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1808. ゴッホだったのかもしれない


昨夜、一日の仕事を終えた後、少しばかりゴッホの画集を眺めていた。実際には、画集に掲載されている作品を全て眺め、気になる作品の解説文を丁寧に読んでいた。

タッシェン社から発行された本書は、作品の解説文のみならず、写真の質も高く素晴らしいと思う。クレラー・ミュラー美術館で売られれている他の画集を全て確認してみたが、この日本語訳のものが今の自分には一番ふさわしいように思えた。

もう一つの候補として購入を迷っていたのは、クレラー・ミュラー美術館が発行している600ページに近い分厚い解説書だった。美術館に訪れる前に、どのような解説書が売られているのかを事前に確認した時に、英訳の本書を発見し、これを購入しようと思っていた。

実際に実物を手にとって中身を確認してみると、私が好むように、大量の文字が掲載されていた。しかし、写真のサイズが少々小さく、結局本書を購入することを断念した。

昨夜、購入したゴッホの画集の解説文を読んでいると、ゴッホもまた「描く人」であったのと同時に「書く人」でもあったことに気づかされた。実の弟であるテオとの長きにわたる手紙でのやり取りは有名な話であり、ゴッホは弟との手紙のやり取りの中で、自らの芸術思想を高め、絵画の技術を高めていったことが伺える。

手紙のいくつかが本書の中で紹介されており、それを見ると、ゴッホは現在取り組んでいる作品やこれから取り掛かる作品について文章を書いている。また、作品の制作過程を通じて得られた特殊な感覚などについても、ゴッホは丹念に言語化を行い、それをテオに向けた手紙の中に書いている。

ゴッホもまた、書くことと作ることを通じて人生を形作った人間だったのだと知る。やはり私は、書くことと作ることの中にだけ存在している、ある不思議な力について考えざるをえない。

その力の存在については、もう疑う事ができない。だが、その力の性質についてはまだまだ考えを深めていかなければならないだろう。

書くことと作ることの片方にも、もちろん私たちを鍛錬し、成熟の方向に向かわせる内在的な力があることは確かだろうが、それら二つを掛け合わせた時に生まれる力の性質についての関心は高まる一方である。

その関心に応えるかのように、私は書くことと作ることに対して、より一層の献身と精進を行っていきたいと思う。ゴッホがテオに宛てた手紙の言葉の節々には、心を打つものが沢山ある。

昨日、学内のカフェテリアで、ドイツ人とインドネシア人の友人と久しぶりに会って話をしていた時、「私たちをオランダに運んできたものは何か?」という素朴な問いについてお互いの考えを共有していた。

数多くの出来事や人との縁が重なり合って、私はオランダにやって来たのだと思う。しかし、もしかすると、ゴッホという一人の類稀な芸術家が、私をオランダに運んできたような気がするのだ。

そうでなければ、なぜ私が南オランダの片田舎に足を運び、ゴッホの作品を眺めていたのかが説明できない。私はゴッホの画集の中にある、自分が生まれた西暦のちょうど100年前に描かれた作品をぼんやりと眺めていた。2017/11/21(火)06:58

No.453: Gratitude for Today and Tomorrow At this moment, I witnessed a numerous number of swans flying into the sky.

The gratitude for this moment leads to that for tomorrow.

I hope that we will always have appreciation for today and tomorrow at the end of the day. 15:25, Saturday, 12/2/2017

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