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1514.「コード分析」「メロディ分析」「主題分析」


あいにく今日からしばらくの間は雨の日が続きそうだ。天気予報を確認すると、来週の半ばまで雨の日が続くことを示している。

もちろん、一日中雨が降り続けることはここでは滅多にないことだが、一日のどこかで雨が降る日がこうも長く続くというのは、夏から秋に向けた季節の変化を示しているように思えて仕方ない。

新しい季節に向けて、季節がそれそのものを脱皮させるために雨を降らせているかのようだ。夏という季節を脱皮すれば秋がやってくる。

北欧旅行を通じて、絵画や音楽に対する向き合い方がまた静かに変化したように思う。一つは、芸術作品というものが一体どういった性質を持つものなのかということに関係している。

これまでの私は、画家の描いた絵画や作曲家が作った音楽が芸術作品なのだと思っていたが、これほど浅薄な思い込みは他にないだろう。芸術家が作り上げた表現物が芸術作品なのではなく、彼らの生き様そのものが芸術作品なのだ。

そのことに気づかせてくれたのが、デンマークとノルウェーで訪れた数々の美術館と博物館であり、とりわけ作曲家のエドヴァルド・グリーグと画家のエドヴァルド・ムンクからそれを学んだ。芸術鑑賞というのは、作品だけを見ていてはならないのである。

作品の背後にある、作り手の人生そのものを見なければ、真に重要なことは見えてこないということを、とりわけそれら二人の芸術家から痛切に教えられた。芸術作品の作り手の人生そのものを理解する試みとして、私が行っていたのは、芸術家が書き残した日記や手紙を読むということだった。

彼らが作品だけではなく、作品を取り巻く出来事や当時の自分自身と自己を取り巻く社会環境についての文章を書き留めてくれていたおかげで、作品に対する理解が大きく深まる貴重な体験をした。グリーグやムンクが残した日記や手紙は、彼らの生き様を捉える貴重な資料であり、それらは彼らの作品に対する理解をさらに深めることにつながる。

というよりもむしろ、彼らの生き様そのものが芸術作品であるのなら、彼らが残した日記や手紙も立派な芸術作品だという認識を持った方がいいだろう。そういう気持ちを持って芸術家の書いた文章と向き合っていきたい。

とりわけ現在注目をしているのは、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ショパンが書き残した日記や手紙である。彼らの作品を深く理解し、自らの作曲実践に活かしていくためには、いつか必ず彼らの書き残した文章を読む必要がある。

それは避けて通ることのできないものだ。偉大な作曲家の曲を構造的に分析するだけでは足りず、彼らが書いた文章を読み解くことによって、真に彼らの音楽世界を理解することにつながり、それが自分の作曲実践に滲み出てくることになるだろう。 今、日記や手紙を通じて、偉大な作曲家の音楽世界の真髄を把握していく重要性を書き留めたが、もちろん構造分析を進めていくことは自分の作曲実践に不可欠である。同時並行にそれら二つに従事することができれば理想だが、今の私の状況から考えると、最初に行うべきは楽曲分析だろう。

昨日少しばかり考えていたのは、どの観点から楽曲分析を進めていくかということである。分析対象になるのは、何はともあれ、自分を捉えて離さない曲であり、自分の関心を強く引く曲だけとしたい。

彼らが残したピアノ曲を全て分析することができれば理想的だが、まずは優先順位を設けて分析を進めていく。その時に観点としては、コード分析とメロディ分析から始めるのが良いのではないかと思った。

とりわけ前者に関しては、今履修しているシンガポール国立大学のMOOCを通じてすでに行っており、コード分析の理解と手法を磨きながら今後も継続させていきたい。その講座の教授曰く、コードの模倣は違反ではないため、優れた楽曲のコード進行を掴み、それを自分の作曲に活用していきたいと思う。

それではメロディ分析はどのように行えばいいのだろうか?という疑問にぶつかった。今のところ、その理論と方法を持っておらず、これはどのように行っていくのがいいのかまだ見当がつかない。

ただし、間違いなく、自分の何らかの内的基準が良いメロディとそうではないものを聴き分けているのは確かであるため、その内的基準が何かを明らかにすれば、自ずとメロディ分析の方法論が見えてくるだろう。

これについては、自分の内的基準を見直しながら、なおかつ既存の方法にはどういったものがものがあるのかを調査しておきたい。また、メロディ分析に合わせて、「主題分析」のようなものも合わせて行いたい。

これは曲全体に対してというよりも、複数の小節を聴いた時に自分の内側に湧き上がる感情や感覚を言葉にしておくことを意味する。曲の随所随所には、特徴的な感情や感覚を引き起こされることがしばしばあるため、それを曖昧なままにせず、言葉の形に残しておくのである。

例えば、「陰鬱な気分」「清朗感」「形而上学的認識世界」などという形で、複数の小節が喚起するものに言葉を与えていく。要約すると、「コード分析」「メロディ分析」「主題分析」を既存の方法を活用するだけではなく、自分なりの方法で進めていくことを行っていく。

そうした分析を行っていけば、徐々に自分の作曲実践が自然と形を生み出していくだろう。2017/9/6(水)

No.160: Irony in the Modern World Do we forget that we are inherently emancipated and liberated from anything, don’t we?

When did we forget our intrinsic nature of freedom?

The moment that the word of freedom emerged is ironical. Our language has an innate capability to draw a borderline between the object that we describe and the others.

This inherent nature of language is beneficial to clarify our views to see the reality, but at time same time, it inevitably brings about a slight dichotomy between an object and the others. The moment that we coined the term of freedom indicates that we conceived non-freedom.

Since we set a contraposition against freedom, we have been confined in a jail of non-freedom. It is ironic that we began being imprisoned in the world saturated with non-freedom when we coined the term of freedom.

We have to notice such a condition in the modern world in order to restore our authentic nature; that is liberation. Saturday, 9/9/2017

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