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2058. 創造行為の社会性


夕食を摂り終え、これから一日が終わりに向かっていく。今日はアーネスト・ベッカーの書籍と時系列データ分析の書籍を読み進めた。

両者は全く異なる学問分野の書籍だが、今の私の日常は絶えずこのように全く異なる分野の専門書と論文を読み進めることで形作られていく。それは学術的な探究のみならず、実践領域においてもそうである。

日本企業との協働プロジェクトを進める傍らに科学研究を行い、その合間合間に作曲実践や日記の執筆を行っている。今日は日曜日ということもあり、二曲ほど新しい曲を作ることができた。

以前の日記で書き留めたように、少なくとも向こう三年間は、過去の作曲家の作品に範を求めながら曲を作っていく。今日もそのような実践を行っていた。

大変興味深いのだが、他の作曲家の作品に範を求めていると、彼らのモチーフに驚かされるだけでなく、彼らが生み出したモチーフを元に生み出した自分自身のモチーフに驚かされることがある。

自分が生み出したモチーフに驚かされるというのもおかしな話かもしれないが、作曲にはそのような要素がある。つまり、自分の意図を超えて内的現象がある形を持って外側に表出されることがあるのだ。

そうした光景を見るたびに、私は生み出された産物に対して感嘆の声を上げる。

これは今まで繰り返し述べていることだが、他の作曲家に範を求めながら曲を作ることは、いつも大きな刺激と学びにつながる。自分の発想の枠組みにないようなアイデアが常にそこに具現化されている。

今は本当に多数の作曲家に範を求めており、これを数年間ほど継続させていけば、一人一人の作曲家の思想や個性がより明確に体感として捉えることができるだろうし、彼らの作曲技術を自由自在に応用させながら自分の曲を作っていくことが可能になるだろうと期待している。

そのようなことを考えてみると、創造行為というのは、常に他者の創造行為の上にあることに気づく。他者の作品に触発され、啓蒙される形で自らの創造行為がある。

他者の創造行為を媒介母体にして自らの創造行為があるのであれば、創造というのはつくづく社会的な営みに他ならないことがわかる。とにかく過去の作品を土台にして、絶え間なく新たなものを生み出し続けていこうと思う。

創造行為が内在的に秘めている社会性を理解し、実際に創造行為に従事し続けることが創造能力を高めることの最善の方法だろう。フローニンゲン:2018/2/18(日)19:48   

No.777: The Fifth Day for the Internship

Today is the fifth day for the internship at RUG.

I finished formatting the half of the data sets last Monday. Although it took more time than I expected, it is almost done.

I’ll continue to work on it from now; there remains the data for only two weeks of the investigated MOOC.

Probably, I can complete it before 15:00. Then, I’ll write some programming codes for data analysis. Groningen, 13:17, Monday, 2/19/2018

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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