがあると思った。端的に言えば、それはモデル思考の現れであり、私は幼少時代からそうした発想の仕方を好んでいたことにはたと気づかされたのである。

「抽象的な記号を操作することを好むのは、幼少期からの思考特性だったのだ」ということに気づかせたくれたのは、ブダペストの公園でスポーツに興じる子供たちの姿だった。

旅には自分自身の何か大切なものを思い出させてくれる力が秘められているのかもしれない。新たな気づきというのはもしかすると、自分の奥深くにすでに存在しているものの目覚めだとみなすことができるかもしれない。

夕方の公園を吹き抜ける風はとても爽快だった。ブダペスト:2018/4/18(水)07:23  

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