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1515. 創作活動への意志


朝食を摂りながら自分の創作活動について考えていると、どうやら自分の中で理想としている作品創出リズムがあることがわかった。

これまで具体的な数字として明示したことはなかったが、どうやら自分は、一日の三つの時間帯区分ごとに日記と曲を書き、一週間に一本のペースで査読付き論文を執筆したいようなのだ。つまり、一日に三つの日記を書き記し、三つの曲を作り、一週間に一つの論文を生み出していきたいという理想があるようだ。

現状は、日記に関してしかその理想的姿を実現させていない。一見すると、一日に三曲作ることや一週間に一本の論文を執筆していくことは異常のように思えるかもしれないが、それは全くの誤解だろう。

むしろ、仮に私たちが本当に自己の創造エネルギーとつながることができたら、そうした姿は正常すぎるほどに正常だと私は思う。自己の内側から絶えずほとばしるものに形を与えようとする純粋な行為を行えば、そのような数の曲や論文は自然と生み出されるように思うのだ。

今の私は、それができていないことをここでもう一度考える必要がある。自分の内側には表現を待つ物で溢れかえっているのは確かなのだ。

それを曲や論文の形にする理論や方法に習熟しておらず、自分なりの方法論を確立できていないことが問題なのだ。今はまだそうした方法論を確立する時期にある。

自分の中での爆発の時期はもう少し先だ。爆発的な創作活動に全てを委ね、自己が創作活動に完全に溶解する形で進行する生活。文章を書くことだけ、作曲だけをする生活。

そうした創作活動だけに従事するという、極端な生活の実現に向けてこれからの準備の日々を過ごしていく。論文を執筆する自分なりの型と曲を生み出す自分なりの方法を習得するには、もうしばらくの修練が必要だ。 創作活動だけに従事するように生きるべきであり、その実現に向けて日々を生きるべきだという意志。慣習的な規範に従う形での「べき法則」ではなく、内的絶対基準に基づく「べき法則」に従って生きて行く毎日。

他者の命を奪ってはならないという命題と全く同じように、創作活動だけに従事しなければならないという単純明快な生き方の指針。 日々の探究と実践の中で、文章執筆と作曲の型を獲得していきながらも、思考や感覚を縛る前提を外し、開放的に表現する意思を育むことも忘れないようにする。2017/9/6(水)

No.161: Our Nature and Our Language Ralph Waldo Emerson mentions that the corruption of humans is followed by the corruption of language.

The premise would be that our language is closely connected with our nature. As Charles Sanders Peirce asserts, our beings and our language are reciprocally educated.

The depth and sophistication of our language are prerequisite for our development. However, we have to remember that our development and the development of our language have multi causality.

Our language develops when our development occurs, whereas our development emerges when our language develops.

Once our language corrupts, it means not only that our development is stagnant but also that our humanity deteriorates. Saturday, 9/9/2017

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

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