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1324. プラグマティストとしての自覚と準備への邁進


早朝の雷を伴う雨が過ぎ去り、とても穏やかな世界が目の前に広がっている。薄い雲が空を覆っているため、相変わらず太陽の姿を拝むことはできないが、雷雨が止んだことにより、私の気分も変わった。

この天気であれば買い物に出かけることができそうだ。昼食前に、数日分の食料を購入するため、近くのスーパーに行きたいと思う。 午前中、“A Dynamic Systems Approach to Development: Applications (1993)”に収められている、ダイナミックシステムアプローチを発達研究に適用した第一人者であるポール・ヴァン・ギアートの論文を読んだ。専門書に掲載される論文にしては珍しく、70ページ近くに及ぶ長い論文であったが、随所に学びになることがあった。

フローニンゲン大学で長らく研究を続けていたヴァン・ギアートの仕事から私は多大な影響を受けてきたが、彼の仕事の底はまだ見えない。それぐらいに、ヴァン・ギアートの発達思想とモデリング技術には習うべきことが無数に残っている。

ヴァン・ギアートの仕事に触れるたび、自分が歩んでいかなければならない道のりが遠いものであることに気づかされる。だが、焦ることなく、着実に自分の道を歩き、自分の道を切り開いていこうと思う。一人の探究者にできることはそれしかないのだから。 ヴァン・ギアートの論文を読んだ後、私が敬意を表している同年代の哲学者ザカリー・スタインの論文を二本ほど読んだ。スタインの論文を読むにつけ、私自身がプラグマティズムの思想に影響を受けていることを知る。

スタインは、米国の思想家ケン・ウィルバーが、ウィリアム・ジェイムズ、チャールズ・パース、ジョン・デューイなどのプラグマティズムの思想を継承していることを指摘しており、論文の中の記述を読むと、私も随分とプラグマティズムの思想を持っていることに気づかされた。

とりわけ、概念と実践が共存在し、相互に影響を与え合う形で私たちはこの世界に関与している、という発想を持っていることなどに端的に表れている。これまで一度も、自分がプラグマティズムの思想に多大な影響を受けていることに気づかなかったが、いくつかの側面において、私はプラグマティストなのだろう。 現在の夏季休暇、九月からのオランダでの二年目の生活、そしてこれからの八年間は、自分にとっては準備の期間である。準備を終え、本格的な仕事に着手することができるように、それまでの期間は、自分の内側に巨大な体系を構築し、その体系の核に当たる探究の意味と意義を鷲掴みにしなければならない。

カール・マルクスが大英博物館の図書室に通い詰めたような日々を私も送りたい。とにかく焦らないことが肝要だ。

他者や社会の声に惑わされることなく、一切の事柄を八年後に向けた準備に当てることを強く望む。それ以外に望むものはない。

敬愛する小説家の辻邦生先生が処女作を出したのは、30代の後半であった。辻先生が自ら述べるように、小説家としての仕事を最初に世に送り出したのは、世間一般的な基準からすれば遅かったのだ。

だが、そこから生涯を閉じるまで、誰よりも数多くの作品を残していった。最後の最後まで小説家として生き、執筆に次ぐ執筆を自らに課していたその姿には打たれるものがある。

辻先生の最初の仕事が形になることが遅かったという事実、そしてそこから他の追随を許さないほどに自らの作品を生み出し続けたという事実に、今の私はとても励まされている。自らの論文を書きに書く日の到来に向けて、この八年間はとにかく人知れず準備に邁進したい。2017/7/20(木)

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