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2372. 雷の落ちる夜に


夕食後、就寝前に向けての最後の仕事に取り掛ろうとすると、突然雷が鳴り始めた。そして、先ほどからパラパラと降り始めていた雨の勢いが増した。

午後に大学のキャンパスにミーティングに出かけた時は雨が降っていなかったため、今このようにして雨を眺めているのが不思議に思う。とりあえず外出中に雨に見舞われることのなかった幸運には感謝をしなければならない。

大学のキャンパスから自宅に帰る前に、街の中心にあるスポーツショップに立ち寄り、水泳用のウェアとゴーグルとキャップの一式を購入した。サンフランシスコとロサンゼルスに住んでいた頃、居住先に共有プールが備え付けられていたため、時折泳ぐことがあった。

それ以降は泳ぐ機会がめっきり減り、もはや水泳をすることはないだろうと思って、ちょうど寿命を迎えた以前のウェアを処分してしまっていた。今日改めて一式を揃えたため、今後は旅先のホテルにプールがついていれば、そこでリフレッシュを兼ねて泳ぎたいと思う。

残念ながら今の居住先には共有プールが備え付けられていないので、今の生活拠点で泳ぐことはなさそうだ。今後米国か別の国で生活をするようになれば、できるだけ室内プールがついているような居住地を選びたい。そうすればより気軽に普段から泳ぐことができるだろう。

スポーツショップからの帰り道、ツショル教授と一緒に取り組んでいる今の研究のみならず、今後取り掛かる予定の新たな研究について考えを巡らせていた。それは以前の日記で書き留めたように、作曲技術の発達プロセスを調査する研究だ。

この研究を遂行していくにあたって、ぜひとも実際の作曲教育に貢献するような内容にしたいと思っている。これは自分自身が作曲の実践者であるがゆえに、自分自身の作曲技術を向上させたいという思いがあり、また、これまで作曲に馴染みのない人が作曲実践を始めた際の有益な指針を作りたいという思いもある。

発達プロセスを明らかにしようとする研究は、対象領域の発達過程を支援するための具体的な実践方法や関与の仕方を提言することによって、その意義と価値がより増すように思う。とりわけ作曲というものが具体的な実践領域であるがゆえに、実践に資することのない研究を行ってもほとんど意味はなく、それは研究者の単なる自己満足に過ぎないだろう。

もちろん、そうした研究でも当該領域の科学的な発展には寄与するのだろうが、実践者でもある自分にとって、そうした研究を行う魅力はほとんどない。これは作曲に限らず、今後自分が行う研究は、実践に資するようなインプリケーションを必ず含んだものにしたい。

そのためには、実践と結びついた筋の良い仮説とリサーチクエスチョンが必要になる。科学的な研究を行う際には、兎にも角にも仮説とリサーチクエスチョンが鍵を握る。

仮説とリサーチクエスチョンが研究の内容とアプローチを決定することからも、その重要性は強調してもしすぎることはないだろう。作曲技術の発達プロセスを調査する当該研究の細かな内容については、また明日にでも書き留めておこうと思う。フローニンゲン:2018/4/4(水)20:00   

No.947: Purification and Perspicacity from Music Composition

Composing music pacifies my mind and make it perspicacious. I owe my continuous work to the practice of music composition. Budapest, 17:06, Friday, 4/20/2018

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