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2020. 身体を通じた学習


今日は昼食を摂り終え、午後一番のミーティングに向けて準備をする前に、生ゴミを自宅近くのゴミ捨て場に持って行った。その時にちょうど、私宛に届けられている郵便物を発見した

バルトークの『ミクロコスモス』の楽譜がイギリスから届いた。自宅に戻り、ミーティングまであまり時間がなかったが、届けられた楽譜の中身をパラパラと眺めていた。

すると、ミクロコスモスの作品一つ一つは小さなものでありながらも、小さいものの中に宿る固有の光を感じた。作曲実践の観点からすると、こうした小さな作品と丁寧に向き合うことは、作曲技術に関して着実な進歩をもたらすのではないかと思った。

小作品であるがゆえに、一つ一つの作品の細かな点にまで着目し、それが作曲上の新たな発想と技術的進歩を促すように思えてくる。これから少しずつ、バルトークの『ミクロコスモス』にも範を求めるようにしたい。

バルトークがまさに自身の中で音楽小宇宙を築き上げたのと同様に、いつか自分の内側にも小さな音楽宇宙を創り上げることができればと思う。

ここ最近の作曲実践を振り返ってみると、作曲理論の書籍を読む時間が減っていたように思う。何か隙間時間や、どこかに出かけた時の待ち時間に作曲理論のテキストを読むことはあっても、自宅の書斎でじっくりと腰を据えて作曲理論のテキストに目を通す時間はここ最近あまりない。

当然ながら理論は重要なのだが、そうした状況を生み出していた背景には、実践から学ぶことの方が遥かに多いということを身を持って体感していたことが挙げられるだろう。私の音楽理論に関する知識が少ないことにも原因があるだろうが、作曲家が執筆したテキストの字面だけを読んでいても、何かを理解したという感覚が得られることは乏しい。

やはり実際の楽譜を自分なりに分析し、そこから一つ一つ新しい視点を学び、それを自分の曲の中で試すということが何よりも大きな学びになっているように思える。今後は作曲理論を学ぶことに関して、もう少し工夫が必要になると思われる。

作曲というのは本当に概念的に理解をすることは難しく、実際に手を動かすことが極めて重要であり、手を動かした結果として生み出されたものを音として自分の耳で聞くこともまたさらに重要である。

学術探究の際には音を司る感覚をそれほど活用することはないため、この辺りにも作曲実践がもたらす感覚拡張という別の意義があるかもしれない。

いずれにせよ、今後作曲理論のテキストを活用する際には、将棋やチェスの打ち手を実際に盤上に再現して学んでいくのと同じように、テキストに記載されている具体例を作曲ソフトに自ら打ち込み、それを再現していくことで作曲の感性を磨いていく必要があるだろう。

どのような学習においても、身体感覚をいかに伴わせて学びを進めていくかは重要であるが、作曲実践においてはとりわけそれが重要だろう。とにかく概念的な理解に留めず、むしろ作曲というものを概念的な理解に留めることは不可能であるということを念頭に置きながら、身体を通じた学習を心がけていく必要がある。フローニンゲン:2018/2/8(木)20:01 

No.739: Doubt toward Arts

Although the possibility is quite miserable, is it possible to heal our society by arts?

I’ve had some themes that I want to express as music.

For instance, “pathological modern society,” “chaotic capitalistic world,” and so on.

Yet, I’m still uncertain of how much arts encapsulate transformative power for our society…Groningen, Afternoon, Saturday, 2/10/2018

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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